2013年11月24日日曜日

特別賛美「一緒に」「注がれた愛」

京都信愛教会の有志による特別賛美。

  • 「一緒に」 詞・曲: 長沢崇史
  • 「注がれた愛」 詞・曲: 井澤豊




京都信愛教会では、毎週第2日曜日の礼拝で Blessが会衆賛美のリードをしています。

また、毎月第4日曜日の礼拝では青年会や婦人会なども含め月替わりで特別賛美が行われます。

どなたでも、どうぞ礼拝にお越しください。

主日礼拝「聖徒の愛の祈り」

礼拝メッセージ 「聖徒の愛の祈り」 エペソ人への手紙3章14~21節

長谷川ひさい師






パウロは主が生きておられる時に、一緒に生活した弟子ではありませんでしたが、主と父なる神によって使徒とされました(使徒9章、ガラテヤ1章)。そのパウロはエペソの教会に手紙を書き、膝をかがめて祈りました(14)。私たちは心と口をひとつにして、神の臨在の前で謙虚になって、心の膝をかがめて祈ることがとても大切です(詩46:10)

.キリストのみ救いに預かり、神の家族とされた者は、主が天の父に祈ったように(15)、弟子たちも、「天にいますわれらの父よ」と祈るように教えられました(マタイ6章)。私たちが「天の父」と祈れるのは、聖霊によるのです(ガラテヤ4:6)。天の父である神といのちの関係をもって祈れるとは、なんという幸福でしょう。これがクリスチャンの救われた恵みであり、この地上のいかなるものにも比べられない大きな恵みです。しかし、救われながら天の父に祈らない生活をしているとしたら、窒息して死んでしまいます。天の父はすべてをご存じであり、私たちの求めるところをはるかに超えてかなえてくださるお方です。天の父と命の関係を頂いたのですから、信頼をもって、信じて、祈りましょう。

.パウロはエペソの救われた者のために、父なる神の栄光の豊かさによって、内なる人を強くし、主が心の内に住んでくださるようにと祈りました(16)。失敗しない自分を追い求め、自分は絶対に正しいというところに立とうとする信仰には、無理が生じます。パウロは不完全な自分、罪深い愚かな自分、正しくないことだと思ってもやってしまう自分を心の底から認め、私は罪人の頭ですと、神に告白しました。そして、神に祈り求め、内なる人を強くして頂いたからこそ、神にすべてをお任せし、エペソのクリスチャンのために、心の底から祈り求めることができたのです。

.キリストが内に住むとは、愛の生活、愛の生涯を生きるということです(17)。自分のありのままの姿を認めて神の前に出る時、そのままの自分を無条件で愛し、こんな私の罪ために十字架の上で血潮を流し、愛し抜いてくださった主の愛を知り、聖霊によって、自分の罪を認めて告白することができるのです。私たちが生きているのは、私を愛し、ご自身をお捨てになった主の愛によるのであり、その神の御子を信じる信仰によるのです(ガラテヤ2:19-20)。主の愛に勝る愛は、この世にありません。この愛は永遠に変わらず、真実を尽くしてくださいます。このお方に出会ったパウロも、私たちも、信仰の確信の中で生かされているのです。スタンレー・ジョーンズ博士は、キリストの血がきよめてくださるということは、人間の過去のすべての心の傷を無意識の中にも癒してくださるのだと語っています。新聖歌104番はまさしく博士の言われるように、心理学でさえもなしえないことが、キリストにあって可能だと教えてくれます。

.主の愛を実感していく生活は、すべての救われた聖徒と共に、礼拝の中で、祈祷会の中で、交わりの中において体験することができます(18)。パウロはキリストの愛の広さ、長さ、高さ、深さを、知性の許す限り理解し、体験を通して、悟ることができるように、そして、満たされるようにと祈りました。それは個人的、神秘的、思想的に理解するというのではなく、教会の兄姉に起きた問題に、心を一つにして祈る中で示されてゆくのです。いよいよ、私たちも互いに愛し合い、支え合い、互いの重荷を負い合い、祈り合う中で、主の愛をますます体験させて頂きましょう。そして、御霊によって内なる人を強めて頂き、心の内にキリストが住み、神の栄光を表す祈りの人、愛の人とならせて頂きましょう。パウロの祈りを、私たちひとりひとりの切なる祈りとさせて頂きましょう。



教会の各活動


午後は、壮年会・青年会(クリスマスの準備)、婦人会(クリスマス会)が行われました。

今週~来週の予定


■婦人祈祷会 火曜日(26日)10:30~


聖書:ヤコブ書4章11節
題:ゴミ処理はできていますか 説教者:長谷川ひさい師
新聖歌:211、302

■聖書研究祈祷会 水曜日(27日)19:30~


聖書:マルコによる福音書16章1~8節
題:あの方はよみがえられた
説教者:長谷川ひさい師
新聖歌:252、339、242

■第一アドベント礼拝 来週日曜日(1日)10:30~


招詞:詩篇29篇1~2節
交読文:52 ルカによる福音書1章
聖書:ルカによる福音書1章8~15節
題:お言葉どおりこの身に
説教者:長谷川ひさい師
新聖歌:7、68、67

2013年11月17日日曜日

主日礼拝「永遠の命に至る道」

礼拝メッセージ 「永遠の命に至る道」 ヨハネによる福音書17章1~5節

長谷川ひさい師



ブレス・青年会の賛美

.主は地上での最後の説教を終えられると、天を見上げ「大祭司の祈り」をされました。大祭司は民を代表して神の前に立ち、民のために執り成しをしました。主は大祭司として、ご自分が宣教の使命を託した弟子のために執り成し、ご自分のためにも祈られました1-5。宗教改革者ルターはこの祈りを、「言葉に表せないほど温かい、心のこもった祈りだ。主は父なる神の前でその心を断ち割って見せてくださった。真実で単純、深遠で豊か、その広さは誰ひとり測ることができない」と言いました。
.子どもが親愛の情を込めて父親を呼ぶように、主は天を仰ぎ、深い信頼の思いを込めて「父よ」と呼びかけられました。私たちも主によって、「天の父なる神」と祈ることができるのです。「時が来ました」とは、十字架の時が来たことです。主はご自分の十字架の死を、父なる神のみこころと受け止め、神が主のみこころに従う従順さを受け入れ、主をよみがえらせて、栄光が現されることを祈りました。これは父なる神にすべての栄光と賛美をお返しすることです。十字架刑は最も残酷な処刑の方法で、極悪人に対してだけ執行され、それは苦しく、敗北と挫折以外の何ものでもなく、神の栄光と呼ばれるには一番相応しくないものでした。十字架は賛美の対象とはならず、事実、最も身近にいた弟子でさえ、十字架の死につまずいたのです。しかし、この十字架は主の復活によって勝利となりました。
.父なる神は、主のもとに来るすべての者に永遠のいのちを与えるために、すべての権威を主にお与えになりました。「すべての者」とは、老人も子どもも、男も女も、地の果てに住むすべての人々です。「永遠の命」とは、唯一の真の神と神から遣わされたイエス・キリストを知ることです。あなたは唯一の真の神をご存知でしたでしょうか。日本では木、石、紙、蛙、蛇、また人間が神と呼ばれて祭られ、そして、本当にそれが神だと思っています。星占い、呪い、迷信などもあります。また、強情は偶像礼拝に等しいとのみ言葉もあるように、自分自身が神となっています。真の神以外のものを神とすることは、的外れで最も大きな罪です。
.「キリストを知る」とは、「主が私の罪のために十字架で身代わりとなって死なれ、3日目によみがえってくださったこと。私の罪を赦すだけでなく、永遠のいのちを与えて、神の子としてくださることを知ること」、つまり、福音を信じることです。神のこと、主の十字架と自分の罪との関係、よみがえり、自分の罪がわからない、信じられないことは恥ではありません。心と口をひとつにして、「分かりません。教えてください」、「信じることができません。信じることができますように」と祈る時、神は必ず応えてくださいます。
.私たちは生まれながらに罪をもち、十字架も復活も、自分の力や知恵では信じることができません。しかし、神はご自身の愛と真実ゆえに、主の十字架の死と復活を通して、愛と真実を知らせ、私たちが信じることができるようにと聖霊を与えてくださいました。聖霊はみ言葉を通して働かれます(ヨハネ17:820:31)。ただ、主の一方的な憐れみと恵みです。「見ないで信ずる者は、さいわいである(ヨハネ20:29)とあるように、み言葉を信じ、み言葉をしっかり握って、復活の主こそ真の神の子であり、永遠のいのちを与えてくださるお方であると信じて、永遠のいのちを与えられる者とならせて頂きましょう。



クリスマスの各集会のアピール
教会の各活動


午後は、会堂大掃除とCS教師会が行われました。

今週~来週の予定


■婦人祈祷会 火曜日(19日)10:30~


聖書:Ⅰヨハネ書2章1節
題:失敗を成功に
説教者:長谷川ひさい師
新聖歌:18、257

■聖書研究祈祷会 水曜日(20日)19:30~


聖書:創世記35章1~29節
題:主の約束に最後まで信頼する
説教者:長谷川ひさい師
新聖歌:182、324、356

■主日礼拝 来週日曜日(24日)10:30~


招詞:詩篇46篇10節
交読文:15  詩篇40篇
聖書:エペソ書3章14-21節
題:聖徒の愛の祈り
説教者:長谷川ひさい師
新聖歌:2、190、342

2013年11月10日日曜日

主日礼拝「イエスを仰ぎ見つつ」

礼拝メッセージ 「イエスを仰ぎ見つつ」 ヘブル人への手紙12章1~3節

吹上信一師



アメリカ・サンディエゴから吹上信一師をお迎えしました


岡本泰三師が、1947年2月14日に伝道所として教会が創立され、1952年4月27日京都信愛教会が設立されました。1948年12月26日に17歳で5名の方々と共に受洗し、現在82歳です。今日まで信仰の歩みを守られてまいりました。

. わたしたちは多くの証人に囲まれています(1a)・・・今日まで京都信愛教会で多くの方々が救われ、導かれ、信仰の馳せ場を走り抜いて、天国に行かれた多くの方々に見守られ、囲まれて、今日、皆様方が京都信愛教会で教会生活を送らせて頂いておるのです。私たちに残された人生を、死に至るまで忠実に主に仕え、信仰を抱いて歩み続けましょう。米国で、102歳の日野原重明先生の講演を聞き、90歳まで主の御用をしたいと願わされました。私は米国で多くの苦労がありましたが、ヘブルの人々も多くの試練、苦難の中を歩まれました(ヘブル11:35-40)。私たちはこのように苦労された主の証人たちに囲まれ、応援を受けて生かされ、信仰生活をさせて頂いているのです(同12:1)。一人ぼっちで信仰生活を送っているのではありません。

.信仰生活は競争です(1b-3、Ⅰコリント9:24-27)・・・競技者にとって必要なこと。1)身軽になること。まつわりつく着物を着ていたり、人生に重荷を負っていては早く走れません。「人生とは重荷を負って歩むこと」だと言われますが、誰もが重荷を負って歩んでいるのです。そのために信仰が弱り、魂がうなだれるのです。主のもとに重荷を下ろし(マタイ11:28-30)、神に委ねましょう(Ⅰペテロ5:7)。私たちの罪を、罪なきキリストの血によって取り除いて頂きましょう。2)忍耐をもって走り続けること。長距離を走る時は、忍耐をもって走る必要があります。長い信仰生活を最後まで全うするには、焦ったり、人と比較したりしないで、自分に与えられた賜物に従って、コツコツと主に仕えましょう。また、教会には色々な問題がありますが、イエスを仰ぎ見て信仰の歩みを続けましょう。3)主から目を離さないで走ること。湖上を歩くペテロが風を見て怖くなり、波間に沈みそうになりました。しかし、主を見続けることが大切です(マタイ14:28-31)。主は信仰の導き手であり完成者です。大きな船が港に入るときには、船長に代わって水先案内人が舟の舵を握り、安全な水路に導くのです。同じように私たちも、人生の行路を主に委ね、主に導かれて歩むなら、安全に神の御許に導かれます。また、主は「恥をもいとわないで十字架を忍び」(2)、今は、神の右に座し、私たちを執り成しておられるお方です。私たちは、イエス様をよくよく見つめ、じっくりと考えることによって、試練を耐え忍び通すことができます。見続けていると信仰生活において、耐え忍ぶ力を与えられ、勝利することが出来るのです(3)
イエスによって生きる喜びを見出された小学校の教師の証し。11年前、一日で妹の命が奪われ、母が脳梗塞で倒れ、猫も死んでしまいました。母も鬱になり、自分も文字が読めなくなり、決断できず、体が重く、鬱となりました。薬漬けとなり、人生を悲しみ、自殺願望に苦しめられ、絶望の中でもがいていました。ある日、自分がかかわってきた不登校や問題行動を抱える子どもたちが、苦しみながらも立ち上がった子どもたちを思い出し、光を見出しました。そして、主の温かい言葉に導かれ、受洗に至り、孤独から解放され、喜びが湧き上がりました。今も、世の終わりまで常に共にいてくださる主と共に歩んでおられます。



児童祝福式の様子
教会の各活動


午後は、クリスマス委員会と教会役員会が行われました。

今週~来週の予定


■婦人祈祷会 火曜日(12日)10:30~


聖書:エペソ書4章25節
題:良い会話
説教者:長谷川ひさい師
新聖歌:35、177

■聖書研究祈祷会 水曜日(13日)19:30~


聖書:伝道の書10章1節
題:少しの愚痴
説教者:長谷川ひさい師
新聖歌:264、261、108

■主日礼拝 来週日曜日(17日)10:30~


招詞:イザヤ書43章1節
交読文:7 詩篇23篇
聖書:ヨハネの福音書17章1-5節
題:永遠の命に至る道
説教者:長谷川ひさい師
新聖歌:209、356、243

2013年11月3日日曜日

主日礼拝「十字架による全き勝利」

礼拝メッセージ 「十字架による全き勝利」 コロサイ人への手紙2章4~7節

長谷川和雄師



10/20 特別礼拝の様子

主にあって救われ、新しい歩みを始めるためには、キリストがどんなお方であるかを知って、その成されたみ業を受け入れて歩む必要があります。

. キリストを知る(8-11)・・・1)世俗的なキリスト理解(8)8節は、16節からの信仰の誤りの要約であり、「注意しなさい」との警告で始まっています。キリストだけでは不十分との考えや思想が教会に入り、「どんな信仰も心の平安を与える」と騙し、救いを不明確にします。16節からは、律法的な信仰:自分の修養や努力によると教え、自分の正しさや信仰深い態度でごまかします。神秘的な信仰:幻、霊的体験、恍惚の状態、癒しを求め、経験を主張します。道徳的な信仰:この世で褒められることを求め、親切な行為で心を満たそうとし、世に目が向いていると記します。8節では、キリストに従わないサタン来の教え、人間が考えた知恵、哲学。世に属する幼稚な教え。人間の考え。これらのものに惑わされないようにと警告しています。2)神とキリストと私たち(9-10a)主が、「わたしを見た者は、父を見た(ヨハネ14:9)と言われましたが、砕かれた魂を通して主の品性を見せます(エペソ3:17-19)。主は優しく、柔和で、罪人と交わり、病を癒し、貧しい人を助け、人を愛し、命までも投げ出したお方です。自分だけの幸せを祈っている者は神を小さくします。自己中心の自分に死んで、主の愛に満たされ、周りの人々にキリストを見せ、救いに導く者であらせて頂きましょう。3)キリストの支配(10b-11)主は、神の国を実現される権威を持ち、人を癒し、平安に満たし、全てを支配し、腐敗・堕落、悪、欲から自分のためにしか生きられない存在を「脱ぎ捨て」させ、全く聖化します(ガラテヤ5:24)頭で受け入れて外見を飾るのでなく、心に受け止め、主にあって変えらた歩みが出来る信仰者にしてくださり、世から召し出し、主に属する者として、主に有用な者へと新創造してくださるのです。

Ⅱ.十字架による勝利(12-15)・・・1)命と罪の赦しを与える十字架。人は欲心、嘘、悪口、怒り、妬み、ひがみなどを止めようと努めても止められません(ヤコブ1:14-15)善行を行って自分の罪を償おうとしても完全に償えません。また、善行を行うことも出来ません。死んだ者と同じであり、永遠の滅びに定められている者です。そんな者を、「キリストと共に生かし」天来のいのちを与え、主はすべての罪を負い、罪深い者のために十字架で死んでくださったのです。私たちは自分の罪を認め、十字架を仰ぐとき、永遠の命と罪の赦しが与えられるのです。十字架信仰の恵みです(エペソ1:20-22)2)律法から解放した十字架。自分中心に物事を考える人は、相手だけでなく自分をも傷ついています。また、神を認めず、自分をも制することが出来ないのに自分が神となり、永遠の滅びの証書を突きつけられています。しかし、借財証書の全てを主は十字架の上で払い終えたのです。主は、人が負うべき律法や呪いを十字架につけられたので、人はそれら全てから解放されているのです。3)サタンに勝利する十字架。サタンは、人間の力で償えると、福音とは違う方向に導きます。しかし、主は、負けにより勝利し、恥じにより誉れを得、冠を剥がれましたが黄金の冠を得、死によって命を得ると、全く逆のことが十字架により実現されるのです。何時でも主の十字架を仰ぎ、み言葉によってサタンに勝利し、主の復活の命に与り、主にあって全くきよめられ、神に喜ばれる歩みを致しましょう。



10/20 特別礼拝の様子
教会の各活動


午後は、教会役員の臨時の打ち合わせが行われました。

今週~来週の予定


■婦人祈祷会 火曜日(5日)10:30~


聖書:ヘブル書4章16節
題:無力な者を助けて下さる主
説教者:長谷川ひさい師
新聖歌:275,474

■聖書研究祈祷会 水曜日(6日)19:30~


聖書:マルコの福音書4章21~34節
題:神の国の拡大
説教者:長谷川和雄師
新聖歌:178、268、342

■主日礼拝 来週日曜日(10日)10:30~


招詞:ヘブル書10章19~22節
交読文:14 詩篇37篇
聖書:ヘブル書12章1~3節
題:イエスを仰ぎ見つつ
説教者:吹上信一師
新聖歌:18、203,275