2014年4月27日日曜日

召天者合同記念礼拝「金持ちとラザロ」

礼拝メッセージ 「金持ちとラザロ」 ルカによる福音書16章19~31節

長谷川和雄師

 

今日の聖書箇所の前に主は、「将来自分を助けてくれる友を作る方法は、世の富に忠実に、知恵を用いることです。地上で神に忠実なら、神は永遠の御国に迎えて下さいます」と言われました。パリサイ人は、主の話しを嘲笑しました。そこで主は、『形式的に律法を守る時は過ぎ去り、「神の国の福音」を信じる時が来ました。妥協的に離婚を許した時代は終わり、夫婦は一心同体という完全な律法の時代であり、心が問われます』と語られました。今日の箇所では、この世の成功に酔いしれて神を信じないで死んだ金持ちの死後の叫びが記されています。

Ⅰ.金持ちとラザロ…
1) 金持ちは広い邸宅に快適に住み、最高の新しい服を着て、適度な運動を行い、栄養のある食品を食べ健康で、経済的・政治的活動などで毎日忙しく、人々に受け入れられ充実した日々を過ごしていました。大した苦労もなく、友も多くいて、毎日楽しく遊び、交わり、慰め、励ましを受けていました。有名で、石像や記念碑も建てられ、好意的な僕が多くおり、あまり悪を考えたり、行う必要もなく、戒めを守り、感謝の日々を送り、会堂でも中心的働きをし、多くの献金をし、病になれば多くの見舞いがあり、最高の医療を受け苦しみが緩和されたでしょう。
2) ラザロは貧しく、まともな服もなく、食事も満足に取れず、不健康な体で、日々生活に追われ、苦労の連続でした。助ける友もなく、罪への誘惑も多く、罪を犯してしまったことでしょう。しかし、「ラザロ」が「神は助け主」という意味であるように、彼は神を畏れ敬い、頼り、つぶやかず、疑わず、全く頼って生きました。
3) 生前、貧富の差があった金持ちとラザロですが、平等な死を迎えました。金持ちは懇切丁寧な看病を受け、多くの友にその死を惜しまれ、豪華絢爛な葬儀後、立派な墓に丁寧に葬られましたが、黄泉で苦しみもだえています。しかし、ラザロは人々に忘れられ、路地で命を失い、葬儀もなく葬られましたが、アブラハムもいる天国に導かれました。

Ⅱ.金持ちの願い…
1) 金持ちは生前、何でも自分の思い通りになったので、人々に憐れみをかけたり、神に求めたりしませんでした。しかし、今は黄泉で火炎の苦しみから抜け出せず、はるか彼方に見えるアブラハムに憐れみを叫び求めました。
2) その叫びは自己中心でした。ラザロを利用し、黄泉へよこすようにと願います。しかし、たとえラザロに憐れみの心があっても、天国と黄泉には深い隔たりがあり、行き来できないことを知り、死人の中からラザロを家族に送り警告するように願い、神をも利用しています。祭司長たちは、主によって生き返ったマリヤの弟ラザロを殺そうとしました(ヨハネ12:10)。世の人々は、主が復活しても信じませんでした。金持ちは、形式的信仰を悔い改める必要がありました。私たちも心から主を信じ、礼拝しましょう。

Ⅲ.天国への道…
み言葉をどのように聴いていますか。己の義、知識、善行に頼り、高ぶらないで、神を畏れ、主を愛し、神に頼り、み言葉によってみ心を知り、従いましょう。神の御前に立たされた時、み言葉に生かされているかどうかが問われます。日々、主にあって生かされている私たちは、自らの罪を認め、十字架を仰ぎ、心から悔い改め、主のみ言葉を素直に聴き、み言葉に従った生活をし、神に栄光を帰しましよう。天国への道(ヨハネ14:6)である主によって、神に喜ばれる者へとならせていただきましょう(ヨハネ5:38-47)。





教会の各活動

墓前祈祷にて


午後は、墓前祈祷とCS教師会が行われました。

今週~来週の予定

 

○婦人祈祷会 火曜日(29日)10:30~


※祝日のため休会します


○聖書研究祈祷会 水曜日(30日)19:30~


聖書:箴言1章7節
題:主を畏れること
説教者:長谷川ひさい師
新聖歌:18、354、357


○主日礼拝 来週日曜日(5月4日)10:30~


招詞:マタイによる福音書11章28-30節
交読文:14 詩篇37篇
聖書:ヤコブ書1章1-4節
題:信仰による忍耐
説教者:長谷川和雄師
新聖歌:7、444、458

2014年4月20日日曜日

イースター礼拝「主は今も生きておられます」

礼拝メッセージ 「主は今も生きておられます」 マタイによる福音書28章1~20節

長谷川和雄師

 

婦人会の特別賛美
イースターおめでとうございます。復活を信じた人々の歩みを学びましょう。
1) 復活の史実。ニコデモたちによる埋葬を見届けたマリヤたちとサロメは死体を飾る準備をし、ヨハンナも加わり日曜の朝、墓に行きました。天使が墓の前の石を転がし、主の復活を宣言します。女たちが弟子に報告し、ペテロとヨハネとマグダラのマリヤが空の墓を見ます。失望のマリヤに主が現れます。エマオ途上の弟子たちに現れ、エルサレムに戻りペテロたちにも現れた事を知ります。そこに主が現れ魚を食べ、不信仰なトマスにも現れます。漁の最中ペテロたちに現れ、共にパンと魚を食べます。一切の権威を受けた主が、牧会命令と大宣教命令をした後エルサレムに戻り、オリブ山で聖霊の賜物を約束し、祝福し天に昇りました。主は40日の間、色々な所で、5百人以上の人々に現れました。
2) 天使の出現は、主の誕生、宣教開始、十字架直前、復活、昇天の時であり、預言と主の予告の成就の証です。兵士が弟子たちの死体の盗みに気付かないはずがありません。議員たちは嘘を伝えさせました。人間は復活を信じられず、信じたくないのです。主の復活は神のみの御業であり、生き返りや幽霊ではなく、主の死体と魂が、世の法則に縛られない霊的な身体に化して、永遠に生き続けます。また、主の十字架の死は私の罪のためと信じる者の罪の赦しの保証であり、罪の刑罰が肉体の死で終らず、主のように復活する希望と喜びです。不信仰で疑い深い人々に惑わされず、復活を信じる者の行動を学びましょう。

Ⅰ.復活の事実に大きな喜び。
主を愛するマグダラのマリヤたちは深い悲しみと同時に、大きな墓石や番兵に不安でしたが、地震によって墓石は取り除けられ、白い衣を着た天使は恐れる彼女たちに、主の復活の事実を弟子たちに伝えることを命じました。番兵たちは天使を恐れていました。彼女たちは復活の主を見ませんでしたが、聖書に書いてある通り、主のお話しに偽りはなかったこと、御使いの言葉を信じ、彼女たちは喜びました。主の復活は、私たちの罪の赦しと復活の保証は喜びです。彼女たちは見ないで聞いて信じ喜んだのです。私たちも、主の復活を見ていませんがみ言葉を信じ、喜んでいます。それは、単なる狂信ではなく、生きておられる主を信じ、主のみ言葉を信じる信仰です。見ないで信じる者は幸いです。

Ⅱ.墓を離れる。
1) 墓は過去の記憶がある記念碑です。キリスト者は過去の思いから立ち去り、前に向かって進み過去へ訣別しましょう(Ⅱコリント5:17)。
2) 墓は死の象徴です。しかし、主は死に打ち勝ちました。私たちにも死への勝利を与えて下さいました(Iコリント15章)。死の恐れ、恐怖から訣別し、永遠の希望に向かって歩みだすのがイースターです。
3) 偽善の喜びでは、絶望の中にあり本当の喜びの生涯を送れません。主を信じる者は、主の再臨の時に、栄化された体で復活します。主の復活を知った彼女たちがすぐに墓から立ち去ったように、人の考えや常識、体験や理性などで復活を信じない者にならないで、私たちも復活の主を信じて、絶望から解放していただきましょう。

Ⅲ.喜びを人々に伝える。
1) 主は完全に死なれて復活し、今も生きておられ、私たちと共に歩み、み言葉によって慰め、励まし、導きます。主に出会う人は、み言葉に従って行動する人です。主は過去の方でなく、今も生きておられます。
2) 主の復活の証人として、喜びをもって伝えましょう。主は一切の権威を与えられ、世の終わりまで私たちと共に歩まれます(マタイ28:20)。日々主の臨在を持ち運ぶ者とされ、み言葉による確信が与えられ、主は復活し今も生きておられることを人々に伝えましょう。世の苦しみ、困難、悩み、試練の中で、主と共に勝利の歩ませていただきましょう。



教会の各活動

CSイースター昼食会


午後は、CS昼食会(鴨川河畔)と壮年会(墓地清掃)が行われました。

今週~来週の予定

 

○婦人祈祷会 火曜日(22日)10:30~


聖書:ヨハネによる福音書1章7節
題:あかしのために来た
説教者:長谷川ひさい師
新聖歌:257、448


○聖書研究祈祷会 水曜日(23日)19:30~


聖書:マルコによる福音書8章22-30節
題:あなたこそキリストです 説教者:長谷川和雄師
新聖歌:21、207、275


○召天者合同記念礼拝 来週日曜日(27日)10:30~


招詞:マタイによる福音書11章28-30節
交読文:14 詩篇37篇
聖書:ルカによる福音書16章19-31節
題:金持ちとラザロ
説教者:長谷川和雄師
新聖歌:22、463、243

2014年4月13日日曜日

歓迎礼拝「最善をなして下さる主」

礼拝メッセージ 「最善をなして下さる主」 ローマ人への手紙8章26~30節

長谷川ひさい師

 

歓迎礼拝の証し
ローマ書8章には、キリストにあって御霊を与えられた者がいのちに満ちあふれて、生き生きと生かされている姿が記されています。
自分中心に生きていたパウロは、罪と死とに捕らえられていましたが、主に出会い、救い主と信じ、罪から解放されて神を愛する歩みに導かれました。
御霊をいただき、神を「天のお父様」と呼び、親しく交わることが赦され、祈ることが喜びとなりました。

この信仰に立つ私たちも、この世では悩みがあります。
どう祈って良いのかさえ分からないときがあります。
しかし、御霊は弱い私たちを助けて、言いようもない深いうめきによって、私たちをとりなして下さると約束されています(26-27)。
なんと感謝なことでしょう。

パウロは、クリスチャンとは、「神を愛する者」、「神のご計画に従って召された者」、すなわち、「神のご計画に従って存在をゆるされている者」だというのです。
私たちも、主を信じていなかった時、人生の目的や何のために生きているのかさえ分からず、悩んだことがあると思います。
しかし、主にお出会いし、救い主と信じてクリスチャンとされた私たちは、神のご計画によって生かされている者であることを知り、神を愛する者とされました。
「知った」といのは、難行苦行で神を愛することを知ったというのではなく、主を通して、体験として知ったということです。

あなたが罪に悩み、神に逆らって永遠の滅びに向かっていたとき、神はあなたを救うために、御子をこの地上に遣わし、十字架の血潮によって、贖って下さいました。
これは歴史的事実です。
キリストの十字架は、神の愛が真実であることを証明しています。
パウロはその愛を受け取りました(ローマ5:5、8)。

「神を愛する人々」と共に働いて下さるとは、クリスチャンはひとりで頑張るのではないということです。
パウロは、ひとりで頑張ることは肉だと教えています。
それは大変疲れ、出来れば高ぶります。
もし、クリスチャンだと言いながら、ひとりで頑張り、自分がやっているように思っているとしたら、それはもうクリスチャンではありません。
賢くそろばんをはじいて、成功したと思っても、実は足をさらわれているということがあります。
それが、神を計算にいれないで、自分がやっているということです。

神と共に働かせていただく、これがクリスチャンです。
まず自分で計画を立てるのではなく、「やろうとしていることが、神の栄光にどうつながっていくか」と考え、祈りましょう。
そうするとき、神は全てのことを働かせて益として下さるのです。
「益」とは、私たちの都合の良いようにいくというのではなく、神からご覧になっても、人間の側から見ても、混じりけのない納得のゆくことです。
「神と共に働くとは、神が導いて下さることを、いつも祈りの中で自覚しながら、神のみこころを確信して生きていくこと」(小林和夫師)。

人生を振り返り、神ではなく自分を愛する者であり、自分を第一に生活し、自分がよく思われるためには、神も自分も欺き、何でもするという罪の奴隷になっていなかったでしょうか。
最善をなしたもう主は今も生きておられ、私たちひとりひとりを愛し、ご計画を持っておられ、最善をなして下さいます。
主の前に静まり、人生を点検させていただき、素直に自分の罪を認めて主の十字架を仰ぎ、新しくしていただきましょう。
そして、神が共に働いて下さる生活をさせていただき、神の栄光を現す残りの人生とならせていただきましょう。



教会の各活動



午後は、婦人会(健康わいわい講座)、青年会(歓迎会)が行われました。

今週~来週の予定

 

○婦人祈祷会 火曜日(15日)10:30~


聖書:士師記10章16節
題:神の苦しみ
説教者:長谷川ひさい師
新聖歌:111、108



○聖書研究祈祷会 水曜日(16日)19:30~


※休会します



○受難週祈祷会 金曜日(18日)19:30~


聖書:マタイによる福音書26章36-46節
題:主の苦悩
説教者:長谷川和雄師
新聖歌:2、114、396



○イースター礼拝 来週日曜日(20日)10:30~


招詞:詩篇95篇1-3節
交読文:3 詩篇16篇
聖書:マタイの福音書28章1-20節
題:主は今も生きておられます
説教者:長谷川和雄師
新聖歌:2、123、127

2014年4月6日日曜日

主日礼拝「健全な信仰に生きる教会」

礼拝メッセージ 「健全な信仰に生きる教会」 ヘブル人への手紙12章1~2節

長谷川和雄師

 

聖餐式にて
信仰とは、「頼る」「任せる」「献げる」「聞き従う」「仕える」「すがる」「委ねる」「仰ぐ」などの意味があります。信仰生活は主のまねをしたら良いとか、道徳的に信仰的に正しい生活を行ったら良いというものではありません。
不健全な信仰とは、以下のようなものです。
1) 自分の思いや考えなどを神に委ねないで、聖書のみ言葉を生活に適用してしまう信仰。
2) 律法的な信仰。律法の基準に到達したかに一番関心を持ち、批判的になってしまう信仰。
3) 健全な努力をしないで、主が何でもして下さると考えて待つ信仰。
4) 神のみこころを知っても従おうとしない信仰。
5) 自分の信仰を、人によって確かめる信仰などです。
今日の箇所から、健全な信仰を学びましょう。

Ⅰ.多くの証人と応援者。
1) 応援者。11章にあるように、私たちは多くの証人・応援者にとり囲まれています。彼らはみ言葉と十字架の福音に生かされ、信仰の恵みを豊かに体験している人々です。彼らの信仰は私たちの良き模範であり、私たちを励まして下さいます。
2) アブラハムの信仰の成長。
①真の神を信じる信仰を与えられ、信仰のスタートをしました。
②神のみこころに従い、世と分離し、神に献身しました。しかし、自分を守るために嘘をついてしまいました(創世記12章)。その結果、自分の無力を知り、神の前に砕かれ、主のみ声を聞くようになりました。
③神の言葉を信じ受け入れ、義と認められました(同15章)。
④神の約束の実現を待たないで、人間的な方法で解決しようとしました(同17章)。しかし、再び神を信頼して、自分の心の中にある本当の気持ちを、神に素直に告白ました(ローマ4:19-22)。
⑤神に全く従う信仰を与えられた時、神の言葉に従いイサクを献げ、信仰の自由を得ました(創世記22章)。アブラハムは信仰の父と言われました。

Ⅱ.信仰の成長を妨げる罪。
1) 救いの願い。人を罪の生活から救い出すのは、溝に落ちた人を救うようなわけには行きません。魂が救われるためには、罪の悲惨な生活を深く知り、その生活から救われたいと、本人が心から願う必要があります。
2) 生まれながらの人は、罪の生活に満足し、罪の誘惑から抜け出したいと願いません。しかし、神の前に歩もうとする時、罪は重荷となり、障害となり、罪を捨てるのです。
3) 主は、人が受ける罪の誘惑を全て経験しましたが、全て拒み、十字架の道を選び取り、悪魔の誘惑に完全に勝利し、神の右に座しました(マタイ4:1-11)。信仰の良き導き手であり完成者であられる主が、先頭を行かれるのですから(マルコ10:32)、この主から目を離さないで、目標を目指し(ピリピ3:13-14)、耐え忍んで歩みましょう(Ⅱテモテ4:7-8)。

Ⅲ.人々の救いを共に喜ぼう。
1) 芥川龍之介の短編小説「クモの糸」は、私たちに、自分だけが助かればよいと思う、利己的な考えに警告を与えています。
2) お互いの絆があります。皆で天国に行きたいですね。皆で神の約束を信じて祈り(使徒行伝16:31)、伝道に励みましょう。
3) 主の臨在を常に覚え、主の臨在を持ち運ぶ器に、主にあってならせていただきましょう。不健全な信仰を持ってしまい、間違った方向に行っている魂に対し、また、罪の誘惑に負けてしまっている魂に対し、十字架の福音を伝えましょう。十字架の福音に生きる者に神は御霊の実を結ばせて下さいます。その御霊の実は魂を愛する愛です。


教会の各活動

誕生者祝福祈祷の様子


午後は、教会役員会が行われました。

今週~来週の予定

 

○婦人祈祷会 火曜日(8日)10:30~


聖書:詩篇18篇6節
題:応えて下さる神
説教者:長谷川ひさい師
新聖歌:18、356


○聖書研究祈祷会 水曜日(9日)19:30~


聖書:マルコによる福音書8章1-21節
題:生きて働く信仰を
説教者:長谷川和雄師
新聖歌:367、148、282


○主日伝道礼拝 来週日曜日(13日)10:30~


招詞:マタイの福音書11章28-30節
交読文:36 詩篇116篇
聖書:ローマ書8章26~30節
題:最善をなして下さる主
説教者:長谷川ひさい師
新聖歌:18、172、171