2014/01/26

有志特別賛美「花も」「どんな時でも」

有志による特別賛美。

  • 「花も」詞・曲: MEBIG
  • 「どんな時でも」詞・曲: 中山有太

京都信愛教会では、毎週第2日曜日の礼拝で Blessが会衆賛美のリードをしています。

また、毎月第4日曜日の礼拝では青年会、婦人会、教会学校、有志月替わりで特別賛美をしています。

どなたでも、どうぞ礼拝にお越しください。

主日礼拝「主に愛されている者」

礼拝メッセージ 「主に愛されている者」 コロサイ人への手紙3章12~14節

長谷川和雄師

 

神に選ばれ、世から聖別され、神に愛され、新しい人を着た、真理の柱なる教会の信徒たちの心が世に向き、律法的な信仰の異端につけ込まれ、教会を壊されることがない様に、教会が一致団結し、良い交わりを築くようにと、パウロが力強く勧めています。

Ⅰ.神の選びの確認…
1) 信仰の仲間。コロサイ教会で、律法的な信仰の異端が出現し、信徒を引き込もうとしていました。信徒たちは異端を排除し、良い交わりを築く心掛けを7項目記しました。信仰は、決して一人ではなく、恵みによって罪が赦され、永遠の生命を与えられ救われた信仰を共感できる仲間と共に喜んで守るものです。
2) 神に選ばれた者、聖なる、愛されている者(12)。旧約時代の神の民の特色も表しています。①イスラエルは、神に選ばれ、神の民とされました。②神の臨在する幕屋、また、神殿で、動物犠牲を献げ、罪を赦され、神との関係が聖い者とされました。③神に愛される民でした。しかし、神の民の信仰が形骸化し、主が世に誕生された時代には、宗教の指導者の律法学者やパリサイ人の誤った指導により、神が遣わした神の子、救い主のイエスを受け入れず、神に逆らう者として捕らられ、十字架にかけて殺すほど、神のみこころから外れていました。
3) 神は、不従順なイスラエルの民を退け、教会を誕生させました。神の民とされたクリスチャンは、救いと祝福と永遠の生命を恵みとして受け、終末に向かう歴史の中で、使命を与えられ喜んで共に歩み、信仰共同体を形成しました。

Ⅱ、その教え…
聖書は、教会の良い交わりを築く心掛け7項目の心を持てるように努力しなさいと言ってはいません。キリストを着ること、肉の働きを止め、主の憐みにすがり、主の新しい命に生きることです。
1) 「あわれみの心」は、立場の弱い者や弱さを持った者への真の思いやりのことです。表面的や上辺だけの憐れみでなく、人の心の奥から出てくる真実で深い思いやりや同情を表し、神の憐みを豊かに受けて初めて出来ることです(エペソ2:4-5)。
2) 「慈愛」は、助けを必要としている人を親切に助けることです(ルカ10:25-37)。
3) 「謙そん」は、高ぶりの反対で、へりくだった心です。
4) 「柔和」は、高圧的でなく、穏やかで、人が近づきやすいことです。
5) 「寛容」は、怒りっぽくなく、寛大な態度や寛大な行動を表します。
6) 「互に忍びあい」は、お互いに忍耐し合うことです。
7) 「ゆるし合いなさい」は、お互いの罪を、主が赦してくださったように赦し合うことです(主の祈り)。

Ⅲ、愛の実践…
最後に根本的に重要な愛を記します。教会の交わりを完成し豊かなものにするため、愛の心を持つことを教えます(14)。愛は、すべてを完全に結ぶ帯であり、完成させる絆です (新改訳参照)。互いが信頼しあう上で基本的な態度です(ルカ10:25-27)。具体的には、
相手を尊敬すること。
何でも話せる心で接すること。
その心が本物であること。表面的ならば、感情の爆発があるでしょう。
相手の状況を、相手の立場に立って、その意見や感情を理解しようとし、全くその通りだと、客観的な目で、冷静になって共感することです。単なる同情は失敗します。
傾聴する。相手より先に、自分の心に耳を傾け、自分の誉れのためにしようとしているのか。たとえ多大な犠牲を払っても、神に栄光を帰する事ができるか、誤解していないか、本当に助けられるか、真の犠牲的な愛からの言動なのか確認しましょう。



教会の各活動


午後は、臨時教会役員会が行われました。

今週~来週の予定


○婦人祈祷会 火曜日(28日)10:30~


聖書:詩篇56篇11節
題:人々との問題
説教者:長谷川ひさい師
新聖歌:201、250


○聖書研究祈祷会 水曜日(29日)19:30~


聖書:マルコによる福音書5章21~24、35~43節
題:神に委ねる信仰
説教者:長谷川和雄師
新聖歌:182、300、275


○主日礼拝 来週日曜日(2日)10:30~


招詞:ローマ書12章1~2節
交読文:56 ローマ書12章
聖書:コロサイ書3章18~4章1節
題:主にある家庭
説教者:長谷川和雄師
新聖歌:21、201、382

2014/01/19

主日礼拝「新しい人を着る」

礼拝メッセージ 「新しい人を着る」 コロサイ人への手紙3章5~11節

長谷川和雄師

 

新しく綺麗な服を着ることは嬉しいものです。また、新しい制服を着て仕事にも従事すると、気持ちも新たにして働くことができます。クリスチャンという新しい人を着た者とはどのようなことでしょうか。

Ⅰ.すでに死んだこと(5-7)…
1)
「殺してしまいなさい」(5)。主を信じた時、古き人は主と共に死んでしまった者なのですから、死に続けましょう。上にあるもので心が満たされているなら、古き人の歩みが出来ないようになります。主は、古いもの(罪)が十字架につけられなければならないとのみ言葉を実行されました。
2) 「地上の肢体」(5)とは、「罪深い肉欲」「利己的な性質」「動物的衝動」です(ヤコブ4:1-4)。古き人の代表的な生活は、性的汚れ、情欲、感情的欲望、貪欲(むさぼり・もっと・集め・握りしめ)で溢れ、神がくださったもので満足できません(コロサイ3:3、ヤコブ1:13-15)。古い人は死んだと認め、主に頼り、上にあるものに目を注ぎ続けていきましょう(1-2)。そうでないと、これらのことのために、あなたに「神の怒りが下る」からです(6、ローマ1:18-32)。

Ⅱ.捨ててしまうこと(8-9)…
1) 「口から出る恥ずべき言葉を、捨ててしまいなさい」(8)。怒り、憤り(急性的な怒り、かんしゃく・・・感情を抑えられずに発作的に興奮して怒る)、悪意(心の中で憎み、相手の幸せを願わない、殺意)、そしり、悪口、陰口、噂をやめましょう。
2) 「互にうそを言ってはならない」(9)。舌は火です(ヤコブ3:5-6)。「うそ」は悪魔の性質です(ヨハネ8:44)。偽善的生活、これらに死なない限り新しい人に生きることはできないばかりか、永遠の苦しみに定められます(黙21:8)。
3) 「古き人をその行いと一緒に脱ぎ捨て」(9)。「古き人」とは、「罪のからだ」「罪の奴隷」「死のからだ」「肉にある者」「石の心」のことです(エペソ2:1-3)。今までの古き人は、自己中心で、利己的な性質を持っています。その、古き行いを誰かに脱がしてもらうのではなく、自分で脱いで捨てるのですが、自分の力で脱ぐのではありません。それは、悔い改めを自分でする(神が示される罪を認め、神に告白するIヨハネ1:9)ことです。主の十字架は私の身代わりのためだと主を仰ぐこと、さらに、神からみ言葉を頂き、いつも神により頼むことです。よみがえりの主に目を注ぎ、天に居られる主を見上げて歩みましょう。

Ⅲ.新しく着ること(10-11)…
1) クリスチャンは新しい服に着替えたものです(9)。「新しき人を着た」とは、過去の出来事です。古着の上に新しい上着を着ません。すなわち、良い行い、自分の正しさ、自分の努力などに立とうとしません。古き自分に死んで、新しく生まれ変わり、救われ、神の子とされ、主を心に迎えて生きるのです(ガラテヤ6:14-15)。神のみこころを知り、それを行い、神に喜ばれる歩みをする者と、主にあって変えられるのです。さらには、神の子とされた誇りをもって生活し、悪しき誘惑に負けないように、日々、神のみ言葉を聴き、主により頼みつつ信仰生活を営むことです。自分の思いや願いがかなうことだけを求めるのではなく、み言葉を通して神のみこころを知り、神に従いましょう。
2) 平等です(11)。キリストがすべてとされること、すなわち、きよめの生活は神が平等に与えてくださいます。性格の善し悪し、文化教養の優劣、社会的地位の上下、知恵の優劣、金持ち、地位、家柄、健康、奉仕暦、これらに差別はありません。新しいキリストのいのちに生きる者と変えて頂きましょう。



教会の各活動


午後は、壮年会総会と婦人会総会が行われました。

今週~来週の予定


■婦人祈祷会 火曜日(21日)10:30~


聖書:詩篇59篇16節
題:避けどころ
説教者:長谷川ひさい師
新聖歌:190、253
 
 

■聖書研究祈祷会 水曜日(22日)19:30~


聖書:マルコの福音書5章1~20節
題:家族のもとに
説教者:長谷川和雄師
新聖歌:174、175、429
 
 

■主日礼拝 来週日曜日(26日)10:30~


招詞:ヨハネの福音書15章9~11節
交読文:57 Ⅰコリント13章
聖書:コロサイ書3章12~14節
題:主に愛されている者
説教者:長谷川和雄師
新聖歌:7、45、212

2014/01/12

会衆賛美「威光・尊厳・栄誉」「静けき祈りの」など

京都信愛教会の賛美デュオ Blessの二人による会衆賛美リード。

  • 「威光・尊厳・栄誉」 詞・曲: 阿内源一 (新聖歌166番)
  • 「御翼のもとに」 詞: William O. Cushing, 曲: Ira D. Sankey (新聖歌256番)
  • 「主の真実はくしきかな」 詞: Thomas O. Chisholm, 曲: William M. Runyan (新聖歌20番)

京都信愛教会では、毎週第2日曜日の礼拝で Blessが会衆賛美のリードをしています。

また、毎月第4日曜日の礼拝では青年会、婦人会、教会学校、有志月替わりで特別賛美をしています。

どなたでも、どうぞ礼拝にお越しください。

主日礼拝「主にある新しい歩み」

礼拝メッセージ 「主にある新しい歩み」 コロサイ人への手紙3章1~4節

長谷川和雄師

 

成人祝福祈祷(代理)の様子
一列縦隊で先頭を行進するとき、真っ直ぐ歩むためには遠くの目標点を決め、それを目指して歩むことです。今までの生活は周りの人を見て歩めば良かったのですが、クリスチャンは世に回れ右をし、先頭を歩むのですから、新しい目標を目指して歩む必要があります。

Ⅰ.新しい目的(1)…

1) クリスチャンは、自らの罪を認め、主の十字架の血潮を信じ、主の十字架と共に、自分も死んで、キリストを信じる信仰により、新しい命を与えられ、生かされているのです(2:12、20)。創世記のヤコブは、①神の祝福を兄から騙し取った。②母の故郷で結婚を命ぜられ、父の財産分与は破棄されたと思い失望しました。③神の約束が放棄されたと思いました。④一人旅。孤独、恐怖、神の守り無くして行けないので、神に祈りました。⑤ベテルで真実な神と交わり、神から約束を頂きました(創世記28:13-15)。神の前に砕かれ、全てを捨てたとき、主はみ言葉を与え導いてくださるのです。
2) クリスチャンの目標とは何か。あなたは先週、神からみ言葉を頂きましたか。この世のことに心奪われていませんか。それは、朽ちるものであり、限りがあり、一時的であり、人間的なものです。主は、私たちが上にあるもの、天にあるものを求め続けることを望んでおられます(Iペテロ1:3-4、マタイ6:20、33)。神の与えてくださるビジョンは、純潔な心を通してだけ見ることができます。
3) 上にあるものを求め、目を向け続けなさい。そのところには、愛と憐れみに満ち、優しく、全ての権威、権能を持たれた方が居られ、執り成しておられ、栄光に輝いておられるのです(ヨハネ17:24)。

Ⅱ.新しい心(2)…
1) 新しい心とは、上にあるものに心を向け、天国や神のことで心が満たされることです(ヘブル11:24)。あなたの心は、今どこにありますか(マタイ6:21)。地上のこと、欲を満たすことでしょうか。クリスチャンになっても古い自分が生きていると、世に妥協し、世に負け、世の成功者と認められるために開き直り、嘘を言い、争うのです。世への心遣いをしているうちに、神を忘れ、神との交わりを怠り、み言葉を聴けなくなります。主は世に勝たれました(ヨハネ16:33)。
2) 私たちは何のために生かされているのでしょうか。神との交わりの回復のために主は命を投げ出されたのですから、神と祈り、み言葉によって神と交わり、神の喜ばれる歩みをし、天にあるものにいつも心を向けて生きるためです。

Ⅲ.新しい歩み(3-4)…
1) 自分で始末できない罪、弱さ、自己中心の自分に死んで、終止符をうつことです(3a)。世で成功するために、修養、努力、苦行、鍛錬では死ねません。一生懸命成功を追い求めていると、人を人とも思わなくなり、蹴落としてでも成功したいと考えます。また、他人を良く思わなくなり、他人の怠慢や愚かさを責め、ついに病で倒れたりします。
2) 天にあるものに心を向け、天のことを思うことです(3b)。全く新しい命、しぼむことの無い永遠の命は神の中に隠されています(Iコリント15:42-44)。桜の木や、多くの植物は、冬は雪ノ下で枯れたようになっていますが、春が来ると芽が吹き出し、花を咲かせます。
3) 私たちは、主が再臨される時、命なるキリストと共に、新しい命、栄光に輝く永遠のいのちに生きる者とされるのです(4)。それゆえに、私たちは、いつ主が来られても良いように、日々、神との交わりを大切にし、み言葉を聴き、み言葉に生かされ、天に心を向けて生きる者とならせて頂きましょう。



教会の各活動


午後は、CS教師会総会と青年会総会が行われました。

今週~来週の予定


■婦人祈祷会 火曜日(14日)10:30~


聖書:歴代志下18章1~22節
題:誰を友とするか
説教者:長谷川ひさい師
新聖歌:201,324

■聖書研究祈祷会 水曜日(15日)19:30~


聖書:詩篇141篇1~4節
題:夕べの祈り
説教者:長谷川ひさい師
新聖歌:265、199、195

■主日礼拝 来週日曜日(19日)10:30~


招詞:ヘブル書10章19~22節
交読文:36 詩篇116篇
聖書:コロサイ書3章5~11節
題:新しい人を着る
説教者:長谷川和雄師
新聖歌:2、379、199

2014/01/05

新年礼拝「健全な信仰」

新年礼拝メッセージ 「健全な信仰」 コロサイ人への手紙2章16~23節

長谷川和雄師

 

前の箇所で、空しい哲学に対する警戒から律法問題の中心である割礼に触れ、十字架の恵みを記しました。主の十字架の贖いのみ業により罪から救われ、神の子とされ、主のよみがえりの命に与っているのだから、律法的信仰や間違った教えに流されないで、主にしっかりとつながり、十字架の福音の恵みに生かされ続けましょう。

Ⅰ.律法主義を警戒せよ(16-17)・・・
律法主義への警告の言葉(16)は、偽りの信仰を暴露(17)しています。過ぎ越しの子羊は、世の罪を負われた主であり、安息日は神の国に於ける永遠の安息を示します。でも、安息日にこだわる教会もあります。不健全な信仰の多くは律法主義的な信仰になっています。その実態は、聖書の戒めにこだわっています(Iペテロ3:16-18、マルコ7:15)。彼らは、祈り、献金、善、十戒厳守など、行いが救いの源のように教えています。戒めが行えたら安心し、自分は素晴らしいと思い、神に祝福されていると思います。正しい人だと思われるために、嘘をつき、人を騙しても、お金、地位、名誉、成功、リーダーなどを求め、それらを得ている自分は正しいとし、そうではなく、成功していない者、出世していない者などを見下します。しかし、彼らは自分が神になり、人の意見を聞けなくなり、やがて自分が分からなくなり、言行が不一致となり、救いの確信を失い、信仰を失います。そのような、神以外のものを神とする者たちの悪評を恐れることはありません(ガラテヤ2:19-21)。主を見上げつつ歩みましょう(17)。

Ⅱ.神秘主義を警戒せよ(18-19)・・・
1)偽善者は、自分の謙遜さを人から認められるために難行苦行をしますが(18)、 それは真似事であり、傲慢が入り込んでいます。
2)幻を見た者は、いたずらにそれを誇り、神ではなく天使を礼拝しています(ヘブル1:14、黙示録19:9-10)。これは、秘密偶像礼拝と言われAD363ラオデキヤ会議で禁じられました。
3)キリストから離れることは不信仰です。また、教会は成長しません。しかし、互いに主の愛にあってひとつとされるとき教会は成長するのです(19、3:14)。キリストから離れた者は、群れを造り、群れのリーダーに頼り、主に頼りません(ヨハネ7:37-39)。

Ⅲ.禁欲主義を警戒せよ(20-23)・・・
1)クリスチャンは、罪や律法や世に対して、キリストにあって死んでよみがえらされたのですから(20、ローマ6:2-4)、表面的である肉の力で努力することを止め、主により頼みましょう。
2)世とは、物質中心であり、自己実現の世界です。世のもろもろの霊力とは、キリストの教えではなく、幼稚なこの世の教訓や、儀式的法規のことです(20-21)。これらは世につける人々には必要ですが、クリスチャンには不必要です。ですから、私たちは、この世的で、人の定めた規定の支配から離れ、完全に分離し、個人的努力の支配から逃れましょう。物まねなどや、積極思考的な発言では、愛し、赦し、信じることは出来ません。私たちは、天国律法に生きたいものです(ピリピ3:20)。
3)いち人格者が指導している宗教を中心にした、有名な修養団体には、多くの人が集まり、慎ましやかな共同生活をし、柔和で謙そんな生活をし、人の嫌がる仕事や掃除をします。世の人々は、上辺の状態や努力修養には感心し、何か知恵があるように感じます。しかし、難行苦行、修養努力は人を救いません(23)。十字架信仰に生きましょう。聖霊は罪と死との法則から解放してくださいます(ローマ8:1-11)。


1/1 元旦礼拝の様子
教会の各活動


午後は、クリスマスの片付けと教会役員会が行われました。

今週~来週の予定


■婦人祈祷会 火曜日(7日)10:30~


聖書:詩篇119篇136節
題:目から涙が
説教者:長谷川ひさい師
新聖歌:216、481

■聖書研究祈祷会 水曜日(8日)19:30~


聖書:マルコの福音書4章35~41節
題:嵐を静める主
説教者:長谷川和雄師
新聖歌:201、283、276

■主日礼拝 来週日曜日(12日)10:30~


招詞:ローマ書12章1~2節
交読文:19 詩篇51篇
聖書:コロサイ書3章1~4節
題:主にある新しい歩み
説教者:長谷川和雄師
新聖歌:9、363、102

2014/01/01

元旦礼拝「まず神の国と神の義を」

元旦礼拝メッセージ 「まず神の国と神の義を」 マタイによる福音書6章25~34節

長谷川和雄師

 

新年度は信仰について学びましょう(ヘブル12:2)。今日の箇所は、聖書中でも最も有名な箇所の一つです。「思い煩う」との言葉が、この箇所に7回も出ていますが、「思い煩う」は、「心配、思い悩む、心が思い乱れる」ことです。思い煩う結果、感情が不安定になり、理解が薄く変わりやすくなり、細かな観察が出来ないので正しさが分からず、決心や判断が出来ず、意思決定が弱く、実行力がなくなります。主が、マルタの思い煩いを鎮める記事があります(ルカ10:38-42)。思い煩いに勝利する道をみ言葉から学びます。

Ⅰ.信仰を厚くせよ(25-30)・・・
1)信仰の薄さ(30)。別訳では「信仰の小さい者」です。だから、思い煩わないようにする秘訣の第一は信仰を厚くすること、大きくすることです(ローマ12:3)。信仰の枡が小さいと思い煩うのです。しかし、主は「不信仰な者」と言われたのでは無く、信仰を認めておられます。主の弟子たちは、嵐の時、主に手助けを求めましたが、主は単なる霊的指導者で、自然界の支配者と信じていませんでした。 (マタイ8:23-27)。主は、信仰の熱心さ、信仰の強さを求めていません。信仰の世界を、霊的だけでなく、衣、食、住、仕事、勉強、結婚、心、身体、お金など空の鳥、野の花を例にして生活全般に信仰を働かせることを求めておられます。
2)信仰に生きる。使徒信条の冒頭に、「我は天地の造り主、全能の父なる神を信ず」とありますが、私たちは、どれだけ信じ、そこに賭けているでしょうか。神に似せて創造され、神の愛を受け、神と交わる者として神に創造された私たちです。全能のお方が、私たちに最善をなさらないはずがありません(30)。この方を深く調べ、信じ受け入れ、頼り、任せ、賭けて歩みましょう。

Ⅱ.神の国と神の義とを求めよ(31-33)・・・
1)第一に求めるべきもの。未信者は、この世のことに深い配慮をし過ぎています。世に於ける成功、出世、富、快楽が偶像となっています(Iヨハネ2:15-17)。しかし、それらを神が与えてくださったら、神の喜ばれることに活用しましょう。クリスチャンの信仰が薄く小さくても、神は必要を知っておられるのですから(32)、神に日々委ねましょう(Iペテロ5:7)。
2)神の国とその義を求めよ。「神の国」は、最も大切であり、最も大事であり、最も心を向けるべきことだから、第一に求めるべきことです(33)。ですから、神の国の民としての自覚をした歩みを致しましょう(ピリピ3:20)。「神の義」とは、この世に於ける義ではありません。神に喜ばれる歩みをすることです(ヘブル11:6、ローマ12:1-2)。そうすれば、神は必要を満たされます(33)。

Ⅲ.今日一日に集中しましょう(34)・・・
1)計画的に生きるなと言ってはいません。また、将来のために学び、心を養い、働き、神にある結婚、子ども、家、財産、預金など、これらは不要とも言ってはいません。
2)神に頼って歩みましょう。積極思想や成功主義的思考やこの世の常識などから、自力でそれらを求めて頑張ることをしないようにということです。そうするときに、神への信仰からそれてしまい、少しでも出来ると自分が神になり、少しでも出来ないと心が乱れ、ついには病になってしまうのです。神がすべて必要なものは与え、私に神の最善がなされるために不必要なものを神が取られるのです(ヨブ1:20-22)。3)今日、神を求めよう。まず自分の必要なことを求めてから、神を求めようと考えず、今日求め、今日従いましょう(詩篇68:19)。