2014年12月23日火曜日

【お知らせ】クリスマス キャンドルライトサービス 12/23 開催します

※この記事は、12/23 の「クリスマス キャンドルライトサービス」のお知らせです。

京都信愛教会では今年も、クリスマス キャンドルライトサービスを行います。

ろうそくの灯りの中で、イエス・キリストの生まれた時を想い、
ともに賛美を歌い、聖書の言葉を聴きましょう。

どなたでも入場無料です。聖書のことについて知りたい方、神様がどのようなお方かを知りたい方も、ぜひお越しください。。

詳しい案内は、以下のチラシをご覧ください(クリックすると、大きく表示されます)。


■日時


2014年12月23日(月) 19:00~20:30

■プログラム(キャンドルの灯りの中で)


  • 賛美「きよしこのよる」など
  • 聖書朗読
  • 牧師のクリスマスメッセージ
  • 祈り、献金(自由です)

■場所


日本イエス・キリスト教団 京都信愛教会
京都市北区大将軍坂田町21番地12
TEL(075)461-1938
牧師: 長谷川和雄
副牧師: 長谷川ひさい
※当教会は、伝統的なプロテスタントの流れを汲むキリスト教会です。

2014年10月12日日曜日

主日礼拝「信仰を見せて下さい」

礼拝メッセージ「信仰を見せて下さい」ヤコブの手紙2章18~19節


長谷川和雄師

「信仰も、それと同様に、行いを伴わなければ、それだけでは死んだものである」(17)とありますから、聖書知識を知っているだけではだめです。あなたが変えられなければ意味がありません。聖書は、神を信じ、イエス・キリストを唯一の救い主と信じ受け入れる信仰は、単に心の中や口先だけで終わらないで、その与えられた信仰にふさわしい行動が伴いますと言っています。今、私たちの信仰生活を吟味しましょう。

Ⅰ、信仰と行い…
信仰が救いの根拠であると教えられた者にとって、この箇所は行いを強調しすぎて、律法的だなどと反論したくなるでしょう。その反論の状況が18節以下に記されています。「ある人には信仰があり、またほかの人には行いがある」と反論する人は、自分にも行いがあると自信を持って語っています。反論者はそれぞれの生き方に相違があるのは当然です。ある人には信仰の内面が豊に与えられ、他の人には豊な行いが与えられています。人それぞれに、聖霊によって与えられる賜物が異なっています(Iコリント12:4-10)。だから、信仰と行いとは必ずしも結びつける必要はないのであり、信仰と行いは分けて考えるべきであると反論しているのです。ここで、聖霊の賜物の多様性を否定することではありませんが、十字架と復活の主の愛と憐れみに満ちた御業に対する信仰があるなら、その恵みに対する感謝の応答としての働きが伴うのは当然ではないでしょうか。私たちの信仰は単なる教えを受け入れ、教えの知的な理解にとどまるのでなく、もっと大切なことは、今も生きておられるキリストが、私たちを生かして下さっておられることではないでしょうか。その活ける主が、私たちを信仰の行いへと促しておられることを正しく素直に受け止め、いかに応えてゆくべきかを考え、具体的な行動によって主の愛に応えるものであらせていただきましょう。社会生活の中でクリスチャンとして、キリストを信じる信仰の旗印を明確にして歩もうとする時に、キリストに倣った歩み、信仰に裏打ちされた良い行いが生まれてきます。信仰と行いが、クリスチャンの信仰が内面のこととして終わらないで、偽善ではなく、内から湧き出る、目に見えるものとして表に現れてくることこそ、願わしいクリスチャンの生き方であり、願わしい教会の姿ではないでしょうか(エペソ2:8-10)。

Ⅱ、行いの伴った信仰(19)…
聖書は、知的な理解に留まっている信仰の空しい例を挙げて説明しています。「神はただひとりである」との信仰の教理を正しく理解しましょう(申命記6:4-5)。主も、「主なるわたしたちの神は、ただひとりの主である」(マルコ12:29)と言われました。しかし、悪霊も神がただひとりであることを知り、恐れの叫びをしています(マタイ8:29)。しかし悪霊は、神を畏れ敬う敬虔から、悔改めと服従、神への奉仕に結び付かないのです。しかし、聖書は、神を知っていることと、行いとの分離を否定します(テトス1:16、Ⅰヨハネ2:4)。神の前に真実なクリスチャンは、御子が私たちを愛し、救いに必要な御業を全て成して下さったことに応え、偽善からではなく、誠実で具体的な行いが生まれます。このようなクリスチャンの生き方に、私たちは召されています(Ⅱコリント5:15)。キリストと深い交わりから、第一コリント書13章の愛に照らされると、本当の信仰は深い悔改めと、謙遜が生み出されます。日々、神のみこころを求め、神のみこころに従うクリスチャン生活の歩みをいたしましょう。



教会の各活動


午後は、CS教師会が行われました。


今週~来週の予定


○婦人祈祷会 火曜日(10月14日)10:30~


聖書:Ⅰコリント書10章14節
題:偶像礼拝を避けなさい
説教者:長谷川ひさい師
新聖歌:390、38


○聖書研究祈祷会 水曜日(10月15日)19:30~


聖書:マルコによる福音書12章18-27節
題:生きている者の神
説教者:長谷川和雄師
新聖歌:467、38、465


○主日歓迎礼拝 来週日曜日(19日)10:30~


招詞:詩篇95篇1-3節
交読文:36  詩篇116篇
聖書:イザヤ書12章1-3節
題:神は我が救い
説教者:長谷川ひさい師
新聖歌:8、297、311

2014年10月5日日曜日

主日礼拝「信仰を見せて下さい」

礼拝メッセージ「生きた信仰」ヤコブの手紙2章14~17節


長谷川和雄師

16世紀の宗教改革時代の合い言葉は、「神の栄光のために」や「聖書のみ」「ただ信仰のみ」でした。当時の教会では、救いにはお金が必要と考えました。しかし、宗教改革者たちは、人間の業により救われず、救いの主導権は神にあり、キリストの贖いの御業を信じることが「信仰義認」を得、救いには不可欠であると主張し(アウグスブルク信仰告白第4条、ローマ3:28、ガラテヤ2:16)、主の教えの原点に(マタイ9:2、マルコ5:34)立ち返る運動を行ったのでした。

Ⅰ、神の救いの御業を信じる信仰…
罪人が罪から救われ、神との交わりを回復される道は、ただ贖いの御業を信じることによって救われる道を、神が備えて下さいました。信仰により聖霊が与えられているので善き行いが出来るのです(アウグスブルク信仰告白第20条)。救いは神の憐れみのゆえに与えられる、無代価の恵みであり、神のみこころを行う者が御国に加えられるのです(マタイ7:21)。また、ガラテヤ書では愛の実践が伴った信仰こそが、大切なことですと記しています(5:6)。救いに至る信仰は、単なる知識ではなく、愛の実践が伴う全人格的なあり方であり、具体的な表れが伴い、神を心から褒めたたえる動的なものです。

Ⅱ、あなたの信仰はどのような信仰か…
「自分には信仰がある」(14)という人に、「生きた信仰とはどのようなものか」、「真に信仰と呼ばれるに値するものか」、「神が喜ぶ信仰か」を問いかけています。また、その信仰は神に支えられ、神への応答、賛美と服従、献身のしるしとしての信仰による善行が伴い、兄弟愛の実践が成されます。信仰の実である行いは、神のものとされた者に命じられ、神が受け入れて下さる業です。献げものは、神が救いと、全ての善きものを与えて下さった神の恵みに感謝して献げるものであり、神への服従と献身を表すしるしです。ですから、献げる心が問われるのです。

Ⅲ、愛の行為の伴った信仰…
具体的な例を15-16節に記します。ここでは、肉体的な飢餓で苦しんでいる人が礼拝に出席していて、その人を助けることが出来る信仰者が、具体的な必要に応えないで、言葉だけで慰め、「安心して行きなさい」(16)とユダヤ人の別れの挨拶をしたのです。これは、主が語りかけた言葉で、「平安があるように」という思いを込めた言葉であり、「安心して行きなさい」という言葉でした(ルカ7:50、8:48)。主は人の苦しみを解決した後に、その言葉を語りました。ですから、その言葉にふさわしい愛の行いが伴わない信仰は、死んだ信仰ですと記します。具体的な憐みや愛の行為を伴わないような信仰は死んだ信仰であり、そのような信仰しか持たない教会も、死んだ教会と言われても仕方がありません。私たちの教会はどうでしょうか。神が私たちにして下さつたことを、今度は私たちが私たちの兄弟にしなければならない責任を、信仰者は持っています。クリスチャンの交わりを豊かにするものは、私たちの人間的で不安定な思いや感情ではありません。クリスチャンの交わりを豊かにするものは、神が主によってなして下さり、示して下さった憐みや愛こそが、互いの関係を親しいものにするのです。それは同時に、教会のこの世に対する関わり方とあり方を決定します。そして、聖書が指し示す方向にいくらかでも歩もうとする時に、教会に生きた信仰が与えられるのです。私たちの教会にも、そのことが主によって要請されているのです。



教会の各活動


聖餐にて
午後は、教会役員会が行われました。


今週~来週の予定


○婦人祈祷会 火曜日(10月7日)10:30~


聖書:箴言12章22節
題:偽りのくちびる説教者:長谷川ひさい師
新聖歌:202、390


○京都聖会準備祈祷会 水曜日(8日)19:30~


聖書:ルカによる福音書22章54-62節
題:イエスのまなざし説教者:吉田美穂師
新聖歌:2、98、221


○主日礼拝 来週日曜日(10月12日)10:30~


招詞:ヘブル書10章19-22節
交読文:34 詩篇108篇
聖書:ヤコブ書2章18-19節
題:信仰を見せて下さい説教者:長谷川和雄師
新聖歌:258、282、275

2014年9月29日月曜日

10/26 「ライフ・ライン in 京都 スペシャル」のご案内

※この記事は、10/26の「ライフ・ライン in 京都 スペシャル」のお知らせです。

京都信愛教会ではこのたび、「ライフ・ライン in 京都 スペシャル」を行います。

福音テレビ番組である「ライフ・ライン」の村上宣道牧師をお迎えして、神様と聖書についてのメッセージをしていただきます。

なお、この集会の模様は後日、「ライフ・ライン」でのテレビ報道される予定です。

どなたでも入場無料です。聖書のことについて知りたい方、神様がどのようなお方かを知りたい方も、ぜひお越しください。

詳しい案内は、以下のチラシをご覧ください(クリックすると、大きく表示されます)。


■日時


2014年10月26日(日) 開場14:00 開演14:30

■ピアノ・メッセージ:村上宣道牧師 (むらかみ・のぶみち)


1933年、牧師の家庭に生まれる。
中学二年生の頃、神の存在に疑いを持ち反抗、虚しい青春時代を過ごす。
高校三年生の夏、神の愛にとらえられて回心、伝道者の道を志す。
現在、埼玉県・坂戸キリスト教会協力牧師。
ラジオ「世の光」、テレビ「ライフ・ライン」メッセンジャー。
著書に、説教集『門は開かれている』『そうすれば幸せがくる』などがある。


■「ライフ・ライン」とは


「ライフ・ライン」は、人生の大切な「ライフ・ライン」(命綱)とは何かを、いろいろな方々のお話や聖書から一緒に考えていくテレビ番組です。

  • KBS京都 毎週土曜日 AM6:30~
  • びわ湖放送 毎週土曜日 AM8:00~
  • サンテレビ 毎週日曜日 AM7:00~

「ライフ・ライン」Webサイト http://tv-lifeline.com/


■会場・問い合わせ先


日本イエス・キリスト教団 京都信愛教会
京都市北区大将軍坂田町21番地12
TEL(075)461-1938
牧師: 長谷川和雄
副牧師: 長谷川ひさい
※当教会は、伝統的なプロテスタントの流れを汲むキリスト教会です。

2014年9月28日日曜日

主日礼拝「尊いみ言葉」

礼拝メッセージ 「尊いみ言葉」 ヤコブの手紙2章8~13節

長谷川和雄師

婚約式にて
神が造られた人を差別することは、神の眼差し以外の価値観で見ることであり、自分が神となり、偶像礼拝に等しいことで、教会であってはいけません。クリスチャンが神の戒めに生きるとはどういうことなのでしょうか。

Ⅰ、尊いみ言葉とは・・・
「自分を愛するように、あなたの隣り人を愛せよ」(8) との「きわめて尊い、最高の律法」に従っているかを問題にしています。主も、ひとりの律法学者から、律法の中でどの戒めが一番大切かと問われた時、神を全力で愛することと、自分を愛するようにあなたの隣り人を愛することが、最も尊く大切な教えですと応えられました(マタイ22:35-40)。ヤコブ書は神への愛が中核にあるので、人間関係の問題である隣人愛を問うたのです。

Ⅱ、最高の律法を守れない私たち・・・
この手紙を受け取った教会の問題点は、富んでいるものと貧しいものとを分け隔てをすることでした。それは罪ですと9節で断定しています。どのような意味で、人を分け隔てすることは罪なのでしょうか。1)最高の律法のひとつは、「自分を愛するように、あなたの隣り人を愛せよ」です。ですから、教会がおきてに従って隣人愛に生きる道は、何よりも隣り人で貧しく助けを必要としている人々に、援助の手を差し伸べて、ともに信仰生活をおくることでした。しかし、彼らは富んでいる人たちに媚び、へつらって、貧しい人々を分け隔てし、彼らを一層みじめな状況に追い込んでいました。これは明らかに最も尊い律法に違反していることになり、神のみ心を痛めていたのです。2)彼らは、もし律法を守っていないとしても、それはひとつのことだけだと考えたかもしれません。しかし、自分の好みや都合とか、自分の勝手な判断で、神の意志が込められている律法の一部を軽く考え律法の一部を破ることは、律法全体に違反することと同じです。たとえ「姦淫」していなくても、人の存在を否定し、差別することは、「殺すな」との戒めを犯しています(マタイ5:22)。律法は、全体が守られてこそ意味があります。律法を守れない自分を知ると同時に、誰でも律法の違反者であると分かり、律法を完全に守れないので、誰も救われないのです。だからといって、律法を守らないで良いということではありません。神は、律法を守れない人間を憐れみ、受け入れ、赦し、律法を守り、神と人を愛する者として歩めるようにして下さるために、十字架の贖いのみ業を完成し、主が約束された聖霊を送って下さったのです。

Ⅲ、神の憐みに満たされて生きる・・・
その贖いのみ業は私の罪のためであったと信じて救われた者は、自由の律法に従って生き、憐みをもって生きるようにと教えます(12-13、ローマ11:30-32)。「最高の律法」を守れないとの恐れや諦め、開き直りではなく、神の新しい取り扱いを受け、神の愛に促され、自発的に神の憐みの中で、他者と共に神のみこころに従うことが、新しい自由の律法に生きる生き方です。その生き方を支えるのは、律法を守ろうとする熱心や情熱や力ではなく、守れない者を赦し、生かして下さる神の憐みに生きることです。憐みに生きるとは、苦しみ悩む者と共に、それを分かち合う生き方です。神の臨在を確信し、主の憐みにすがり、主を証しする生き方です。「私があなたがたを憐れんだのだから、あなたがたも憐みをもって生きよ」と、神は私たちに命じておられます。その戒めに聴き従うことこそ、律法を守れず、赦された者の生きる、新しい生き方です。


教会の各活動


キッズレストランにて
午後は、婚約式とCS秋のレクリエーション「キッズレストラン」が行われました。


今週~来週の予定


○婦人祈祷会 火曜日(9月30日)10:30~


聖書:ヤコブ書1章2節
題:喜びと思いなさい
説教者:長谷川ひさい師
新聖歌:248、396

○聖書研究祈祷会 水曜日(10月1日)19:30~


聖書:箴言16章32節
題:怒りをおそくする
説教者:長谷川ひさい師
新聖歌:21、445、414

○主日礼拝 来週日曜日(10月5日)10:30~


招詞:ヨハネによる福音書15章9-11節
交読文:56 ローマ書12章
聖書:ヤコブ書2章14-17節
題:生きた信仰
説教者:長谷川和雄師
新聖歌:9、276、396

中高科特別賛美「ワン・ボイス」「最高の賛美ささげる」



京都信愛教会の教会学校 中高科による特別賛美。

    1. 「ワン・ボイス」 詞・曲:Robert Gay  訳:堀井 栄治
    2. 「最高の賛美ささげる」 詞:Russel Fragar 曲:Darlen Zschech 訳:酒井 知愛

    京都信愛教会では、毎週第2日曜日の礼拝で Blessが会衆賛美のリードをしています。

    また、毎月第4日曜日の礼拝では青年会、婦人会、教会学校、有志月替わりで特別賛美をしています。

    どなたでも、どうぞ礼拝にお越しください。

    2014年9月21日日曜日

    主日歓迎礼拝「神に受け入れられる祈り」

    礼拝メッセージ 「神に受け入れられる祈り」 ルカによる福音書18章9~14節 

    長谷川ひさい師

    有志の証
    祈りは霊的成長の力です。祈るクリスチャンは成長し、祈る教会も成長します。祈っているのに成長していないなら、祈りの生活を見直しましょう。主は、自分を義人だと自任し、他人を見下げている者を見て、パリサイ人と取税人の祈りのたとえから、神に受け入れられる祈りについて教えられました。

    Ⅰ. パリサイ人の祈り…
    パリサイ人は律法を厳重に実行する熱心な信仰者であり、ユダヤの指導者でしたが、自分の義を主張しました。彼らが立ったまま、心の中で祈る祈りも、主はご存知でした(11-12)。礼拝堂に臨在される主は、全てをご存知です。なんと厳粛なことでしょう。パリサイ人の祈りは、形が整った感謝の祈りのようですが、内容は他人と比較して自分を正しいとする、高慢な祈りでした。神の御前で、神の光によって自分を点検しないで、自分の道徳生活の正しさ、宗教生活のすばらしさを訴えているのです(11-12)。これは自己宣伝の祈りであり、神には届きません。それは体を祭壇に近づけただけで、心を神に向けてはいないからです。ですから、神の前に出る者として、自分の心がふさわしくないことが分からなかったのです。祈りは神に心を開いて、「神よ、私の本当の姿を教えて下さい」と祈るとき、神は、み言葉を通して、私たちに本当の姿を教えて下さいます。

    Ⅱ. 取税人の祈り…
    取税人はローマ政府の依頼で、ユダヤの税金を取り立てましたが、不正が多く民の怒りと軽蔑の的でした。そのひとりの取税人が遠く離れてたち、目を天に向けようともしないで祈りました。現在、私たちは目を閉じて、頭を下げ、手を組んで祈りますが、当時は目を天に向けて祈る習慣がありました。しかし、この取税人は目を天に向けることもできず、良心の傷みに耐えかねて頭を垂れ、胸をうちながら神の前に祈りました。その心は自分を正しいとしませんでした。体が祭壇から遠く離れていても、心が神にしっかりと向けられていました。それゆえ、自分がどんなに神の憐れみを必要とする人間であるかを悟り、砕かれた心で、真剣な祈りをささげることができたのです。

    Ⅲ. 神に受け入れられる祈り…
    心の中を見抜いておられた主は、「神に義とされて自分の家に帰ったのは、この取税人であって、あのパリサイ人ではなかった」(14)と言われました。神の目にも、主イエスの目にも不義なる取税人が悔い改める姿が美しく見えました。パリサイ人が自分を誇っている姿は、醜く見えたのです。私たちはどうでしょう。パリサイ人のように、修練や修養によって何かができたこと、過去に行えた実績などを誇り、自分が正しい者であると自分を自分で認め、評価して、人を見下してはいないでしょうか。神は「義人はいない、ひとりもいない」(ローマ3:10)と言っています。私たちはこの取税人のように、神の光の中で自己点検させていただき、自分の醜さ、罪深さ、弱さを心から認めさせていただきましょう。そして、神の御前に心を開き、口と心をひとつにして、「神さま、罪人の私をあわれんで下さい」(13・新改訳)と告白し、祈る者とならせていただき、主に罪を赦していただいて、ここから遣わされて行くなら何と幸いでしょうか。日々、私たちひとりひとりが主の十字架の血潮を崇め、神の憐れみなくしては、主の血潮の恵みがなくては歩めない者であることを覚え、日々の生活の中で、神に喜んで受け入れていただける、心砕かれた祈りをささげてゆきたいと願わされています。


    教会の各活動


    秋のチャペルコンサート(杉山みぎわ先生)
    午後は、秋のチャペルコンサート(杉山みぎわ先生)が行われました。


    今週~来週の予定


    ○婦人祈祷会 火曜日(9月23日)10:30~


    ※祝日のため休会します



    ○聖書研究祈祷会 水曜日(9月24日)19:30~


    聖書:マルコによる福音書12章13-17節
    題:神のものは神に
    説教者:長谷川和雄師
    新聖歌:42、393、396



    ○主日礼拝 来週日曜日(9月28日)10:30~


    招詞:ヨハネによる福音書15章9-11節
    交読文:56  ローマ書12章
    聖書:ヤコブ書2章8-13節
    題:尊いみ言葉
    説教者:長谷川和雄師
    新聖歌:88、182、229

    2014年9月15日月曜日

    9/21 秋のチャペルコンサート(杉山みぎわ先生)のご案内

    ※この記事は、9/21の「秋のチャペルコンサート」のお知らせです。

    京都信愛教会では今年も、秋のチャペルコンサートを行います。

    今回は大阪音楽大学ピアノ科を卒業し、現在は向陽聖書教会牧師夫人でもある杉山みぎわ先生をお招きして、素晴らしいピアノ演奏と神様の恵みのメッセージをいただきます。

    どなたでも入場無料です。聖書のことについて知りたい方、神様がどのようなお方かを知りたい方も、ぜひお越しください。。

    詳しい案内は、以下のチラシをご覧ください(クリックすると、大きく表示されます)。


    ■日時


    2014年9月21日(日) 開場12:30 開演13:00

    ■ピアノ・メッセージ:杉山みぎわ(すぎやま・みぎわ)


    大阪音楽大学ピアノ科卒業。
    現在は声楽や合唱の伴奏者として活動中。
    福音交友会・向陽聖書教会牧師夫人。


    ■予定曲目


    カノン(パッヘルベル)
    主よ人の望みの喜びよ(J.S.バッハ)
    キラキラ星変奏曲(モーツアルト)
    レット・イット・ゴー(アナと雪の女王より)
    アメイジンググレイス
    賛美歌など、その他

    ■場所


    日本イエス・キリスト教団 京都信愛教会
    京都市北区大将軍坂田町21番地12
    TEL(075)461-1938
    牧師: 長谷川和雄
    副牧師: 長谷川ひさい
    ※当教会は、伝統的なプロテスタントの流れを汲むキリスト教会です。

    2014年9月14日日曜日

    Bless会衆賛美「威光・尊厳・栄誉」「正しくきよくあらまし」など



    京都信愛教会の賛美デュオ Blessの二人による会衆賛美リード。

      1. 「威光・尊厳・栄誉」 詞・曲: 阿内源一 (新聖歌166番)
      2. 「正しくきよくあらまし」 詞: Howard A. Walter, 曲: Joseph Y. Peek (新聖歌366番)
      3. 「目には見えねども」 詞: Maud Frazer, 曲: Charles H. Gabriel (新聖歌356番)

      京都信愛教会では、毎週第2日曜日の礼拝で Blessが会衆賛美のリードをしています。

      また、毎月第4日曜日の礼拝では青年会、婦人会、教会学校、有志月替わりで特別賛美をしています。

      どなたでも、どうぞ礼拝にお越しください。

      主日礼拝「己が日を数えよ」

      礼拝メッセージ 「己が日を数えよ」 詩篇90篇1~17節

      長谷川和雄師

      高齢化の進む中、高齢者の孤独死や交通事故死が報じられ、また、余命が計算され、発表されています。そのような中にあってどのように生きたらよいか、「朽ちる人によって書かれた、不朽の詩篇」と言われる詩篇から学びましょう。

      Ⅰ. 人の命のはかなさ(1-6)…
      1) 毎日が繰り返されるように、誕生があれば死があります。「会者定離、生者必滅」(出会った人とは必ず別離の時があり、生あるものは必ず滅びる。仏教の言葉)は、淋しく暗い言葉ですが、現実です。神の永遠性に対し、人間の命のもろさを知ります(Ⅱペテロ3:8)。人生は、洪水がすべてを飲み込んで海に流れるようなものです。寝た時間が8時間でも、ひと時のようであるのと同じです。豊臣秀吉は晩年に、「悲しい、悲しい」と言い、「浪速のことは夢のまた夢」と辞世の句を残しました。人生は、朝に咲き、夕方に枯れる朝顔に似ています。
      2) しかし、私たちの神は永遠であり、主を信じる私たちの内におられることを御霊によって知ることができます(Ⅰヨハネ3:24)。3)人の生き方には、①快楽主義、②物質中心主義、③自己中心の三つがあります。しかし、キリストを救い主と信じる者の人生は、神を我が家としてくつろぎ、心を開いて何でも語り、み言葉に生きる幸いを知ることができるのです。

      Ⅱ. 人の罪に対する神の怒り(7-12)…
      1) 民数記はイスラエルの民の不信仰と不従順、呟きなどに対する神のさばきの歴史が記され、私たちもその歴史から学ぶことができます。
      他人に知られる罪と知られない罪がありますが、神はすべてをご存知です。
      命のはかなさを知らされます(Ⅱペテロ3:8)。墓を見て謙りましょう。人は神の御業を初めから終わりまで見きわめられません。友や親しい者との別れがあり、私たちも忘れ去られることは淋しいことです。しかし、神は私たちひとりびとりを覚えておられます(詩編8:4、イザヤ49:15)。
      2) クリスチャンの喜び。たとえ罪を犯しても、御子による血の贖いを信じ、罪なき者とされるので、自分の正しさではなく、主の血潮のゆえに神の前に立てるのです(Ⅰヨハネ1:7)。神の前に立つ時はヒゼキヤ王のように、ただ憐れみを求めるのみです(イザヤ38:1-5、詩編130篇)。
      3) 神は私たちに永遠への思いを与えられました(伝道の書3:11)。多くの人々は神に生かされている日々を、罪に罪を重ね、肉欲の欲するままに生き、空しく生きています。しかし、主にあって罪の世から救われた私たちは、生かされている日々を大切にする知恵の心をいただき、神を畏れ、神に喜んでいただける歩みをさせていただきましょう。

      Ⅲ. 朽ちる人の祈り(13-17)…
      1) 人生の様々な試みに対し、神の大きな喜びを受けるに相応しい者に変えられたことを覚え、神に期待して祈り待ち望み、乗り越えましょう。しかし、人の不信仰と忍耐の足らなさを覚え、悔い改めて神に帰る時、真っ先に祈り求めるのは、神の憐れみです。
      2) ビ・ゴッドフレー・バックストン師は、「私たちの働きの中で最も大切なことは、私たちの生涯がキリストのごとくなることです。ホーリネスということは単に心が清いということだけではありません。私たちの日常生活、品性、性格、行為がホーリネスでなければなりません」と言われました。人間は無力ですが、神を畏れる者は主の祝福に与り、勝利することができます(ローマ8:37)。私たちの業が祝福されて子孫が救われ、神に栄光を帰することができるのです。

      教会の各活動



      9/15 大塚国際美術館見学ツアー
      午後は、CS教師会が行われました。


      今週~来週の予定


      ○婦人祈祷会 火曜日(9月16日)10:30~


      聖書:マルコによる福音書10章45節
      題:仕えるため
      説教者:長谷川ひさい師
      新聖歌:267、38



      ○聖書研究祈祷会 水曜日(9月17日)19:30~


      聖書:マルコによる福音書11章27-12章12節
      題:何の権威によって
      説教者:長谷川和雄師
      新聖歌:100、206、446



      ○主日歓迎礼拝 来週日曜日(9月21日)10:30~


      招詞:ヘブル書4章14-16節
      交読文:24  詩篇67篇
      聖書:ルカによる福音書18章9-14節
      題:神に受け入れられる祈り
      説教者:長谷川ひさい師
      新聖歌:18、190、198

      2014年9月7日日曜日

      主日礼拝「貧富と信仰」

      礼拝メッセージ 「貧富と信仰」 ヤコブの手紙2章5~7節

      長谷川和雄師

      台湾伝道旅行の壮行会
      初代教会は、比較的貧しい人が多く、必然的に社会的地位は低く、知的な領域でも貧しい人々で構成されていました(Ⅰコリント1:26-28)。

      Ⅰ. 神の選び…
      教会に貧しい者が多かったのは偶然ではなく、神が貧しい者を選ばれたのです。「この世の貧しい人」(5)とは、この世の規準に従って貧しいと評価される人々です。財が少なく、内面的にも確立していないので、社会的に弱く、小さな存在です。神はなぜ救済の業を貧しい者から始めたのでしょうか。選民イスラエルは、他のどの民よりも少なく、貧弱なのに選ばれました(申命記7:6-7)。選ばれた側に、人間的な誇りや優越感などが入らないために、この世的な価値の高さが、神の選びの尺度となっていません。預言者イザヤが貧しい人々に良い知らせを伝えるために神によって選ばれ、神によって油を注がれました(イザヤ61:1)。他にも旧約聖書に、神が多くの貧しい者たちに関心を持ったことが記されています(詩篇9:18等)。また、主の言葉にも貧しい者への神の愛と関心を見ます(マタイ11:5)。

      Ⅱ. 選びの理由…
      神が貧しい者を選び御国を受け継ぐ者として下さり、神は人類全体が神の前には貧しい者であることを自覚することを求めています。貧しい者は、生きる意味を知り、ただ、神に期待し、神の恵みとして受け取ります。人間にとって最善な富は、この世の測りではなく、神が与えて下さる尺度によるのです。神は人間の弱さや貧しさをなくするのではなく、弱さと貧しさを正しく認識することを求めています。自分の貧しさを悟り、神の招きに応じたからこそ、御国を受け継ぐ者とされたのです。弱さや貧しさこそ神の富が宿る場所です。御前に立ち、信仰の賜物を与えられ、神の国を受け継ぎ、新しい命の約束を受けたのは、自分の強さや能力、良い業が御国建設に必要だからではありません。貧しい者に先ず御手を伸ばされたのは、貧しさに生きることへの神の期待があります。しかし、現実の教会は富める者にへつらい、貧しい者への差別的取り扱いや無礼な振る舞い、屈辱的なことが行われていました。富める者は、神が貧しい者を憐れむように憐れみ、神の恵みに感謝すべきでしたが、神の愛に応えず、貧しい者を軽んじ、神の恵みや愛や憐れみ、神の招きや選びを無にしていました。

      Ⅲ. クリスチャン…
      富める者が、貧しい者に容赦しない取立てなどを行い、「キリストの所有された者」(Ⅰコリント3:23)という尊い名のクリスチャンを冒涜し、苦しめ(6)、クリスチャンという名を汚していました(7、使徒11:26)。そんな中でも貧しい者たちは辱めに耐え、信仰を貫きました。何と尊いことでしょうか。ここで富める者が非難されていますが、その富ゆえに神の選びからもれるとか、富める者を苦しめることを認めていません。神は、神が貧しい者を顧みている事実を知り、神の顧みを必要とする弱さや貧しさを、富める者が認め、神の前に謙ることを願っています。教会は、富める者の言動の過ちを明らかにする勇気を持ちましょう。お互いに神の前には貧しい存在であり、神の恵みがなければ真の富は持てないことを、世に示すことが教会の責任です。クリスチャンとして、人間としての価値をどこに置くのかが問われています。この世ではクリスチャン故に辱しめを受けることもあるでしょう。しかし、この名には終末的な希望があり、真の富が約束されていることを、主にあって確信し、証しするクリスチャンでありましょう。



      教会の各活動



      午後は、教会役員会が行われました。


      今週~来週の予定


      ○婦人祈祷会 火曜日(9月9日)10:30~


      聖書:ピリピ書4章13節
      題:どんなことでもさせて下さる
      説教者:長谷川ひさい師
      新聖歌:388、448



      ○聖書研究祈祷会 水曜日(9月10日)19:30~


      聖書:詩篇90篇14節
      題:すべての日に
      説教者:長谷川ひさい師
      新聖歌:267、338、340



      ○主日礼拝 来週日曜日(9月14日)10:30~


      招詞:詩篇46篇10節
      交読文:49  イザヤ書40章
      聖書:詩篇90篇1-17節
      題:己が日を数えよ
      説教者:長谷川和雄師
      新聖歌:22、229、365

      2014年8月31日日曜日

      主日礼拝「人をえこひいきしない」

      礼拝メッセージ 「人をえこひいきしない」 ヤコブの手紙2章1~4節

      長谷川和雄師

      8/10-11 CSサマーキャンプ
      子どもの嫌いな先生の一つが「えこひいきする先生」です。えこひいきとは、偏見を持ち、分け隔て、差別することです。人に対し真に平等で公平にできないのなら、その行為は愛からではありません。医者の心がけで、「病を見て人を見ず」は幸いです。

      Ⅰ. キリストの栄光…
      「栄光の主イエス・キリストへの信仰」を与えられている者が、もし、教会で分け隔てをしているとすれば(一例が2-3節)、その信仰は問題です(3:17)。
      1) 主をみて人を見ない。あらゆる点で、この世の栄誉とか輝きに比べられないものを持たれた方を、主と信じ、仰ぐ者にとって、地上の富や家柄、権力や学歴などは問題になりません。しかし、あってはいけないことですが、それらを問題にし、えこひいきしている人は、主の栄光を正しく見ていないからです。
      2) 再臨の主。この世をさばき完成するために再臨される主は栄光に輝いています。聖書は、栄光に輝く主の前で分け隔てをすることは、申し開きができるはずがないことを教えています(マタイ16:27、テトス2:13)。

      Ⅱ. 分け隔てを神は喜ばれません…
      もし、教会の体質に人を偏り見るようなことがあるなら、その教会は腐敗し始めています。礼拝出席者の健康状態や身体状況、年齢や性別などを配慮して、相応しい席に案内することはありえます。しかし、教会の受け入れ方が見かけや社会的地位などで差別し、不公平であるなら、神は喜ばれません。聖書を貫いている神のご性格であり特質の一つは、神は社会的弱者を顧み、配慮や援助を促しています(1:27、イザヤ25:4)。主はイザヤ書を引用して、ご自分は貧しい人々に福音を延べ伝えるために、神から遣わされていることを自覚していました(ルカ4:18-19、イザヤ6:1)。貧しさは、その人自身の責任というよりも、社会的な構造によって生み出され、押し付けられている場合が多いので、特別に顧みられました。神は身分や地位などで分け隔てをしたり、どのような者をも偏りみないで、福音の宣教をされました(ヨブ34:19、申命記10:17-18、ガラテヤ2:6)。人を偏り見ることをなさらない方でしたから、私たちも神の恵みによって救いに入れていただいたのです。人をえこひいきすることは、神によって罪人が赦され神の子とされるということを否定することに結び付くことになり、えこひいきをしてはいけません(2:9)。

      Ⅲ. 神の教会…
      教会は人を分け隔てしてはいけません。それは、教会がキリストを頭とする一つの有機的な結び付きをもったからだだからです。一つのからだですから、そのからだには色々な働きを持った肢体が存在します。その違いによって存在価値の違いは生じません(Iコリント12:12-27)。教会には、社会的な影響力、存在の重さなどが異なる人など、様々な立場の人々が集められています。もし、教会において貧しさや弱さのゆえに、この世の苦しみを受けていて、教会で慰めや希望を見いだそうと願っているのに、教会でこの世以上に屈辱と痛みを受けることがあったなら、キリストのからだなる教会とは言えないのに、現代の教会には人を分け隔てする体質が残っています。峯田良雄氏(ノーマン・ヨシオ・ミネタ氏。米国政治家、元商務・運輸長官)が、同時多発テロ対策に人種差別を拒否し多くの非難を受けましたが、最後まで勇気を持って毅然として平等の検査強化で対応しました。主にあって、日々十字架を仰ぎ、神の前に真実な教会として歩み、キリストを頭とする教会であらせていただきましょう。



      教会の各活動



      午後は、青年会(例会)が行われました。


      今週~来週の予定


      ○婦人祈祷会 火曜日(9月2日)10:30~


      聖書:マラキ書1章13節
      題:心からの礼拝
      説教者:長谷川ひさい師
      新聖歌:2,154



      ○聖書研究祈祷会 水曜日(9月3日)19:30~


      聖書:マルコによる福音書11章12-26節
      題:クリスチャン生活
      説教者:長谷川和雄師
      新聖歌:2、203、211



      ○主日礼拝 来週日曜日(9月7日)10:30~


      招詞:イザヤ書45章22節
      交読文:14  詩篇37篇
      聖書:ヤコブ書2章5-7節
      題:貧富と信仰
      説教者:長谷川和雄師
      新聖歌:494、340、300

      2014年8月24日日曜日

      主日礼拝「純正な信仰」

      礼拝メッセージ 「純正な信仰」 ヤコブの手紙1章26~27節

      長谷川和雄師

      婦人会の特別賛美
      純正な信仰からずれている信仰とは、口先ばかりで、信仰深いクリスチャンのような身振りをしますが、心の悪を外に表してしまう、空しい信仰のことです。純正で健全な信仰生活は、十字架の恵みと主の愛の中に生かされ、身の純潔を守ります。

      Ⅰ. 熱心な信心・宗教心…
      1) 「信心深い」(26)は、新改訳では、「宗教に熱心」となっています。「信心」は、神仏への信仰心の意味で用いられ、「信心が篤い」とは、信仰の対象は問わず信仰に熱心であり、あらゆることを信仰的に考えることを意味します。また、「いわしの頭も信心から」などと、皮肉が込められています。
      2) 純正な信仰は、心において大切にしている信頼、確信、希望などを形に表します。純正でない信仰は、礼拝を厳守することなど、外側に見える信仰の行為や宗教儀式などを守り、自分は信心深いと思います。また、完全とは思わなくても、人と比べて自分の信仰は優れており、人の目にもそのように映っていると思います。その様な人は、兄弟たちとの関係において舌を制することができないで、兄弟たちの心を傷つけても平気です(ヤコブ3:9-10)。御霊の人は十字架を仰ぎ、神の愛に感謝し、自分で定めた基準の正しさに立ちません。しかし、神の助けを求めているようであっても神を利用しても平気でいる肉の人は、「自分の心を欺いて」いるのです。そのような信心は空しく(26)無意味です(26・共同訳)。

      Ⅱ. 愛の実行…
      神の眼差しの中で神が喜ばれる、きよく汚れのない信心とはどのようなものでしょうか。純正な信仰によって礼拝し、神のみこころにかなった信仰の行為は、この世に於ける社会的弱者である孤児ややもめへの配慮や援助、彼らと共に生きる愛のわざとなります(27、詩篇68:6)。現代に於ける社会的弱者の世話をすることは、震災や災害などで苦労している人々、生活が困難な状況で助けを必要としている人々を心にかけ、訪ね、見舞い、励まし、援助することです(マタイ25:31-41)。このような社会的弱者を助ける奉仕を回復することが、現代の教会の課題です。

      Ⅲ. 身の純潔を守る…
      神に愛され、罪を赦され、主にあって新生し、神の価値観に生かされているクリスチャンとして、神の前に純正な信仰を貫き、世の汚れに染まらないで、身をきよく保つには(27)、社会生活の中で、この世の基準に流され支配されず、また、悪の力に負けることのない歩みができるのです。しかし、この世の基準は、自己本位であり、利益追求主義であり、快楽主義から生じています。その様なものから生じる成果主義は、競争心をあおり、他者を犠牲にしてでも自分を豊かにしようとしてしまいます。主にあって、クリスチャン同士が、この世の流れに流されないで、互いに助け合い、互いに仕え合う喜びを主にあって回復する歩みをしましょう。私たちは、この世の汚れた社会から逃避するのではなく、世の光、地の塩として、十字架の恵みに生かされた、純正で健全な信仰を主によって保ち、主に生かされて福音宣教に励み、光の子らしく歩みましょう(エペソ5:8)。



      教会の各活動



      午後は、CS教師会が行われました。


      今週~来週の予定


      ○婦人祈祷会 火曜日(8月26日)10:30~


      ※8月は休会します



      ○聖書研究祈祷会 水曜日(8月27日)19:30~


      聖書:マルコによる福音書11章1-11節
      題:柔和な王の入場
      説教者:長谷川和雄師
      新聖歌:242、143、465



      ○主日礼拝 来週日曜日(8月31日)10:30~


      招詞:ローマ書12章1-2節
      交読文:56  ローマ書12章
      聖書:ヤコブ書2章1-4節
      題:人をえこひいきしない
      説教者:長谷川和雄師
      新聖歌:8、324、聖歌201

      2014年8月17日日曜日

      Bless特別賛美「赤いバラ」「鹿のように」など



      京都信愛教会の賛美デュオ Blessの二人による特別賛美。

      1. 「赤いバラ」 詞・曲: 山内修一 (友よ歌おう50番)
      2. 「鹿のように」 詞・曲: Martin J. Nystrom
      3. 「神の国と神の義を」 詞・曲: Karen Lafferty
      4. 「ハレルヤハレル」 詞・曲: Bless

      京都信愛教会では、毎週第2日曜日の礼拝で Blessが会衆賛美のリードをしています。

      また、毎月第4日曜日の礼拝では青年会、婦人会、教会学校、有志月替わりで特別賛美をしています。

      どなたでも、どうぞ礼拝にお越しください。

      主日歓迎礼拝「ここに愛がある」

      礼拝メッセージ 「ここに愛がある」 ヨハネの第一の手紙4章7~11節

      長谷川ひさい師

      私たちは見えることに関心を払いやすのですが、見えない心を大切に守りましょう(箴言4:23)。人は愛を求め、愛を必要としています。ドイツの詩人は「愛されないということは、この世の地獄だ。しかし、愛することが出来ないということは、永遠の地獄だ」と言いました。しかし、人は愛を求めますが、愛に裏切られ、愛は憎しみに変わり互いに憎んできました。可愛さ余って憎さ百倍となるのです。愛することが出来ないことは本当に辛いことです。

      しかし、罪人を永遠に変わらず愛して下さるばかりか、いのち懸けて愛し、私たちを裏切らず、私たちを生かし、新創造して強くし、永遠の世界に連れて行って下さることの出来る、真実の愛がキリストの中にあるのです(10)。

      Ⅰ. 神の愛は、キリストに現された絶対無条件の愛です…
      神の愛は、人間の裏切る愛や、条件付の愛ではなく、無条件の愛をもって私たちを愛して下さるのです。私たちが神を愛したのでなく、神が罪深い人間を愛し、神ご自身が罪のために贖い供え物として御子をこの世に遣わし、身代わりとなって死んで下さったことによって、神の愛を示しました(ローマ5:8、Iヨハネ4:10)。私もパウロやヨハネのように、キリストを通して示された神の愛を受け取ることが出来ました。神に捨てられ、愛されていない人はひとりもいないのです。この世の最大の不幸の原因は、神の愛を知らないからではないでしょうか。

      Ⅱ. 神の愛は、十字架で示された犠牲を払う愛です…
      主は、罪深い私たちひとりひとりを愛するあまり、私ちが受けなければならない罪の刑罰を身代わりに受けて死んで下さいました。そればかりではなく、善い事をしたい、愛し合いたい、悪いことは止めたいと思っても、それらを行うことの出来ない罪の奴隷だった私たちを神は愛し、罪の奴隷から「ご自分のいのち」という代価、身代金を払って罪の奴隷から自由の身となるために買い戻して下さったのです。罪が赦されて、神の前に罪を帳消しにしていただいて、この世で胸を張って生きて行けることは何とすばらしいことでしょうか「御子イエスの血が、すべての罪からわたしたちをきよめるのである」(Iヨハネ1:7)。そんな主は、私にしっかりつながっていなさい。私もつながっていますと言われました。み言葉によって主にしっかりとつながっていましょう(ヨハネ15:5,7)。

      Ⅲ. イエス・キリストの十字架の愛は、新しいいのちを与えるために、本当によみがえった、本物の救い主の愛です…
      主は十字架の上で、「父よ、彼らをおゆるしください。彼らは何をしているのか、わからずにいるのです」(ルカ23:34)と罪人の私たちを、父なる神に執り成して下さって、私たちの身代わりとなられました。また、「わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか」(マルコ15:34)と神に見捨てられたことを叫び、私たちの代わりに罪の刑罰と呪いと辱めを引き受けて下さいました。そして、3日目によみがえり、私たちと共にとこしえまでも共にいて下さいます。なんと感謝な事でしょうか。私自身が自分の罪を認めて、主の十字架は私の身代わりであったことを信じ受け入れた時に、新しいいのちが与えられ、生きる使命と力が与えられ、「わたしは限りなき愛をもってあなたを愛している」(エレミヤ31:3)と変わることのない真実の愛をもって愛し、真実を尽くして共に歩んで下さいました。神の愛を、心に素直に受け入れましょう。



      教会の各活動



      午後は、壮年会(親睦会)と婦人会(例会)が行われました。


      今週~来週の予定


      ○婦人祈祷会 火曜日(8月19日)10:30~


      ※8月は休会します



      ○聖書研究祈祷会 水曜日(8月20日)19:30~


      聖書:マルコによる福音書10章46-52節
      題:何をしてほしいのか
      説教者:長谷川和雄師
      新聖歌:264、38、282



      ○主日礼拝 来週日曜日(8月24日)10:30~


      招詞:ヨハネによる福音書4章23-24節
      交読文:9  詩篇27篇
      聖書:ヤコブ書1章26-27節
      題:純正な信仰
      説教者:長谷川和雄師
      新聖歌:264、428,429

      2014年8月10日日曜日

      Bless会衆賛美「罪深きこの身を」



      京都信愛教会の賛美デュオ Blessの二人による会衆賛美リード。

      1. 「罪深きこの身を」 詞: Russell K. Carter, 曲: Stephen C. Foster (新聖歌359番)

      京都信愛教会では、毎週第2日曜日の礼拝で Blessが会衆賛美のリードをしています。

      また、毎月第4日曜日の礼拝では青年会、婦人会、教会学校、有志月替わりで特別賛美をしています。

      どなたでも、どうぞ礼拝にお越しください。

      主日礼拝「み言葉を行う人に」

      礼拝メッセージ 「み言葉を行う人に」 ヤコブの手紙1章22~25節

      長谷川和雄師

      み言葉に耳を傾けることは神の命令であり(申命記20:3)、信仰はみ言葉を聞くことから始まり(ロー
      CSサマーキャンプ
      マ10:17)、誠実にみ言葉に接するときに心に喜びが生まれます(詩篇19:8-9)。み言葉を聞くだけでなく、神が何をなして下さったかを深く知って、み言葉の導きに従って、行うべきことを行いましょう。

      Ⅰ. み言葉に聴く…
      1) 聞くと聴く。
      ①「聞く」とは、一般に自然に聞こえて来るものを聞きとり、何かを感じ、心を動かされることもありますが、聞き流しても構わない聞き方です。
      ②「聴く」とは、注意深く耳を傾け、理解しようとし聞く聞き方です。聞く人の意思が伴い、人格を傾け、聞いたことに従う行動が起こり、新しい生き方をする決断が迫られる聞き方です。
      2) み言葉を行う。主もみ言葉を聴いて行うことの大切さを教え (マタイ7:21-26)、パウロも記します(ローマ2:13)。み言葉を正しく聴くとき、新しい行動に導かれて実行する者が神の前で正しい者とされます。

      Ⅱ. み言葉を聞くだけで行わない者…
      1) み言葉を忘れる者。み言葉によって自分の姿を示されても、一時的な感激や感動に終わらせ、み言葉から離れたら忘れることは、神を無視することです。
      2) 自分を欺く者。み言葉を通して、自分の生きるべき新しい方向が示されながら、それに従わないことは真実な歩みではなく、自分を欺くことです。
      3) 自由の律法。み言葉は神の言葉です(ヨハネ1:1)。神の愛による救いと赦しが示され、新しい命の希望と約束があります。ですから、熱心にみ言葉の語りかけに集中しましょう。その時、自由な生き方に導かれます。主にあっては、み言葉を聴くことと、み言葉を語ることと、み言葉を行うことは一つのことです。主にあって律法に縛られない真の自由に生きる、完全な人間の姿を見ることができます。4)み言葉に生きる。み言葉を深く心にとめ、み言葉に生きる人は、罪やこの世の歪んだ価値観から解放され、自由な生き方が生まれ、主の心を心とした歩みがなされることによって(ピリピ2:21-26)祝福されます。

      Ⅲ. 注意点…
      「み言葉を聞いて行う」を学んだ時に起こりやすい誤った反応。
      1) 「自分にはできない」と考えない。皆が同じ言動することを求めてはいけません。全体主義が大切なのではなく、各自が神と真剣に向かい合い、み言葉を聴く中で示されて選び、決断し、その人自身にふさわしいみ言葉への応答をすることです。
      2) 社会的実践、社会的活動。信仰者や教会のあり方として、ひとりよがりな活動を絶対的にしないことです。み言葉に相応しい福音的な行動は、祈りを込めて聖霊に導かれ、各自に与えられている賜物に応じて生まれて来るものです。
      3) 他の人の歩みを裁かない。行為は他人の目に見えますが、自分の目に他人の全ての行いが見えているわけではなく、目に見えない所でみ言葉を実践しているかも知れません。4)各自が自分自身に神が語りかけたこととして、み言葉に熱心に聴くことによって、自分は今「神に何を求められているか」を明確にしましょう。また、自分の中で聴くことと、行うことはどのように結び付いているか問い続けましょう。聖書は、「御言を行う人になりなさい」(22)と主に在って勧めています。私たちはみ言葉の光の下で、自分自身のあり方を吟味し、検討することを求められています。み言葉による真摯な吟味と自己検証、そして、祈って従う行為によって、神が、私たちの向かっていくべき方向を明確にして下さいます。



      教会の各活動



      CSサマーキャンプ
      午後は、CSサマーキャンプ(関西セミナーハウス)が行われました。


      今週~来週の予定

       

      ○婦人祈祷会 火曜日(8月12日)10:30~


      ※8月は休会します



      ○聖書研究祈祷会 水曜日(8月13日)19:30~


      ※休会します



      ○主日礼拝 来週日曜日(8月17日)10:30~


      招詞:ヘブル書10章19-22節
      交読文:59  Ⅰヨハネ書4章
      聖書:Ⅰヨハネ書4章7-11節 中心10
      題:ここに愛がある
      説教者:長谷川ひさい師
      新聖歌:2、230、216

      2014年8月3日日曜日

      主日礼拝「聞くに早く、語るに遅く」

      礼拝メッセージ 「聞くに早く、語るに遅く」 ヤコブの手紙1章19~21節

      長谷川和雄師

      親しく呼びかけた後で、「よくわきまえていなさい」(新共同訳)と忠告します。私たちがしっかり受け止め、心に留めておくべきことは、「聞くに早く、語るにおそく、怒るにおそく」です。格言や諺に、「話し上手は、聞き上手」「聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥」「短気は損気」などがあります。箴言に、「言葉が多ければ、とがを免れない、自分のくちびるを制する者は知恵がある」(10:19)、「怒りをおそくする者は大いなる悟りがあり」(14:29)など多くあり、聞く重要さ、語ることへの思慮深さ、怒りを制する大切さが教えられています。傾聴ボランティアやいのちの電話等の相談活動でも、相手の思考を妨げずよく聴き、最も良い道を見出すために、心を込めて傾聴することが強調されます。しかし、ここでは新生した者が、「み言葉」を聴く姿勢について教えています。

      Ⅰ. 聞くに早く…
      「早い」は速度に関する概念ですが、ここではみ言葉に対する心の姿勢を問題にしています。自分の主張や期待にそったみ言葉だけを受け入れるのでなく、内なる声を空にして、今語られるみ言葉に対して素直に、従順に、謙りをもって聞くことが「聞くに早く」との意味です。「信仰は聞くことによる」(ローマ10:17)のです。み言葉への謙虚で鋭い感性と従順さが、ここで求められています。

      Ⅱ. 語るに遅く…
      み言葉を聞いた後、語ることは遅くあれと命じます。「おそくあれ」とは、聞いたみ言葉を思慮深く受け止め、正しく理解し、語る相手に相応しく語るようにとの勧めです。それは、み言葉がその人に語りかけることに仕えることです。そのために、聖霊の助けによって話す相手の状況や、信仰の状態を正しくわきまえることが必要です。また、語るべきときを待つ忍耐が必要です。それは、み言葉を語ってはいけないということではありません。み言葉によって自分の主張を押し付け、説得しようとすることを止め、相手の人自身で、神のみこころを聖霊によってみ言葉の語りかけを待つことです。

      Ⅲ. 怒るにおそく…
      1) 聖書は「怒ってはいけません」と記していません。なぜなら、正当な神の怒りが人を悔い改めに導き、永遠のいのちに向かわせました。私たちも、罪や過ちを見たり、神の愛や憐みやきよさが無視されると怒りを覚えます。しかし、み言葉が自分の考えと違うとき、ヨナのように怒ってはいけません(ヨナ4章)。また、カインのように自分のあり方が神に受け入れられないときや(創世記4章)、聞く民のわがままを怒ったモーセになってはいけません(民数記20章)。
      2) 自分の義や主張、世の知恵に満たされて怒ると、み言葉を否定し、神のみこころを正しく受け取ることができず、自分に対する正しい判断ができなくなり、悪魔に機会を与えてしまいます(エペソ4:26-27)。3)人の心の中にある欲望が、様々な悪や汚れた思いを生み出し、み言葉を正しく聞けなくし、み言葉に対し激しい怒りを表してしまうので、主によって欲望を取り除いていただきましょう。

      Ⅳ. 汚れや悪を捨て去る…
      素直にみ言葉の教えを受け入れ、聖書で確認しましょう(使徒17:11-12)。主の血潮は汚れや悪をきよめ、新生に導き、魂を救いに導くみ言葉に、常に心を空しくして聞く姿勢こそが、「聞くに早く、語るに遅く、怒るに遅い」者へと導きます。だから、教会で正しくみ言葉が語られることが何よりも重要で、緊急を要します。私たちはみ言葉に生き、み言葉によって福音を伝えましょう。


      教会の各活動



      教区ティーンズバイブルキャンプのために祈る
      午後は、教会役員会が行われました。


      今週~来週の予定

       

      ○婦人祈祷会 火曜日(8月5日)10:30~


      ※8月は休会します



      ○聖書研究祈祷会 水曜日(8月6日)19:30~


      ※教区ティーンズバイブルキャンプのため、休会します



      ○主日礼拝 来週日曜日(8月10日)10:30~


      招詞:ヨハネによる福音書15章9-11節
      交読文:37
      詩篇119篇
      聖書:ヤコブ書1章22-25節
      題:み言葉を行う人に
      説教者:長谷川和雄師
      新聖歌:237、361、316

      2014年7月27日日曜日

      主日礼拝「いつまでも残るもの」

      礼拝メッセージ 「いつまでも残るもの」 コリント人への第一の手紙13章

      伊藤初師(湖西教会 / 教区講壇交換)


      コリント人への手紙は、色々な問題の指導のために書かれていますが、13章では雰囲気が変わり、美しい詩の世界のような印象を受けます。12章で教会での賜物について記し、コリントの教会の人々には様々な賜物があり、その賜物が教会の益にならず混乱していました。賜物は自分のために用いるものではなく、教会全体のために用いるものであり、色々な賜物の中で最も大切な賜物が「愛」ですと13章で記します。その1-3節では愛がなければ、どんなよい賜物を持っていても生かされず、良い結果を生まないと記しています。この愛こそ、私たちが他のどの賜物にも勝って本当に求めなければならない愛とはどのようなものなのでしょうか。

      Ⅰ. 変わることのないもの(4-7)。

      「愛」という言葉が氾濫していますが、聖書は、まず「愛は寛容である」と記します。新共同訳では、「愛は忍耐強い」と訳され、その意味は「感情を爆発させるまでに長い時間をかける」「相手に対してすぐに怒らない」です。人に忍耐をもって接することです。「愛」と「好き」の区別が曖昧ですが、「愛する」と言う時、「好き」という意味にもとられますが、聖書が示す愛は好きと同じではありません。それは、私が好き、と「私」が主語ですが、本当の愛は「あなた」が主語です。自分の気持ちを押し殺し、強い意志と忍耐が伴い、持続的で、変わらない心のあり方です。この愛は、神の子イエス様が十字架にかかられ、具体的に示されました。主は私たちの罪の身代わりとなって十字架に架かる使命を知り、父なる神のみこころに従い、救いのために貫く意志の表明です。十字架をとおして神の愛を明確に見ます。神からの賜物である本当の愛を受け取りましょう。私たちは十字架の愛を見続け、その愛によって、練られて整えられ続けて行かなくてはならないものです。

      Ⅱ. 廃れることのないもの(8-13)。

      聖書は預言や異言、知識という賜物と、愛とは本質的に違うと記します。それは、廃れてゆくものと、廃れず永遠に変わらないものの違いです(8-9)。それらはどのようにして廃れるのでしょうか。古くなって廃れるのではなく、「全きもの」「完全なもの」が来ることによります。主が再び来られ救いの完成の時、今持っている地上で得たものが、少しも役に立たず廃れてしまいます。それは暗闇に必要な懐中電灯のようなものです(10)。私たちは神から色々な賜物をいただいていますが、廃れないものを大事にしましょう(11)。12節の譬えの鏡は金属をよく磨いて作られ、最高級の物でもぼんやりと映せませんでした。今、救いに与り、天国の前味を知る者とされていますが、救いの完成の時が完全に見えていません。神は今も、完全な愛をもって私たちを愛して下さっていますが、私たちは神の愛をまだ完全に知ることはできていません。しかし、顔と顔を合わせて主と出会った時に、本当に神が私を愛していて下さったか知るのです。私たちの力や才能の有無が問題ではなく、大切なことは何のためにその賜物を、愛をもって使うかが大切なことです。あの時もっと、愛してればよかったと後で思っても、その時にはもう遅すぎます。私たちは、本当に価値のあるものに普段なかなか目が向かない者かもしれませんが、部分的なものに目を奪われ、永遠に価値のある物を見失わないようにしましょう。今のこの時を、愛を表す機会として用い、言葉や行いを通して、真の愛を表し、真の愛である主を証しする者でありましょう。


      教会の各活動



      午後は、青年会(例会)が行われました。


      今週~来週の予定

       

      ○婦人祈祷会 火曜日(7月29日)10:30~


      聖書:エペソ書5章33節
      題:偽りの唇
      説教者:長谷川ひさい師
      新聖歌:231、382



      ○聖書研究祈祷会 水曜日(7月30日)19:30~


      聖書:マルコによる福音書10章32-45節
      題:仕えるために
      説教者:長谷川和雄師
      新聖歌:388,390,397



      ○主日礼拝 来週日曜日(8月3日)10:30~


      招詞:申命記6章4-5節
      交読文:17  詩篇46篇
      聖書:ヤコブ書1章19-21節
      題:聞くに早く、語るに遅く
      説教者:長谷川和雄師
      新聖歌:2、(賛美歌21)497、316

      2014年7月20日日曜日

      Bless会衆賛美「威光・尊厳・栄誉」「慕いまつる主なるイエスよ」など


      京都信愛教会の賛美デュオ Blessの二人による会衆賛美リード。

        1. 「威光・尊厳・栄誉」 詞・曲: 阿内源一 (新聖歌166番)
        2. 「慕いまつる主なるイエスよ」 詞: Thomas A. Dorsey, 曲: George N. Allen (新聖歌191)
        3. 「わが胸に響く歌あり」 詞: W. M. Lighthall, 曲: Charles H. Gabriel (新聖歌260)

        京都信愛教会では、毎週第2日曜日の礼拝で Blessが会衆賛美のリードをしています。

        また、毎月第4日曜日の礼拝では青年会、婦人会、教会学校、有志月替わりで特別賛美をしています。

        どなたでも、どうぞ礼拝にお越しください。

        主日礼拝「思い違いをしてはいけない」

        礼拝メッセージ 「思い違いをしてはいけない」 ヤコブの手紙1章16~18節

        長谷川和雄師


        神への思い、期待、疑問などは人によって異なりますが、自分勝手に考えると大きな危険が伴いま す。だからヤコブは「思い違いをしてはいけない」と警告しています。「クリスチャンの成長を阻む12の誤解」に、「自分の必要を満たすことは自己中心である」との誤解に対し、著者はヤコブ1章17節で説明しています。「女性が信じる40の嘘」に「神は私を愛していない。夫に従えば私は惨めになる。私は苦しむ必要がない」など40の思い違いを記しています。この聖書箇所の思い違いは、人が誘惑に陥り罪を犯すことを神の責任にすることです。後の事柄との関係で神が下さるものはすべて良いもので、人を生かし滅びに至らせるものではありません。この点について思い違いをしてはいけません。

        Ⅰ. 思い違い…
        神に帰すべきことと自分自身に帰すべきことを混同し、思い違いをしてはいけません。
        1) 誤った神理解や神認識は、見当違いの失望や高慢を生み出し、永遠の命からもれてしまいます。
        2) 当時のユダヤ人は、天体は命をもった生きものと理解し、造り主なる神を賛美せよ、と呼びかけました(詩編148:3)。天体の変化を、光の源である神ご自身の移り変わりと捉え、人間の暗い部分や悪の部分は、神に責任があると考えました。
        3) 聖書は、人間が誘惑に負ける責任を神に押しつける思い違いをしてはいけないと記します。

        Ⅱ. 神は常に真実です…
        人間が不真実で不誠実であっても、神は常に真実です(Ⅱテモテへ2:13)。
        1) 神の真実は、愛、慈しみ、憐み、救いの意志、人との関係において変わらないものを持っておられる、ということです。ですから、神が私たちに与えて下さるものはすべて良いものです。
        2)
        ①神からの良い贈り物、完全な賜物とは神の独り子です。人を生かし神と交わりを回復し、救いの確信を与える神の恵みです。
        ②私たちは、神の恵みにより神を知るようになったのです(Iコリント4:7)。
        ③人は、神を正しく知らないので、自分をも正しく知ることができず、高ぶったり、絶望してしまいます。思い違いをしてはいけません。父なる神は、私たちがみこころに生きる者となるために必要な永遠の命やものを与え、希望を持って生きることが出来る者となるために必要な良きものを、惜しみなく与えて下さいます(マタイ6:8、7:11)。
        3) 真理の言葉である御子により、私たちは新しい存在に変えられました。真理とは、単なる客観的な事実の正しさ、科学的な事実、不変的事柄という意味ではありません。神と自分を正しく知ることによって、神から信頼されるに足るもの、生かされ希望を抱けるものなのです(ヨハネ14:6)。罪に誘惑されてしまう私たちですが、真理のみ言葉、御子を通して死ではなく命に、新しく生まれ変わるのに必要な賜物は御子において全て与えられているのです。

        Ⅲ. 被造物の初穂…
        人間がキリストにあって新創造されることが、「被造物の初穂」なのです。
        1) この「初穂」という言葉は、旧約では、イスラエルが神の民として選ばれた事が、後の子孫の選びの初穂でした(エレミヤ2:3)。新約では、主の復活が初穂です(Iコリント15:20)。被造物全体をみこころにかなったものにする救いが、主にあって初穂なのです(ローマ8:19-23)。
        2) 最初に創造し、神が良しとされた状態に造り変えることが神の御業です(創世記1:25)。私たちは真理のみ言葉により救われ、新創造された初穂としての責任と光栄を覚えます。主にあって、私たちの存在を通して、神に神の栄光を現していただきましょう。




        教会の各活動



        ブレスの賛美
        午後は、CS教師会、壮年会(例会)が行われました。


        今週~来週の予定

         

        ○婦人祈祷会 火曜日(7月22日)10:30~


        ※休会します



        ○聖書研究祈祷会 水曜日(7月23日)19:30~


        ※休会します



        ○主日礼拝 来週日曜日(7月27日)10:30~


        招詞:ヨハネによる福音書15章9-11節
        交読文:59
        Ⅰヨハネ書4章
        聖書:Ⅰコリント書13章1-13節
        題:いつまでも残るもの
        説教者:伊藤 初師
        新聖歌:7、216、227

        2014年7月13日日曜日

        特別伝道礼拝「慰めの神がほめたたえられますように」

        伝道礼拝メッセージ 「慰めの神がほめたたえられますように」 コリント第二の手紙1章1~7節

        藤井圭子先生


        藤井圭子先生
        10年振り返る時、娘の結婚、孫の誕生、息子の死、母の介護と死、自分自身の病、と色々ありましたが、神は確かな希望と慰めであり、み言葉に耳を傾け慰めの神をほめたたえます。

        愛する息子を事故で亡くし、ひとりの母として、とてもつらい体験をしました。病気や苦難は、たたりや前世のせいではありません。墓に葬られた主を三日目に甦えなさったことによって、主を信じたものは罪を赦され、神の力によって甦えらされ生きる者になると保証して下さっています。歴史上の事実と実体です。死は甦えりの入り口であり、主の同情は、人間のような一時的感情ではありません。私たちは神からいただく慰めによって、周りの人を慰めることができるようになります(Ⅱコリ1:1-7)。神に涙を拭い取っていただき、神の前に出させていただきましょう(黙示録21:3-4)。

        次に母のことについて、どんな状況の中にも慰めの神はいて下さいます。「お母さん」のひびきに愛、ぬくもり、優しさ、匂い、苦労、悲しみの意味が含まれています。68歳のとき受洗し、その後83歳でアルツハイマー病になり、召されました。母の介護は、人間の努力では出来ませんでした。あるお医者様を通して「患者の世界を壊さないように」という神の愛と知恵をいただいて、介護をさせていただきました。母は、息子の死を理解できない状態でしたが、これも神の最善であると感謝しました。母が体内にいる時から神は白髪になって何も分からなくなっても、持ち運び背負って天国まで連れていって下さいました。主は真の慰め主、救い主であられます(イザヤ46:3-4)。


        伝道集会メッセージ 「確かな希望に生かされて~尼僧からクリスチャンへ~」 ヨハネによる福音書14章1~7節

        藤井圭子先生

        中学生の時、隣のおばあさんが亡くなったことを通して、「なぜ生きているのか」と考え、絶対なるものを求めるようになりました。仏教を学びはじめますが悟れず、学問だけではなく実践や修行が必要だと思い、尼僧になりました。誠心誠意仏門に励みましたが、不安と恐れに襲われるだけで、真理を見出せませんでした。釈迦は悟った偉大なお方でしかなく、仏教には理性に基づいた悟りや哲学であり、観念だけで、何も実体はなく、永遠・絶対・聖なるものはないとの結論に達し、失意のうちに還俗し、医師として故郷に帰ったのです。

        その後、隣りに建った教会の献堂式に招かれ、出席しました。夫との問題を神に祈りましたが、自分の理性で解決しようと思い、祈るのをやめました。しかし、問題は解決せず、病弱な夫に愛のある看病をしたいと思ってもできませんでした。愛がなく、夫を赦していない自分に気付かされても、偽善の罪のどん底に追い込まれていきました。そんな時です。神は二度と教会に行くものかと思っていた私をも見放さず、見捨てず教会の特別集会に導いて下さいました。み言葉や賛美を通して、「主を信じたい」との思いが与えられ、そのことを先生に告白しました。神は求める者に、創造主なる神を示して下さいました(ルカ11:9、創世記1:3)。神の前に罪を告白し、イエス様を救い主と信じた時、み言葉を通して罪の赦しの確信をいただくことができました(マルコ2:5、Ⅱコリント5:17)。次の日の朝、神の平安に満たされ、夫の看病に苦痛を感じなくなりました。幼い頃から求めていたものは、すべて主のうちにあったのです。



        教会の各活動



        ブレスの賛美
        午後は、特別伝道集会(藤井圭子先生)が行われました。


        今週~来週の予定

         

        ○婦人祈祷会 火曜日(7月15日)10:30~


        聖書:マルコによる福音書1章35節
        題:祈り
        説教者:長谷川ひさい師
        新聖歌:190,195


        ○聖書研究祈祷会 水曜日(7月16日)19:30~


        聖書:マルコによる福音書10章17-31節
        題:富める者と神の国
        説教者:長谷川和雄師
        新聖歌:221、371,391


        ○主日礼拝 来週日曜日(7月20日)10:30~


        招詞:ピリピ書2章10~11節
        交読文:32  詩篇103篇
        聖書:ヤコブ書1章16-18節
        題:思い違いをしてはいけない
        説教者:長谷川和雄師
        新聖歌:27、365、343

        2014年7月8日火曜日

        【お知らせ】特別伝道礼拝、特別伝道集会を開催します(藤井恵子先生)

        ※この記事は、7/13 の「特別伝道礼拝・特別伝道集会」のお知らせです。

        京都信愛教会では今年、特別伝道礼拝・特別伝道集会を開催します。

        講師は、小児科医であり、尼僧からクリスチャンとなった経歴をお持ちの藤井圭子先生です。

        どなたでも入場無料です。聖書のことについて知りたい方、神様がどのようなお方かを知りたい方は、ぜひお越しください。。

        詳しい案内は、以下のチラシをご覧ください(クリックすると、大きく表示されます)。


        ■日時


        2014年7月13日(日)

        ■特別伝道礼拝 10:30~12:00


        メッセージテーマ「慰めの神がほめたたえられますように」
        聖書(コリント人への第二の手紙1章1~7節)より
        メッセンジャー: 藤井圭子先生
        ※入場無料(礼拝中に献金の時が有りますが、献金は自由です)

        ■特別伝道集会 13:00~14:30


        メッセージテーマ「確かな希望に生かされて~尼僧からクリスチャンへ~」
        聖書(ヨハネによる福音書14章1~7節)より
        メッセンジャー: 藤井圭子先生
        ※入場無料
        ※午前・午後と続けて参加される方の昼食は教会で用意します

        ■場所


        日本イエス・キリスト教団 京都信愛教会
        京都市北区大将軍坂田町21番地12
        TEL(075)461-1938
        牧師: 長谷川和雄
        副牧師: 長谷川ひさい
        ※当教会は、伝統的なプロテスタントの流れを汲むキリスト教会です。

        ■メッセンジャー


        藤井 圭子(ふじい けいこ)

        1936年 広島県呉市に生まれる。
        1961年 広島大学医学部卒業。小児科医となる。
        1963年 尼僧となり、尼僧校および仏教大学専攻科で勉学修行。のちに尼僧校舎監となるが、やがて還俗(げんぞく)。小児科医に復帰し、結婚。二児出産。
        1982年 洗礼を受けて、キリスト者になる。
        1985年 日本キリスト伝道会・巡回伝道者に任命され、国内、海外の諸教会で奉仕し、今日に至る。呉平安教会会員。小児科医。

        2014年7月6日日曜日

        主日礼拝「いのちの冠を受ける者」

        礼拝メッセージ 「いのちの冠を受ける者」 ヤコブ人への手紙1章12~15節

        長谷川和雄師


        「我らをこころみにあわせず」との主の祈りは、マタイとルカの福音書に記されています。新共同訳では、「誘惑に遭わせず」と訳されています。この試みと誘惑の違いについて考えましょう。

        Ⅰ. 試みと試練…

        1) 原語。
        「試練」や「誘惑」と訳されている原語は同じですが、文章の意味や、前後関係や文脈などを踏まえ、「試み」や「誘惑」と訳します。それは、性格や本質が異なる言葉だからです。
        今日の箇所では、「試練」(12)が、13節以降「誘惑」に変わり、使い分けられています。

        2) 試練とは。
        「試練」は、信仰を鍛練し、成長させるために神が与え、患難や困難、苦悩、また悲惨の形で臨みます。
        しかし、「試練」は人に罪を犯させるように働かず、神に固い信頼を寄せて生きることを教えるため、神が与えるものです。時には、信仰者に物質的、精神的、信仰的に危機的状況を生じさせます。
        「試練」を切り抜けると、霊的に強められ、豊かにされ、神の国の一員に相応しい者へと造り変えられ、神に在って生かされることの喜びが増し加えられます。ですから、2節で試練を喜べと記し、試練と幸いが結び付き、「いのちの冠」(12)の約束が記されているのです。このいのちとは、いのちそのもの、新しいいのちのことで、それが与えられると救いの確信に導かれます。

        Ⅱ. 誘惑に負けるとは…

        1) 試練の意味。試練により信仰がぐらつき、神への疑いや怒りを覚えることもあります。しかし、信仰者は神のみこころと新しいいのちを求める心があるので、時が来ると試練は神のみこころであり、神は私たちを離さず、信仰を練り、鍛え、神に近付く者に導きたいのだと悟り、信仰が強められます。
        2) 誘惑に陥る。人間はその一方で神に逆らう肉的な側面があり、神からの自由を求め、自分が神になり、神を思い通りに支配しようとする欲望を持っています。この欲望が行動を起こし、神から離れることになります。「誘惑に陥る」(14・共同訳)姿は、この肉的側面で支配的な生き方です。
        3) 誘惑に負ける。「誘惑」は、人の内に入り具体的欲望を刺激し、その欲望のままに走らせます。欲望は普段隠れていますが、表に現れ欲望がその人の意志となり、人生全体を支配し、誘惑に陥いるのです。その結果、人を神から離れさせ、み言葉を聞かせなくし、神なしで済ますことに喜びを見出します。それは初めのうちは成功しますが、大きな落とし穴なのです。

        Ⅲ. 信仰者の選びとる道。

        1) 欲望は誘惑に、誘惑は罪に、罪は死に至る鎖となります。誘惑に陥ると人を神から引き離し、いのちから離れ死に到達するのです。
        2) 神は人を誘惑しません(13)。神は、人に試練を与え、人を鍛錬し、忍耐を養っても、人を誘惑し、ご自分から引き離しません。神は、人をご自分に引き寄せても、離れさせて死に至らせる誘惑をしません。
        3) 聖書は、誘惑はサタンと人の内にある欲望が誘惑し、罪と死の原因となりますと記します。誘惑に陥るのは、人に原因と責任があります。試みや誘惑のない人生はなく、欲望を何一つ持たない人もいません。人の心は神の愛と誘惑の力が戦う戦場です。しかし、神の愛を知る者は欲望・誘惑・罪・死の連鎖の鎖を断ち切る事を求め、戦います。戦わずして霊的に生きられません。戦いの武器は祈りです。主の願いは人の滅びではなく、悪から守ることです(ヨハネ17:15)。罪深く弱い者であることを認め、神の助けとみ言葉、相応しい知恵を求めて祈り、戦います。誘惑に勝利する者を喜び(マタイ25:11)、「いのちの冠」を用意しておられます。



        教会の各活動



        聖餐式の様子
        午後は、教会役員会が行われました。

        今週~来週の予定

         

        ○婦人祈祷会 火曜日(7月8日)10:30~


        聖書:ヤコブ書1章22-25節
        題:み言葉に従う
        説教者:長谷川ひさい師
        新聖歌:19、316

         

        ○聖書研究祈祷会 水曜日(7月9日)19:30~


        聖書:マルコによる福音書10章13-16節
        題:幼子を祝福される主
        説教者:長谷川和雄師
        新聖歌:104、474、259

         

        ○特別伝道礼拝 来週日曜日(7月13日)10:30~


        招詞:詩篇103篇1-2節  交読文:7 詩篇23篇
        聖書:コリント第二の手紙1章1-7節
        題:慰めの神がほめたたえられますように
        説教者:藤井圭子先生
        新聖歌:21、201、344

         

        ○特別伝道集会 来週日曜日(7月13日)13:00~


        聖書:ヨハネによる福音書14章1-7節
        題:確かな希望に生かされて~尼僧からクリスチャンへ~
        説教者:藤井圭子先生
        新聖歌:209、233

        2014年6月29日日曜日

        主日礼拝「わたしにつながっていなさい」

        礼拝メッセージ 「わたしにつながっていなさい」 ヨハネによる福音書15章1~7節

        長谷川和雄師


        特別賛美: 浜岡典子師
        主との交わりの関係の意味を強調するために、ぶどうの木の譬えを用いました。このテキストは、私たちクリスチャンが生涯において、豊かな実を結ぶために重要なみ言葉の真理を提示しています。自然のままに育った実は小さかったり、美味しくなかったり、少ししか実らなかったりですが、色々と世話をすることにより良い実を結ぶようになります。

        Ⅰ.私たちを育てる神…
        1) まことの葡萄の木。聖書で葡萄の木は、選民イスラエルのシンボルです。神が良い葡萄の木を植えたのに野生化し、良い実を結ばなくなったと預言書に何回も出てきます(イザヤ5:1-4)。これはイスラエルだけでなく、神が人間を神に似せて創造されたのに、与えられた自由意志を濫用して罪を犯し、神に背いていることを表わしています。しかし、私たちがまことの葡萄の木である主につながるとき、甘美な実を結ぶことができます。だから農夫は、細やかに作物の様子を見て色々とお世話をします。ここで農夫である父なる神は、豊かな実を結べるように手入れをします。
        2) 取り除く。この原語(アイロー)は、「持ち上げる」という意味によく使われます。神は、つるである枝が石の上から落ちて根を張らないように、地面から枝を持ち上げて下さるのです。神は私たちを深く愛しておられるので、この世から分離できるようにして下さり、しっかり主と結ぶ事ができるようにして下さり、新しい命を注いで主の愛で満たし、強く生きるようにして下さいます。
        3) 手入れしてきれいにする。この原語(カタイロー)は、「選定」や「きよめる」との意味です。より良き葡萄を、多く結ばせるための刈り込みです。まず主としっかり結ばれ、きよめられ、価値観を変えられ、何が神の御旨かを教えられた後に、悪習慣や人間関係をきよめて下さいます。

        Ⅱ.主につながり離れない…
        これは主の命令です。父なる神は御子を遣わし、この方を通して、実を結ぶことが出来る、驚くべき恵の道を備えて下さいました。私たちが主にしっかりとつながることも大切なことですが、罪深い私たちを主は見捨てないで愛して下さいます。そして、私たちが主を選んだのではなく、主が私たちを選ばれたのです(16)。ですから、この世に押し流され、世と調子を合わせ、妥協して生きるのではなく、この世で豊かな実を結ぶために、いつまでも、しっかりと主につながり、頼ることです。離れたら滅びです。この世の何にも頼らず、主にしっかりと頼ることです。

        Ⅲ.主にとどまる祝福…
        1) 多くの実を結ぶ。聖霊は樹液に譬えられます。主と私たちが、生きた命の関係の交わりをもつならば、枝は枯れないばかりか、豊かな聖霊の実を結ぶことが出来ます(ガラテヤ5:22-23)。人生の困難、悩み、苦しみが襲い掛かることが有っても、愛と喜びと感謝に溢れ、揺るぐことのない平安のなかを歩むことが出来るのです。
        2) み言葉に生きる。「わたしのことば」を見過ごさないように。人が主と深く交わり、主のみ言葉にとどまり続け、み言葉を信頼して歩み続けることです。日々の生活を通して、この世の言葉や考えではなく、み言葉の真実を体験し、主は生きておられ、主がご真実な方であることを確信することが出来るのです。
        3) 主の御名による祈り。父なる神が 送って下さった主にしっかりつながって神と真実で自由な交わりをし、み言葉を心に蓄え、み言葉の約束にしっかり立って、主の御名によって祈るとき、豊かな実を結ぶのです。


        教会の各活動



        午後は、初夏のチャペルコンサート(浜岡典子師)が行われました。

        今週~来週の予定

         

        ○婦人祈祷会 火曜日(7月1日)10:30~


        ※教区婦人部修養会のため、休会します


        ○聖書研究祈祷会 水曜日(7月2日)19:30~


        聖書:詩篇119篇67節
        題:苦しみ
        説教者:長谷川ひさい師
        新聖歌:211、316、373


        ○主日礼拝 来週日曜日(7月6日)10:30~


        招詞:マタイによる福音書11章28-30節
        交読文:23  詩篇66篇
        聖書:ヤコブ書1章12-15節
        題:いのちの冠を受ける者
        説教者:長谷川和雄師
        新聖歌:154、444、(賛美歌21)411

        【お知らせ】初夏のチャペルコンサート 6/29 開催します

        ※この記事は、6/29 の「初夏のチャペルコンサート」のお知らせです。

        京都信愛教会では今年も、初夏のチャペルコンサートを行います。

        今回は牧師夫人であり、シンガーソングライターでもある浜岡典子師をお招きして、
        素晴らしいゴスペルソングと神様の恵みのメッセージをいただきます。

        どなたでも入場無料です。聖書のことについて知りたい方、神様がどのようなお方かを知りたい方も、ぜひお越しください。。

        詳しい案内は、以下のチラシをご覧ください(クリックすると、大きく表示されます)。


        ■日時


        2014年6月29日(日) 開場12:30 開演13:00

        ■賛美・メッセージ:浜岡典子(はまおか・のりこ)


        近江福音自由教会 牧師夫人。3男1女の母。
        シンガーソングライター。ギター教室講師。

        祖母がクリスチャンで、幼い時から教会に行く。
        中学1年の時、北海道から関西に引っ越してから
        は、友だちに誘われ宇治福音自由教会に行き、
        中2の時、信仰を持つ。その後、受験の日に
        父親を交通事故で亡くすという経験を通し、
        キリストと向き合い、信仰が深められた。
        17才で洗礼を受け、その頃から作詞作曲を始める。
        現在は、各地の教会、ミッションスクール、地域の
        保幼小中・デイケアセンター、病院、駅等で、また、
        2011年からは仙台・石巻でも、神様の愛を歌い続ける。

        2011年11月にSCA RECORDSより、待望のオリジナル
        アルバム「IN HIS LOVE」リリース。テレビ番組
        「ライフ・ライン」や、ラジオルーテルアワー「心に光を」、
        世の光の「キンポーデン・アワー」等で曲と共に紹介される。

        http://iesunon.blogspot.jp

        ■場所


        日本イエス・キリスト教団 京都信愛教会
        京都市北区大将軍坂田町21番地12
        TEL(075)461-1938
        牧師: 長谷川和雄
        副牧師: 長谷川ひさい
        ※当教会は、伝統的なプロテスタントの流れを汲むキリスト教会です。

        2014年6月22日日曜日

        主日歓迎礼拝「主を喜ぶこと」

        礼拝メッセージ 「主を喜ぶこと」 ネヘミヤ記8章10節

        長谷川ひさい師


        私たちは喜びと希望と愛に溢れ、罪や多くの試練に打ち勝つ力強い人生を歩むにはどうしたらよいでしょうか。

        Ⅰ.人生の困難…
        1) 試練。「花の命は短くて、苦しきことのみ多かりき」と林芙美子は言いましたが、私たちの周りには家族問題、金銭や病の問題など、何処を見ても苦しみや試練で囲まれ逃れられませんが、これらの試練を乗り越える力を得られないでしょうか。
        2) 孤独。人生の孤独も大変です。人類は素晴らしいい医学を生み出し寿命が延びましたが、皆死を迎えます。死を目前にした時は、孤独で頼りのない存在です。自分の存在理由や人生の目的を明確に知ることが出来ず、真実の友を見出すまでは、本当に寂しく孤独で力のない存在です。だから、その孤独に打ち勝ち、輝いた人生を送る力が必要です。
        3) 罪。罪に打ち勝つ人生を送りたいものです。パウロは、「私はかって罪と咎の中で死んだ者であって、今までの古い社会の習慣に縛られ、私の肉の欲の思うままに引っ張り回され、悪魔のもとにある者でした。ああこの惨めな死のからだからどうしたら救われるだろうか。誰が私を救ってくれるだろうか」(エペソ2:1-3、ローマ7:24参照)と叫びましたが、私の叫びでもありました。試練、孤独、罪に打ち勝つ力はどこにあるのでしょうか。

        Ⅱ.愛の神を知る…
        主とは神です。人生に勝利を与えるのは、人間の知恵や知識、教養や財産、名誉や権力でもなく神です。神に目を向け、神を見ることです。人間は真の神でない人間が作ったものを拝み、人間をも神として拝んでいます。しかし神は、そんな私たちひとりひとりを、「わたしは限りなき愛をもってあなたを愛している」(エレミヤ31:3)と言われましたが、歴史的事実として神のひとり子のイエス・キリストご自身を私たちに与えて下さいました。主は、その永遠に栄光に輝く中から、永遠の望みと喜びに溢れる全てを捨てて、私たちの醜い貪欲に溢れ、憎しみと争いの絶えない、この世に遣わされ、汚い所に、人に知られないで生まれて来ました。そして、人間の悩み、悲しみを共にし(イザヤ53:3)、主の知らない涙や苦しみはありません。主はまくらする所も無いばかりか(マタイ8:20)、自ら進んで私たちの罪の呪いを受け、罪の刑罰を十字架の上で受けられ、肉体の苦しみを味わったばかりか、神に捨てられ孤独の死を受けて下さいました。愛の神は、神を知らず、神に敵対する者が、神の前に罪の無い者とされ、神の懐に永遠の望みを与えられて帰ることができるようにして下さいました。

        Ⅲ.主を喜ぶ信仰…
        主を喜ぶ信仰とは神と仲直りすることです。神に敵対し、神に対して無関心のままでは、神の力に与ることは出来ません。神と仲直りするために、まず、心と口が一つとされて、自分が罪人であり、内から何の良きものが出てこないことを認め、心から主に、「私は罪人です。ごめんなさい」と謝り、神と仲直りすることです。次に、イエス様が罪からの救い主であり、真の神であることを認めて、心の底から罪を悲しみ、主の十字架を見上げ、こんなにまで命を投げ出して愛して下さった、神の大きな愛に心から感謝するときに、心の内から喜びが溢れてきます。これが、主を喜ぶことの第一歩なのです。皆さんは、神と仲直りをされておられますか。まだでしたら直ぐ神と仲直りしましょう。残された人生、「主を喜ぶ」信仰に生きる者とされて人生を全うし、神に栄光を帰する者でありましょう。




        教会の各活動



        6/15 「花の日訪問」にて
        午後は、CS教師会と青年会(例会)が行われました。

        今週~来週の予定

         

        ○婦人祈祷会 火曜日(24日)10:30~


        ※教団牧師夫人研修会のため、休会します


        ○聖書研究祈祷会 水曜日(25日)19:30~


        聖書:マルコによる福音書10章1-12節
        題:結婚と離婚
        説教者:長谷川和雄師
        新聖歌:156、504、216


        ○主日礼拝 来週日曜日(29日)10:30~


        招詞:マタイによる福音書11章28-30節
        交読文:55 ヨハネによる福音書15章
        聖書:ヨハネによる福音書15章1-7節
        題:わたしにつながっていなさい
        説教者:長谷川和雄師
        新聖歌:21、332、316

        2014年6月15日日曜日

        主日礼拝「父たる者よ」

        礼拝メッセージ 「父たる者よ」 エペソ人への手紙6章4節

        長谷川和雄師


        CSから父の日の感謝の時
        父の権威が失われ、子どもたちの道徳が崩壊したと言われる今日ですが、父に対する聖書の教えを学びましょう。育児は妻、夫は仕事との分業型や、娘は妻、息子は夫との分担型夫婦が多い中、父は子女の育児と教育に責任があり、養育、躾は両親の責任であり、父として子どもの従順と尊敬を引き出す責任があることを、聖書は記しています。

        Ⅰ. 子どもを怒らせない訓練。
        1、子どもを感情的に刺激し、興奮、ねたみ、怒り、いら立たせないようにと戒め(コロサイ3:21)、感情面や心理面への心配りを求めています。今日では、腫れ物に触るかのような扱い方を求めています。主の時代、父親の絶対的権利が認められ、嬰児遺棄、子女の奴隷や売春婦への売却、相続拒否、鞭打ち、投獄、致死も許されている時代に、父に対し子どもに対する道を教えるのは画期的でした。
        2、権威の乱用。
        ①自分の欲求満足や、自分の性格に支配され、過度に厳格で性急で、思慮が浅く同情もなく、怒ってばかりではいけません。
        ②真の自由は、他人の自由を尊重します。
        ③正しい定規を用い、差別、思いつきでなく、み言葉に基づいた教育をします。
        ④子どもの本当の幸せを願う父でありましょう。

        Ⅱ. 主にある教育と訓戒。
        1、今日、子どもの素質を伸ばす名目で自由保育が盛んですが、聖書は正しい育て方を教えています。子どもが様々な教えの風に吹きまわされないように、父の愛をもって訓戒や訓練、躾は欠かせません。
        2、父親の教育や訓戒の中に、愛の主のみ顔とみ声を、子どもが感じられるようにしましょう(民数記6:24-26)。愛の主は、ひとりびとりに身をかがめ、下から覗き込むようにして真剣に聞き、話しかけて下さいます。主も子どもを抱き、手を置き(マルコ10:16)、少女の手を取って立たせ(マルコ5:41)、子どもの賛美を受け取ります(マタイ21:15-16)。
        3、「薫陶」の意味は、教育、実践的な訓練、懲らしめ、訓育、教え、戒め、規律です。心身の発達や良い実を結ぶためになされます。
        4、「訓戒」の意味は、教訓、戒め、躾、訓戒・忠告・叱責、言葉による知的な教えです。悪習慣などを矯正するためになされます。主は律法を守り、私たちの罪の刑罰を負い十字架上で死なれました。正しい主にある訓練や懲らしめは、子どもに必要です(箴言13:24)。

        Ⅲ. 父親は神から預かった子どもの養育の責任を持つ。
        1、「育てる」「養う」、成熟するまで、完全にお乳を与え、食べ物を与えなさいと、母親が赤ん坊を抱きお乳を含ませ、暖めてやる育児の姿を、父親にも求められています。父親がもっと体と時間を用い、面と向かって子どもを育てることが命じられています。
        2、主の教育。主は小手先で教えず、愛と信頼をもって相手の人格に接しました。だから、心開き、新生しました。サマリヤの井戸の女(ヨハネ4:6-36)。香油を主の足に塗った罪の女(ルカ7:36-50)。ザアカイ(ルカ19:1-10)。
        3、
        ①養育のための配慮と世話に、多くの時間が必要です。
        ②聖書を生活の中に習慣的に適用し、優しく教えます(ガラテヤ3:24)。
        ③伝記等を共に読み、自らの生活が偽善でなく、愛と真実を持って生活しましょう。
        ④聖書に関する質問には正しく答えます(申命記6:20-25)。
        ⑤祭壇を築き直す。
        4、子どもの健康、知的成長、才気、物的繁栄、社会的地位を求めたり、悲しみや労苦や不幸から免れるようにするよりも、主に忠実に歩めるように育てましょう。神のみこころを知り、神を畏れ、神の臨在を覚え、神を深く知り、神と人に仕える者に育てましょう。



        教会の各活動



        午後は、壮年・婦人・青年合同の会堂大掃除が行われました。

        今週~来週の予定

         

        ○婦人祈祷会 火曜日(17日)10:30~


        聖書:エペソ書5章33節
        題:夫を敬う
        説教者:長谷川ひさい師
        新聖歌:18、341


        ○聖書研究祈祷会 水曜日(18日)19:30~


        聖書:マルコによる福音書9章38-50節
        題:主の弟子の生き方
        説教者:長谷川和雄師
        新聖歌:101、385、429


        ○歓迎礼拝 来週日曜日(22日)10:30~


        招詞:ヨハネによる福音書15章9-11節
        交読文:31  詩篇100篇
        聖書:ネヘミヤ記8章10節
        題:主を喜ぶこと
        説教者:長谷川ひさい師
        新聖歌:18、356、382

        2014年6月8日日曜日

        ペンテコステ礼拝「主の約束された聖霊」

        礼拝メッセージ 「主の約束された聖霊」 ヨハネによる福音書16章7~15節

        長谷川和雄師


        洗礼式
        今日は花の日とペンテコステです。聖霊が降り教会の誕生日です。主の告別説教に聖霊の13の働きが記されています。
        ①14:18「来る」
        ②14:19「見る」
        ③「生きる」
        ④14:20「わかる」
        ⑤14:21「あらわす」
        ⑥14:23「愛し」
        ⑦「一緒に住む」
        ⑧14:26「教え」
        ⑨「思い起させ」
        ⑩15:26「あかしする」
        ⑪16:8「目を開く」
        ⑫16:13「真理に導く」
        ⑬16:14「栄光を得させる」。
        主が去らなければ、聖霊なる助け主は来ません。しかし、いつでも、どこでも、いつまでも共にいて下さる聖霊の臨在は何と幸いでしょう。
        今日は、聖霊の働きの3つを見ましょう。

        Ⅰ.目を開く聖霊(8-11)…
        聖霊は、人の目を開き誤りを認めさせます。
        1) 罪。盗み、殺人、不倫は罪と認めますが、自分は罪人だと認めません。不信仰は罪ではなく、賢く、強い人間だと誘惑します。罪に対し麻痺した良心が、自由を自己中心的に考え、社会を暗く惨めにします。それが罪であると、目を開くのが聖霊です。
        2) 義。人は自分の正しさ、聖さを人と比べて誇ろうとします。しかし、それは神の前に自信がないからです(イザヤ64:6、エレミヤ17:9-10)。主は、パリサイ人と取税人の祈りの譬えで(ルカ18:10-14)、人の正しさ、聖さはどんなに醜いものであるか、罪を真心から認め、悔い改め十字架を仰いだ者を、神は義と認めて下さる事を教えました。このことを聖霊は悟らせて下さいます。
        3) さばき。多くのクリスチャンは、愛の神はさばかない、自分は十字架を信じているから大丈夫と考えつつ罪を重ね、自分の力で良いことを行い、多く献げているから天国に入れると考えます。しかし、深いところでは救いを疑い、他人が自分に行った不義や不正は赦さないで神のさばきが下ることを願います。しかし、聖霊は十字架を通して教えます。
        ①罪に対してさばきがあること(ローマ6:23)。主は、罪の断末魔の苦しみを味わわれました(マタイ27:46)。
        ②主は、私たちの罪のために身代わりとなって、罰を受け十字架上で死んで下さったのです。主の十字架の贖いを信じることによって、罪が赦され、その血潮によってきよめられ、罪を犯さないように造り変えられます(Iヨハネ1:7-2:1)。聖霊が心の目を開き、贖いの御業は自分の為であることを悟らせて下さるのです。人間的な教育によって、心の目は決して開かれません。

        Ⅱ.真理に導く聖霊(13)…
        主が十字架にかかられ、死んで復活し、昇天するまで弟子たちに理解できなかったことを、聖霊が弟子たちに降ったことによって理解できました。
        1) 真理。主に関する真理、主による救いと信仰にかかわるあらゆる真理です。
        ①主の処女降誕・人間として来られ。
        ②十字架の死と復活・苦しみを受け、復活したこと。
        ③昇天・聖霊を遣わし、天にて主が全てのものを支配し、とりなしておられるので祈ることができるのです。
        ④未来のこと・永遠のさばき、御国の栄光と全き支配と豊かさ、希望の復活を、悟ることができます。
        2) 世から憎まれる十字架を、誇るクリスチャンたち(Ⅰコリント1:18)を助けるのが聖霊です(ヨハネ14:16)。全てのクリスチャンが、聖霊の導きをいただいて、十字架につけられた主のあらゆる真理を悟ることができるように祈ります。

        Ⅲ.主の栄光を現す聖霊(14-15)…
        1) キリストを信じ、新しくされた人を通して、神の栄光を現します。聖霊は、主を絶えず教え、主の豊かな命と臨在を示し、主の栄光を現します。この聖霊を豊かに与えて下さるお方を仰ぎつつ、聖霊の満たしを待ち望みましょう。主は聖霊に満たし、神の栄光を現して下さいます。



        教会の各活動


        CS初夏のレクリエーションにて

        午後は、CS初夏のレクリエーション(梅小路公園)が行われました。

        今週~来週の予定

         

        ○婦人祈祷会 火曜日(10日)10:30~

        聖書:コロサイ書3章9節
        題:古い人
        説教者:長谷川ひさい師
        新聖歌:7、427


        ○聖書研究祈祷会 水曜日(11日)19:30~

        聖書:マルコによる福音書9章30-37節
        題:真の偉さとは
        説教者:長谷川和雄師
        新聖歌:264、111、355


        ○主日礼拝 - 父の日 来週日曜日(15日)10:30~

        招詞:ヨハネによる福音書15章9-11節
        交読文:32 詩篇103篇
        聖書:エペソ書6章4節
        題:父たる者よ
        説教者:長谷川和雄師
        新聖歌:22、317、(賛美歌21)546

        2014年6月1日日曜日

        会衆賛美「威光・尊厳・栄誉」「キリストは生きておられる」など



        京都信愛教会の賛美デュオ Blessの二人による会衆賛美リード。

          1. 「威光・尊厳・栄誉」 詞・曲: 阿内源一 (新聖歌166番)
          2. 「今はただそれだけ」 詞・曲: 部田典子(浜岡典子)
          3. 「キリストは生きておられる」 詞・曲: William J. Gaither (新聖歌257番)

          京都信愛教会では、毎週第2日曜日の礼拝で Blessが会衆賛美のリードをしています。

          また、毎月第4日曜日の礼拝では青年会、婦人会、教会学校、有志月替わりで特別賛美をしています。

          どなたでも、どうぞ礼拝にお越しください。

          主日礼拝「真の豊かさ」

          礼拝メッセージ 「真の豊かさ」 ヤコブの手紙1章9~11節

          長谷川和雄師


          ブレスの会衆賛美
          「人は皆死ぬべき存在である」、また、イスラエルの花の命の短さは、命のはかなさをもしみじみ思わされ、また、人として神に生かされていることについて考えさせられます(イザヤ40:7)。クリスチャンが、自分の存在を人々の心に刻むのではなく、神のみ前で受け入れられ、神と共に歩み真の豊かさを教会生活で味わって歩み、与えられている命を全うした後に、死を迎えることができる人生を送ることが出来ることは、なんと感謝なことでしょうか。「軽蔑された貧しい者が自尊心を学び、高慢で富んでいる者が自己卑下を学ぶ」とメイヤーが言いましたが、ヤコブ書を通して、貧富の問題と、真の人間として生きることについて考えましょう。

          I.貧しい兄弟は高くされることを喜ぶ(9)。
          「高くされたことを喜びなさい」「誇り」(新改訳、新共同訳)と、記されていますが、どのような意味でしょうか。
          1) 「低い身分」とは、社会的に身分の低い者、弱い立場にある者の意味です。財産や持ち物の物質的な貧しさ。学識、学歴、技術面などの貧しさ。豊かな心や感受性、想像力に欠ける精神的貧しさ。また、容貌、体格の身体的な貧しさ。仕事の失敗や不成功の多さ。人々から好かれ、愛されることの少ない貧しさなどです。
          2) 自分の本当の貧しさ、自分の弱さや愚かさを知ったときに、絶対者である神に自分を委ねることが喜びとなります。それが「高くされ」の意味であり、そのことを喜び、誇りなさいと勧めているのです。
          3) 主も人間的な貧しさの中に来られ(Ⅱコリント8:9)、この方によって神に近付くことを許され、神の豊かさに与り、新しい命に移されて高くされるのです(ピリピ2:6-9)。だから、主は心の貧しい人は幸いであると言われたのです(マタイ5:3)。この世において貧しさを克服するためには他人の助けも必要でしょう。しかし、神との関係において自分の貧しさを知るときに、新しい道に目が開かれ、死を復活の主に委ね、復活の希望が湧き上がり、死の貧しさの中で喜ぶことが出来るのです。

          Ⅱ.富める者は低くされることを学ぶ(10-11)。
          1) 「富んでいる者は、自分が低くされたことを喜びなさい」とありますが、喜び誇れるのでしょうか。富んでいると思う者は、自分の生命や自分の存在の保障を、地上の何かによって得ていると考え、地上の富を求め続け、富が頼りにならないことを知ることは辛く、挫折を味わいます(詩篇49:16-17)。しかし、神の前にあっては喜ぶべき時です。なぜなら、真の富を手にする時がその人に来たからです。地上の富を失い、苦しむことを通して真理に目覚め、真の富を見出すことになるなら、それは神が与えて下さった試練であると受け止められたなら、2節の言葉の意味がよく分かります。
          2) 富んでいる者を、地上の草花にたとえています(10-11)。富は一時的で、跡形も無く消え失せる死が控えています(イザヤ40:6-8、詩篇103:15-17、Iペテロ1:24-25)。
          3) 一時的なことでなく、永遠のものに目を注ぎましょう(Ⅱコリント4:18)。永遠に続くものは神の言葉、主の慈しみです。「すべての物を豊かに備えて楽しませて下さる神に、のぞみをおくように」(Iテモテ6:17)。草は枯れ、花は散ります。己の無力さを知り、神に望みを置く人は永遠に生きます。主が私たちのために死んで下さったからには、どのような人も無価値では無いのです。神は私たちを愛し、本当の生き甲斐、使命を与え、生きる喜びで溢れさせて下さいます。これこそ本当の豊かさに生きる人の姿ではないでしょうか。






          教会の各活動


          CSの父の日プレゼント作成

          午後は、教会役員会が行われました。

          今週~来週の予定

           

          ○婦人祈祷会 火曜日(3日)10:30~


          ※教区婦人部 湖西祈りの家清掃のため、休会します


          ○聖書研究祈祷会 水曜日(4日)19:30~


          聖書:箴言14章29節
          題:怒りについて
          説教者:長谷川ひさい師
          新聖歌:260、209、324


          ○ペンテコステ礼拝 来週日曜日(8日)10:30~


          招詞:ヨハネによる福音書4章23-24節
          交読文:22  詩篇65篇
          聖書:ヨハネによる福音書16章7-15節
          題:主の約束された聖霊
          説教者:長谷川和雄師
          新聖歌:264、412、408

          2014年5月25日日曜日

          主日礼拝「信仰をもって知恵を求めよ」

          礼拝メッセージ 「信仰をもって知恵を求めよ」 ヤコブの手紙1章5~8節

          長谷川和雄師


          神は、クリスチャンが試練の中を常に神の御前を歩み、神のみこころを忍耐もって行える、完成された者に育てて下さると約束されましたが、そのために必要なのは、「知恵」です。

          Ⅰ.神の知恵を求めよ…
          1) 知恵とは。神のみこころを行うために必要な、神の知恵を祈り求めましょう。主はみこころを求めて従い(ルカ22:42)、生きることを「わたしの食物」と言いました(ヨハネ4:34)。ここでの「知恵」とは、人が育てられて身につく、一般的な知的才能や能力、科学的知識、判断力、分別、人生訓、処世術ではありません。これらの知恵が悪に用いられ、悲惨と苦悩を生み出しました。
          2) 神の知恵。求めるべきものは、求める者に賜物として与えて下さる神の知恵です。現実をありのまま見つめ、背後にある神のみこころを、正しくとらえて決断し、行動を起こす知恵のことです。その知恵は、生きることを喜び、苦しみや患難の中でも平安と静けさを与えて下さることを信じ、祈り、仕えることを可能にします。
          3) 神の知恵を求める。神に祈ることを知っている者が、神のみが与えて下さる賜物の神の知恵を、祈り求めましょう。

          Ⅱ.神の知恵を用いよ…
          1) 祈りを用いる。神の知恵である祈りを用いて、神の知恵を、神に祈り求めましょう。
          2) ソロモン。ソロモンは、神の言葉を正しく聞き、国を正しく裁ける知恵を求め、与えられました(列王上3:9-12)。神の知恵は現実的で、正しく治めることを可能にします。
          3) 聖霊を求めよ。主は聖霊を求めなさいと言いましたが(ルカ11・9、13)、聖霊は私たちにみ言葉を理解させ、ものごとを識別させ、信仰を告白させ、クリスチャンとして生きる道を示します。この祈りの教えと、「知恵を願い求めよ」とは、「聖霊の助けを願い求めよ」と内容的に同じです。祈りによって、神の知恵である聖霊が与えられるのです。

          Ⅲ.信じるに足る神…
          1) 惜しみなく、とがめだてしない神。少しも疑わず神を信頼し祈り求める者には、必要なものを与えて下さいます。神は、誰にでも出し惜しみや、条件や取引をせず、必要な知恵を、気持ちよく、喜んで与えて下さいます(5-6)。
          2) 真実の神。信頼を裏切らず、御子をさえ惜しまずに、私たちに渡された神は、厳しい現実の中で真実に生き、知恵を求める者に必要な知恵を与えて下さいます(ローマ8:32)。与えることを喜ばれる神に、私たちはひたすら祈り求めましょう。
          3) 信仰をもって。主を信じて祈り求めるものは、何でもその通りになります(マルコ11:24)と、教えておられます。疑いつつ祈ることは見せかけで二心の祈りです。目に見えないものの中に確かさがあると思いながら(Ⅱコリント5:7)、目に見える世的な事や物に頼る者。心の内に響く上からの声に耳を傾けながら、世の声にも従う者が二心の者です。内村鑑三師は、「半ば神を信じ、半ば己を信じ、半ば霊なるものを信じ、半ば肉を信じ、半ば来世を信じ、半ば現世を信ず」と表現しました。このような人は自分の生き方全体に安定を欠き、その時によって変わり、心の分裂が一貫性のない生き方となり、一瞬たりとも平安を得られません。神に全面的に自己を委ねない者は、神の慈しみや、神と親しく交わることができません。心から神を信頼し、祈り求めることを怠らず、真実で正しい「知恵」を求めて祈ることが、クリスチャンの大きな責任です。この知恵による祈りが教会で篤くする時、この世は変わります。人には不可能でも、神の知恵に、その可能性が秘められているのです。





          教会の各活動



          午後は、京滋地区婦人部例会(天授ヶ岡教会)が行われました。

          今週~来週の予定

           

          ○婦人祈祷会 火曜日(27日)10:30~


          ※休会します



          ○聖書研究祈祷会 水曜日(28日)19:30~


          聖書:マルコによる福音書9章14-29節
          題:信仰と不信仰
          説教者:長谷川和雄師
          新聖歌:34、275、282



          ○主日礼拝 来週日曜日(6月1日)10:30~


          招詞:イザヤ書45章22節
          交読文:41  詩篇127篇
          聖書:ヤコブ書1章9-11節
          題:真の豊かさ
          説教者:長谷川和雄師
          新聖歌:8、428、368