2013年4月21日日曜日

主日礼拝「不信仰がもたらす危機」

礼拝メッセージ 「不信仰がもたらす危機」 創世記12章10節~13章4節

長谷川和雄師




教会学校の特別賛美
クリスチャンとは、この世的に祝福され、問題が何もない者ではありません。主のみ言葉と主の最善に期待し、信仰によって歩む者です。しかし、信仰が弱ると、信仰の道から外れ、世の人と同じ歩みをしがちです。憐れみ深い主は、その様な者をも気にかけて、信仰の道に立ち返らせて下さいます。
Ⅰ、不信仰な思い・・・アブラムは主のみ言葉に従って旅を続けましたが、多くの家畜を飼っている彼にとって、旅先での飢饉は大変なものでした。約束のみ言葉7を信じていたアブラムも、主は何故このようのことをされるのかという不信仰な思いが出てきたのではないでしょうか。私たちもみ言葉を信じて従う時、神から多くの祝福を目に見えるかたちで受けることがあります。しかし、神は私たちを恵みと信仰の高嶺に引き上げようと、さらなる試練を与えられます。
Ⅱ、物質的繁栄のわな・・・飢饉の時、アブラムはエジプトの繁栄に頼りました。それは主でなく、世に頼る行動でした(イザヤ31:1)。ヤコブは神の約束の地で飢饉が起こった時、約束のみ言葉をいただいて下りました(創世記46:3-4)。しかし、アブラムは、自分の考えや方法で困難を乗り越えようとし、妻サライに妹だと言うように頼みました。確かに異母兄妹ですので、嘘ではありません。その後、アブラムの思惑通りに事が進み、短期間でパロの好意を受け、地位や多くの富を手にしました。しかし、主への信仰は弱りました。サライが妻であることを隠すことは、神の前に重大な罪でした。妻が姦淫の罪を犯して貞操を失い、アブラムは子孫を与えるという神の約束を失うところでした。
Ⅲ、主の憐れみ・・・全てをご存知であり、支配しておられる主は、災いをアブラムではなく、パロとその家に下されました17。もし、そうでなかったら、パロは主を畏れず、サライはアブラムの下に帰れなかったでしょう。不信仰に陥ったアブラムはこの災いを通して、主を畏れない民の前にも恥をさらしました。しかし、主は彼を憐れみ、アブラムは命や所有物を奪われずにエジプトを出ることができました。私たちは不真実であっても、主は真実です。主は約束のみ言葉のゆえに私たちを憐れみ、主の前に真実に罪を認め、悔い改める者を、十字架の血潮のゆえに赦して下さいます。また、主に信頼して誠実に生き、主を喜びとする者の願いをかなえて下さいます(詩篇37:3-4)
Ⅳ、信仰の原点に戻る・・・アブラムは自分の罪深さや計画の愚かさを示され、主の御旨・憐れみ・最善を体験しました。その時、アブラムはエジプトから離れることを惜しまず、真剣な悔い改めをし、最初に祭壇を築いて祈った場所に戻り、襟を正して神の御前に出ました。祈りの前に祭壇が必要です(サムエル上:9列王上18:30-37)。私たちにとって「祭壇のいけにえ」とは、主の十字架です。日々の祈りや礼拝に於いて、祭壇の前に出る意識が無いことは、十字架の意識不足であり、罪の意識が無いことは最大の罪です。み言葉などを通して罪が示されたときに、その罪を認め、イエス様の十字架を仰ぐことを主は導いて下さり、赦しのみ言葉を与えて下さいます。ですから、日々、臨在の主を覚えて、「罪深い私を憐れんで下さい」と、主の十字架を覚えて祈り、主を仰ぎ、最善をなして下さる主に寄り頼み(ローマ8:28、み言葉に聴きましょう。そして、主の十字架を心から感謝し、主を賛美しましょう(ヘブル4:15-16)


教会の各活動

礼拝の中で、教会学校が「十字架なきゃ生きてけない」を特別賛美しました。


午後は、長谷川師ご夫妻の歓迎会を行いました。


今週~来週の予定

■聖書研究祈祷会(今週火曜日)


聖書:創世記21章1節
題:神の約束
説教者:長谷川ひさい師
新聖歌:424、394

■聖書研究祈祷会(今週水曜日)


聖書:詩篇4篇
題:平安を求める祈り
説教者:長谷川和雄師
新聖歌:1、248、325

■主日礼拝(次週日曜日)


招詞:詩篇103:1~2
交読文:37 詩篇119
聖書:創世記13:1~18
説教者:長谷川和雄師
題:二つの道の選択
新聖歌:2、316、275