2013年4月7日日曜日

主日礼拝「み言葉に従う歩み」

礼拝メッセージ 「み言葉に従う歩み」 創世記11章26節~12章4節

長谷川和雄師




教会役員任命式
アブラムは神のみ言葉に従い、神の祝福を豊かに受けました。あなたは神から与えられたみ言葉に従って、主の豊かな祝福を受けているでしょうか。自我のために、神からの祝福を受け損なってはいませんか。信仰の父と呼ばれたアブラムの生涯から信仰者の歩みを学びましょう

Ⅰ.弱さがスタート・・・1)ことの始まり。アブラムは父テラと共にカナンを目指し、ウルを出発しました(使徒7:2-5)。しかし、テラは偶像礼拝が盛んなハランに定住してしまいました。アブラムも父が亡くなるまでそこに留まり、カナンへ行きませんでした。2)アブラムの弱さ。年老いたアブラムと妻サライには子どもがおらず、それが彼らの弱さであり、当時は恥と考えられていました。しかし、もし、アブラムにこの弱さがなかったら、神を信じることも、祝福を受けることもなかったでしょう。人は自分の弱さを意識するほど、強さ、権力、知識などを隠れみのにし、勝気になったり、他人を蹴落としても上に這い上がりたいと思ったり、嘘をついたり、裏切ったりします。しかし、アブラムは弱さを認めて祝福を得ました。私たちにも、様々な弱さがあります。愛のなさ。赦せない頑固さ。献げきれない弱さ。奉仕を喜ばず、み言葉に親しまず、祈らない弱さ。決断力のなさ。そそっかしさ。忘れやすさ。口下手など。しかし、弱さをもったまま神の前に出て、主の十字架の血潮を仰ぎ、復活の主により頼むとき、主はその弱さに勝利を与え、お互いの弱さも受け入れ合い、助け合い、神の栄光を現す者へと変えて下さるのです。自分の弱さを神の前に素直にさらけ出し、弱さに働いて下さる主に期待しましょう(Ⅱコリント12:7-10)

Ⅱ、約束のみ言葉・・・1)「行きなさい」。テラが亡くなった時、アブラムは主から、「あなたは国を出て、親族に別れ、父の家を

離れ、わたしが示す地に行きなさい(12:1)と命じられました。それは、偶像礼拝の町、肉的つながり、相続の権利、古い人間関係を捨て去ることでしたが、アブラムは主に従いました。「行きなさい」と命じられた主は、決して見放さず、中途半端になさいません。私たちも神のみこころを求めて祈り、み言葉が与えられたら、その召された道が困難でも従いましょう。主は従う者に一切の必要を満たし、慰め、励まし、力づけて下さいます。2)祝福の基となる。行けと命じられた主は、子どものないアブラム夫妻に繁栄と祝福の約束を与えて下さいました。「祝福の基となる(12:2)とは、例えば、愛が与えられたなら愛を分け与える者とされ、争いの絶えない家庭が愛の溢れる家庭に変えられることです。この約束は私たちにも与えられています。ですから、私たちは主を畏れつつ、人をのろうのではなく、人を祝福する者とならせていただきましょう。

Ⅲ、神の約束を信じた決断・・・75歳のアブラムにとって、与えられた約束は常識では実現不可能なことでした。しかし、アブラムは自分の弱さを認め、神の約束と主の最善を信じて出発しました。ここから、アブラムの祝福の道がはじまりました。霊的にも、物質的にも富み、保護され、幸福になり、喜びで満ち、神の大いなる祝福が表されました。アブラムの末であるクリスチャンは、「大いなる国民とし…名を大きく(12:2)されます。多くの民に一時的でない感化を与え、信仰の祝福を伝え、信仰が継承されます。条件は、そのために必要な決断は、与えられた神のみ言葉、行きなさい」との命に従うことです。みこころを求めて神に従う生涯は、自分の弱さを認め、神にお頼りし、互いに励ましあって神に従うことです。十字架の苦しみがなければ、復活はありません。苦痛の道を避けて、安易な道を選ぶのではなく、アブラムに倣い、み言葉に従う信仰の生涯を全うさせていただき、主にあって、祝福の基としていただきましょう。


教会の各活動



礼拝にて教会役員とCS教師の任命式が行われました。

また礼拝後、教団委員の船田献一師(京都聖徒教会)を迎えて、長谷川和雄牧師・ひさい副牧師の任職式が行われました。


今週~来週の予定


■婦人祈祷会 火曜日(9日)10:30~


■聖書研究祈祷会 水曜日(10日)19:30~


聖書:詩篇2篇

説教者:長谷川和雄師


■主日礼拝 来週日曜日(14日)10:30~


招詞:ヘブル10章19~22節
交読文:23 詩篇66篇
聖書:創世記18章16-33節、19章23-29節
題:アブラハムの執り成し
説教者:長谷川和雄師
新聖歌:2、206、196