2013年7月28日日曜日

主日礼拝「神に喜ばれる教会」

礼拝メッセージ 「神に喜ばれる教会」 コロサイ人への手紙1章3~5節

長谷川和雄師






コロサイ教会の人々は、パウロに学んだエパフラスから伝えられた福音を信じ、キリストによって罪赦され、神の子とされ、父なる神を慕い、祈る者とされていることを、パウロは心から感謝しました。また、出向いたこともない教会が祝されていることを妬まず、心からの感謝を神にささげ、祈りました。
Ⅰ.信仰がある・・・1)信仰には、理性を働かせることも必要ですが、「鰯の頭も信心から」とならないために、「キリスト・イエスに在る汝等の信仰(新契約)が大切です(ヘブル1:1)。コロサイ教会の人々は、キリストを歴史上に実在するお方として、正しく判断し、理解しました。それは、嵐の中でもしっかりと下ろしている船の錨のような信仰です。その信仰をもって、生ける神と親しく交わることによって、主から感化を受け、主に似た者とされ、神のみこころを知り、みこころを行う者とされます。2)理性では理解できない超自然的な主のみ業を体験する事も大切です。なぜなら、永遠の初めから神と共に居られた方が処女降誕され、人となり、十字架の贖いの業の完成し、復活されたことなど、それまで理解できなかったことも「神にはできる」と信じる信仰が与えられるからです。それは、キリストの愛に包まれ、守られ、神にのみ目を向ける、命がある生きた信仰ですガラテヤ:20。「意志が弱い」と弱音を吐き、自分に目を留めるのでなく、そんな自分を愛し、受け入れて下さる主に目を留めることこそ真の信仰の姿です。
Ⅱ.聖徒に対する愛がある・・・1)貧しく、雨漏りするような家でも、その家に真の愛があれば、「我が家に勝る家は無い」と言えるでしょう。神は、親子の間に示される愛(ストルゲー)、異性同士の愛(エロス)、生まれながら与えられているごく自然な友達同士の愛(フイリオ)ではなく、アガペーの愛、すなわち、無私の愛、富や地位や権力によらない愛、命を捨てるほどの愛で愛して下さいます。そして、その愛は、キリストの十字架に表されましたヨハネ592)世に心を奪われ、世を愛している者には、アガペーの愛がありません。だから、キリストの愛の中にいるように勧めているのです(ヨハネ5:9-12)コロサイ教会は、この神の愛に生きていたので、世から聖別され、信仰の仲間同士愛し合えました(ガラテヤ:10)。このように、主の十字架の血潮によって罪を赦され、世から聖別され、神を愛し、み言葉に忠実に従い、互いに愛し赦し合い、重荷を負い合うことが、真の教会です(ガラテヤ:2)
Ⅲ.天に蓄えてある希望がある・・・この希望は、世が与える一時的なものではありません(ペテロ:3-5)将来への希望・期待が、神のおられる天に蓄えてあり、神の守りの中にあります。そして、「主が再びこられる時、私たちに与えられる栄光」を受けることができます。しかし、多くの人々が希望の信仰を失っています。希望を失うと力や進歩が無くなり、滅びに向かいます。そんな時、この希望を思い起こしピリピ:13-14、Iペテロ:8)、きよく歩みましょう(Iヨハネ:3)。パウロもこの希望を待ち望んでいました(Ⅱテモテ:1-8ピリピ:20-21。コロサイ教会には、天への希望から、聖徒に対する愛が生まれました。私たちも主が再び来られることを期待し、天に希望を持ち、神の愛によって、互いに受け入れ合い、愛し合う者とならせて頂き、「信仰・希望・愛」に満たしていただきましょう。これこそ、京都信愛教会の目標であり、「神に喜ばれる教会」でもあるのです。

6/30 礼拝の様子
教会の各活動


午後は青年会(交わり会、祈り会)が行われました。

今週~来週の予定


■婦人祈祷会 火曜日(23日)10:30~


※8月末まで夏季休会です

■聖書研究祈祷会 水曜日(31日)19:30~


聖書:マルコの福音書1章29~45節
題:善き働きは祈りから
説教者:長谷川和雄師
新聖歌:172、284、196

■主日礼拝 来週日曜日(8月4日)10:30~


招詞:詩篇100篇1~5節
交読文:40 詩篇126章
聖書:コロサイ書1章5~8節
題:伝えられた福音
説教者:長谷川和雄師
新聖歌:18、359、(49)、365

2013年7月21日日曜日

主日礼拝「クリスチャンの祝福」

礼拝メッセージ 「クリスチャンの祝福」 コロサイ人への手紙1章1~2節

長谷川和雄師







獄中のパウロを訪ねたエパフラスは、福音とは違う教えがコロサイ教会に入り込んだことを伝えました。そこでパウロは、キリストを知ることで足りることを記します。

.コロサイとパウロ・・・1)コロサイ教会。コロサイ教会は、パウロから福音を聞いたエパフラスを中心にはじまり、町にはクリスチャンが急増しました。しかし、福音とは違う教え(知識を重んじる異端的な教え)が入り込み、教会が惑わされました。エパフラスが悩み、パウロに相談したところ、この手紙を通して、正しい信仰について記し、どのように歩むべきかを教えられました。2)使徒。パウロは、「神の御旨によるキリスト・イエスの使徒パウロ」(1)と告白し、使徒職を宣言しました。それは、彼が復活の主に出会い、一大変化を受けたからであり、また、主から使徒として任命されたのは功績や能力などでなく、神のみ旨より出た恩寵であり、恵みであると確信し、謙った心で大胆に宣教していたからです。

.クリスチャンとは・・・1)兄弟。パウロは、若かったテモテを「兄弟(1)、「わたしの同労者(ローマ16:2)と呼んで、彼に配慮を示します。クリスチャンは、お互いが主によって罪赦された者だからこそ、互いに赦し受け入れ合い、「兄弟」(1)と呼び合えるのです(マタイ12:50)。また、主の血潮によって一つとされていますから、いかなる憎しみ、嫉妬などから生じる争いがあっても、主にあって和解が出来るのです。2)聖徒。世のあらゆるものから分離され、主の血潮によってクリスチャンとされた者が、「キリストにある聖徒」(1)なのです。世と妥協し、世と同じことをし、人々をキリストではなく自分に結びつける者は、クリスチャンとはいえません(ヤコブ4:4)3)忠実。忠実な兄弟たち(1)とは、主に示されたみ言葉を、真心を込めて忠実に守り通す者のことです。彼らは、主と主のみ言葉が真実であることを知っているのです。ですから、主にあって、信仰の確信と天国への確信を持って、み言葉に賭け、死に至るまで忠実になれるのです。
.クリスチャンに与えられる祝福・・・1)恵み。①恵み(2)とは、価値や功績などが無くても与えられます。それは罪からの救い、神の愛です(エペソ2:4-10、ローマ5:8)困難・苦難を通して、それが主からの恵みであると知ります。恵みを受け入れない信心は、高ぶりや傲慢に導きますが、恵みの信仰は謙遜に導きます。人に頼るか、神に頼るかで、傲慢になるか謙遜になるかです。恵みは自由を与えます。恵みを受け入れない信心は、律法的になり、上から教え、努力せよと縛り付けます。2)平安。「平安」(2)とは、神との和解による平安であり(ローマ5:1)。神に対する信頼により与えられる真の平和です(イザヤ26:3-4)。それは、主イエスが荒れ狂う嵐の中でも寝ていられるようなものです(マタイ8:23-27)。また、ののしられてもののしり返さず、苦しめられても脅かさず、正しいさばきを神に委ねていた、主の十字架上での平安と同じです(ルカ23章)。その主が、私たちに平安を与えて下さるのです(ヨハネ14:27)。主を信頼し、主を拠り所とする者は幸いです(イザヤ26:3-4)。私たちの心はどこに向いているでしょうか。主が全てとなっていますか。主以外のものに向いているなら、不平不満がいつも絶えないでしょう。一切の必要を満たし、全てを最善に成し、祝福し、愛で満たして下さる主に目を留めましょう。主の恵みによって、クリスチャンとされた私たちは、どのような中にあっても、主を覚え、主に目を向け、み言葉に忠実に歩む者とならせていただきましょう。

7/7 礼拝の様子
教会の各活動


午後は壮年会・婦人会合同の証し会が行われました。

今週~来週の予定


■婦人祈祷会 火曜日(23日)10:30~


※8月末まで夏季休会です

■聖書研究祈祷会 木曜日(25日)19:30~


聖書:マルコの福音書1章14~28節
題:権威ある新しい教え
説教者:長谷川和雄師
新聖歌:261、396、435

■主日礼拝 来週日曜日(28日)10:30~


招詞:ヨハネの福音書15章9~11節
交読文:57 Ⅰコリント書13章
聖書:コロサイ書1章3~5節
題:神に喜ばれる教会
説教者:長谷川和雄師
新聖歌:21、145、143

2013年7月14日日曜日

会衆賛美「神の国と神の義」「君はわが身の」他

京都信愛教会の賛美デュオ Blessの二人による会衆賛美リード。

  • 「神の国と神の義」作詞・作曲:Karen Lafferty (新聖歌291番)
  • 「君はわが身の」作詞:中田羽後, 作曲:John R. Sweney (新聖歌318番)
  • 「パラダイス」作詞・作曲:岩渕まこと
  • 「God Bless You」 作詞:関根一夫, 作曲:岩渕まこと (新聖歌198)








    京都信愛教会では、毎週第2日曜日の礼拝で Blessが会衆賛美のリードをしています。

    また、毎月第3日曜日の礼拝では青年会や婦人会なども含め月替わりで特別賛美が行われます。

    どなたでも、どうぞ礼拝にお越しください。

    主日礼拝「信仰の高嶺に」

    礼拝メッセージ 「信仰の高嶺に」 創世記22章1~19節

    長谷川和雄師







    高嶺の花を自分のものにしたいと考えると、どんな犠牲も惜しみません。高嶺を登るには物質的、肉体的、知的に備え、登山中は声を掛け合い、心を開き、挨拶を交わし、助け合います。アブラハムの復活信仰を通して、互いに助け合い、信仰の高嶺を目指しましょう。

    Ⅰ.最大の信仰の試練(1-10)1)アブラハムの試み。悪魔の試みは人から悪いものを引き出すが、神の試練は人の中から良いものを生み出し、信仰の高嶺に導きます。①神との交わり。神と親しい彼は、神の語りかけに対して素直に答えました。②神の命令。イサクの誕生により平穏な生活を送っていた彼に、神からの試練が臨みました。ひとり子を全焼の犠牲として献げよとの命令は、信仰の最大な試練でした。それは神よりも、与えられた恵みに捕らわれる偶像礼拝に対する警告でした。2)アブラハムの信仰。①従順。信仰生活は感情的、瞬間的、感動的ではありません。彼は躊躇せず、すぐ神の言葉(神のみこころ)に従い、イサクと若者と共に出かけます。②確信。アブラハムはイサクと共に帰る(複数形)との信仰に堅く立ち、僕に告げます(5)③信頼と献身。彼は、復活信仰をもって、自ら手を下そうとしました(9)。「彼は、神が死人の中から人をよみがえらせる力がある、と信じていたのです。だから彼は、いわば、イサクを生きかえして渡された(ヘブル11:19)。イサクの従順な姿に、十字架の死に至るまで従順であった主の姿を見ます。④全き者の信仰。弱さに徹し、主に全く頼って従い、自分の命に優るイサクを神に献げきる彼が、神の友と呼ばれる由縁があります。主は私たちを最上のものを神に献げきる者へと変え、私たちを友と呼ばれます(ヨハネ15:15)

    Ⅱ.主、備え給う(11-14)①イサクの従順。イサクは自分が全焼のいけにえであることを知らず、父の辛さも知らず質問しましたが、彼の答えは、神が備えて下さるとの信仰告白でした。祭壇を築き、彼はイサクに事実を告げますが、イサクは逃げず素直に従い、祭壇に横たえられました。何という従順さでしょう。イサクにも主に委ねる信仰があったのです。神は私たちのために、愛するひとり子を惜しまずに与えて下さいました。主は神に全く従われ、罪の身代わりに、十字架で贖いを完成されました。②主の承認彼がイサクをほふろうとした時、神は声をかけました。神は彼がどれほど神を愛し、恐れ敬い、イサクよりも神を愛し、神に従うことを喜んでいるかが分かりました。神の求めはイサクの体でなく、彼の信仰でした。③主の備え。神が全焼のいけにえを備えたのでその場所を主の山に備えありと名づけました。子は親を見て育ちます。父の信仰が、息子の信仰になりました。私たちは神から受けた祝福(地位、名誉、財産、家族など)に心を奪われ、神以上のものにならないようにしましょう。
    Ⅲ.神の祝福(15-19)①み言葉への従順。み言葉に従う歩みでした。私たちへのみ言葉の語りかけは厳粛なことです。砕かれた器とされ、「主が全て」とされ、苦難・困難の道でも、み言葉に従い、神の祝福を受けられるのです。互いに励ましあい、信仰の高嶺へと導かれましょう。②献げきる。彼が主に献げきった時、祝福を受けました。見返りを期待し、ひも付きの献げ方をし、様々な欲に支配されていると不安に支配されます。主に委ね、献げきり、み言葉に従うならば、主が必要を満たし、祝福の基として下さいます。私たちは、復活信仰をいただき、み言葉に従って歩みましょう。


    7/7 聖餐式の様子
    教会の各活動


    午後はCS教師会が行われました。

    今週~来週の予定


    ■婦人祈祷会 火曜日(16日)10:30~


    聖書:詩篇68篇19節
    題:荷を負われる主
    説教者:長谷川ひさい師
    新聖歌:438、308

    ■聖書研究祈祷会 水曜日(17日)19:30~


    聖書:マルコの福音書1章9~13節
    題:主の公生涯のはじめ
    説教者:長谷川和雄師
    新聖歌:262、458、427

    ■主日礼拝 来週日曜日(21日)10:30~


    招詞:詩篇103篇1~2節
    交読文:39 詩篇122篇
    聖書:コロサイ書1章1~2節
    題:クリスチャンの祝福
    説教者:長谷川和雄師
    新聖歌:8、252、385

    2013年7月7日日曜日

    主日礼拝「神の真実と人の誠実」

    礼拝メッセージ 「神の真実と人の誠実」 創世記21章1~34節

    長谷川和雄師






    「真実」とは事実であり、嘘偽りがないこと。「誠実」とは真心があり、相手を裏切らず、嘘偽り、飾り、欲などがなく、相手のことを親身に思いやることです。神が約束されたことは、障害があっても、人間的に不可能に見えても、人が不真実であっても、真実の神は変わらず、約束のみ言葉は成就されます(ローマ3:3-4)

    Ⅰ、約束を真実に果たす神(17)・・・1)「信仰」の原語は、「忠実」「真実」と訳せます。信仰とは神の真実に対して誠実に応え、み言葉を信じ受け入れることです(詩篇33:4)。アブラハムは信仰の父と言われていますが、最初から真実の神に対して強い信仰があったわけではなく、神の真実が、彼の信仰を養って下さったのです。私たちは自分の力で信じようとするのではなく、不信仰ゆえに失敗しても、神の真実に望みを賭けましょう(詩篇31:23、ヘブル11:6)2)サラに神の時がおとずれ、約束の子イサクが誕生しました。神が喜ばれ、満足されるのは、信仰です。アブラハムとサラが神を信じ続けられるように、神は彼らを導いて下さいました。ここに神の真実があります。3)人間的に不可能と思えることも、万軍の主の熱心がこれをなされる(イザヤ9:7)のです。神の愛、神の熱心、神の忍耐は、神に対する望みです。4)イサクの意味する「笑い」とは、不信仰の笑いではなく、嬉しくて笑いが止まらないことです。彼は、神から賜った子どもであり、神の前に割礼を受け、神の民、選民となりました。割礼は単なる儀式ではなく、その内容に対する信仰です。聖餐も、キリストによる贖いのみ業を自分のものとして受け入れることです。アブラハムとサラにとって、暗闇が夜明け前に消え去るように、悲しみ、苦しみ、叫びは消えました。

    Ⅱ、約束の子と奴隷の子(821)・・・1)乳離れ祝いの盛大な催しをした時、問題が生じました。イシマエルがイサクをいじめたのです。イシマエルにとって、イサクは可愛くもありましたが、今まで自分は世継ぎとして注目の的であり、人々は従いましたが、今やそうではなくなり、ねたみが生じたのです(箴言27:4)2)サラは、イシマエルの横柄さや、生意気さ、イサクをいじめることが許せませんでした。また、ハガルに対する嫉妬、憎しみ、嫌悪が燃え上がり、アブラハムに二人を追放するように求めました。アブラハムにとってイシマエルは奴隷の子でも自分の子であり、今まで我が子として愛を注いでいましたので、二人を追放することを悩みました。3)神はアブラハムに二人を追放することを許されましたが、イシマエルに対する神の約束は変わらず、真実な神はハガルとイシマエルを守り、祝福しました。約束の子は残り、人の知恵による子は去りました。私たちも情を十字架につけ、真実の神に従いましょう。
    Ⅲ、互いに誠実を尽くす(22-34)・・・1)家庭に平和を取り戻したアブラハムは、水が豊かな地に移りました。2)アブラハムの信仰を知っていたアビメレク王の家来との間に、井戸の問題が起きました。しかし、それは王の知らないことでしたので7頭の羊が井戸の贖いの代価とされ、井戸はアブラハムの所有物となり、イスラエルの南端イサクの誕生の地は、ベエル・シバ(誓いの井戸)と名づけられました。私たちが神との契約のもとで生活するとは、キリストの十字架、復活、昇天の恵みの中に生きることです。真実の神のもとで生活するならば、神の豊かな祝福を受けることができ(申命記7:9)、神は真実を尽くし続けて下さいます(エレミヤ31:3)。私たちは主の約束のみ言葉に堅く立ち、主の前に、主にあって誠実に生きる者とならせていただきましょう(箴言12:22)


    7/7 聖餐式の様子
    教会の各活動


    午後は教会役員会が行われました。

    今週~来週の予定


    ■婦人祈祷会 火曜日(9日)10:30~


    聖書:伝道の書11章4節
    題:主の御手にゆだねて
    説教者:長谷川ひさい師
    新聖歌:196、315

    ■聖書研究祈祷会 水曜日(10日)19:30~


    聖書:マルコの福音書1章1~8節
    題:福音のはじめ
    説教者:長谷川和雄師
    新聖歌:260、324、135

    ■主日礼拝 来週日曜日(14日)10:30~


    招詞:ヘブル10章19~22節
    交読文:15 詩篇40篇
    聖書:創世記22章1~19節
    題:信仰の高嶺に
    説教者:長谷川和雄師
    新聖歌:19、282、275