月別: 2011年9月


主日礼拝「祈りの模範~イエス・キリスト」

10:30より、主日礼拝 が行われました。

説教題
祈りの模範~イエス・キリスト
聖書
マルコによる福音書1章35~39節
説教者
加藤郁生師
出席者数
67人

聖書: マルコによる福音書1章35~39節 (中心聖句は35節) 口語訳

35
朝はやく、夜の明けるよほど前に、イエスは起きて寂しい所へ出て行き、そこで祈っておられた。
36
すると、シモンとその仲間とが、あとを追ってきた。
37
そしてイエスを見つけて、「みんなが、あなたを捜しています」と言った。
38
イエスは彼らに言われた、「ほかの、附近の町々にみんなで行って、そこでも教を宣べ伝えよう。わたしはこのために出てきたのだから」。
39
そして、ガリラヤ全地を巡りあるいて、諸会堂で教えを宣べ伝え、また悪霊を追い出された。

礼拝メッセージの要約 「祈りの模範~イエス・キリスト」 加藤郁生師

キリストは他の誰よりも、わたしたちの祈りの模範です。 わたしたちは、キリストによって祈りを学びます。

  1. 祈りによって始められた公生涯

    キリストは、洗礼を受ける時に祈られましたし、荒野で試みを受ける時にも祈られました。 して見ますと、キリストの公生涯のスタートは祈りをもってなされたと言えます。

  2. 大切な節目での祈り

    キリストは12弟子たちの選定でも、徹夜の祈りをなさいました。 12弟子たちは主の祈りのうちに立てられたのです。 わたしたちも大事なことをなす時に、キリスト様のように祈らなければなりません。

  3. ゲッセマネの祈り

    キリストは十字架にかかる際に、ゲッセマネの園で祈りの格闘をなされ、勝利して苦難に臨みました。 その時、血のような汗を流して、もだえて祈りました。 実に十字架の贖いは、この祈りの勝利によってもたらされたのです。 わたしたちも、主のわざを全うするために必死で祈りたいのです。

  4. 十字架上の祈り

    キリストの贖いの生涯は、祈りをもって始まり、祈りをもって終わるご生涯でした。 主は十字架上で、「父よ、彼らをおゆるしください」ととりなされ、「父よ、わたしの霊をみ手にゆだねます」と祈られました。 十字架のご苦難の中で祈られるイエス様。 これこそ、わたしたちが模範とすべきお姿でしょう。

わたしたちは何をどう祈っていいかわかりませんが、わたしたちの前には、生涯祈り通された主イエス・キリストがおられます。 この主の、み後についていきましょう。

09:30より、教会学校 が行われました。

テーマ
見あげた信仰
みことば
マタイによる福音書15章21~28節
出席者数
8人(生徒のみ集計)

午後より、青年会(秋のレクリエーション) が行われました。

19:00より、夕拝 が行われました。

出席者数
5人


主日礼拝「聖書による自己吟味」

10:30より、主日礼拝 が行われました。

説教題
聖書による自己吟味
聖書
ヨハネによる福音書11章17~44節
説教者
加藤郁生師
出席者数
66人

聖書: ヨハネによる福音書11章17~44節 (中心聖句は40節) 口語訳

17
さて、イエスが行ってごらんになると、ラザロはすでに四日間も墓の中に置かれていた。
18
ベタニヤはエルサレムに近く、二十五丁ばかり離れたところにあった。
19
大ぜいのユダヤ人が、その兄弟のことで、マルタとマリヤとを慰めようとしてきていた。
20
マルタはイエスがこられたと聞いて、出迎えに行ったが、マリヤは家ですわっていた。
21
マルタはイエスに言った、「主よ、もしあなたがここにいて下さったなら、わたしの兄弟は死ななかったでしょう。
22
しかし、あなたがどんなことをお願いになっても、神はかなえて下さることを、わたしは今でも存じています」。
23
イエスはマルタに言われた、「あなたの兄弟はよみがえるであろう」。
24
マルタは言った、「終りの日のよみがえりの時よみがえることは、存じています」。
25
イエスは彼女に言われた、「わたしはよみがえりであり、命である。わたしを信じる者は、たとい死んでも生きる。
26
また、生きていて、わたしを信じる者は、いつまでも死なない。あなたはこれを信じるか」。
27
マルタはイエスに言った、「主よ、信じます。あなたがこの世にきたるべきキリスト、神の御子であると信じております」。
28
マルタはこう言ってから、帰って姉妹のマリヤを呼び、「先生がおいでになって、あなたを呼んでおられます」と小声で言った。
29
これを聞いたマリヤはすぐに立ち上がって、イエスのもとに行った。
30
イエスはまだ村に、はいってこられず、マルタがお迎えしたその場所におられた。
31
マリヤと一緒に家にいて彼女を慰めていたユダヤ人たちは、マリヤが急いで立ち上がって出て行くのを見て、彼女は墓に泣きに行くのであろうと思い、そのあとからついて行った。
32
マリヤは、イエスのおられる所に行ってお目にかかり、その足もとにひれ伏して言った、「主よ、もしあなたがここにいて下さったなら、わたしの兄弟は死ななかったでしょう」。
33
イエスは、彼女が泣き、また、彼女と一緒にきたユダヤ人たちも泣いているのをごらんになり、激しく感動し、また心を騒がせ、そして言われた、
34
「彼をどこに置いたのか」。彼らはイエスに言った、「主よ、きて、ごらん下さい」。
35
イエスは涙を流された。
36
するとユダヤ人たちは言った、「ああ、なんと彼を愛しておられたことか」。
37
しかし、彼らのある人たちは言った、「あの盲人の目をあけたこの人でも、ラザロを死なせないようには、できなかったのか」。
38
イエスはまた激しく感動して、墓にはいられた。それは洞穴であって、そこに石がはめてあった。
39
イエスは言われた、「石を取りのけなさい」。死んだラザロの姉妹マルタが言った、「主よ、もう臭くなっております。四日もたっていますから」。
40
イエスは彼女に言われた、「もし信じるなら神の栄光を見るであろうと、あなたに言ったではないか」。
41
人々は石を取りのけた。すると、イエスは目を天にむけて言われた、「父よ、わたしの願いをお聞き下さったことを感謝します。
42
あなたがいつでもわたしの願いを聞きいれて下さることを、よく知っています。しかし、こう申しますのは、そばに立っている人々に、あなたがわたしをつかわされたことを、信じさせるためであります」。
43
こう言いながら、大声で「ラザロよ、出てきなさい」と呼ばわれた。
44
すると、死人は手足を布でまかれ、顔も顔おおいで包まれたまま、出てきた。イエスは人々に言われた、「彼をほどいてやって、帰らせなさい」。

礼拝メッセージの要約 「聖書による自己吟味」 加藤郁生師

聖書は時として、私たち自身を写す鏡となります。 わたしたちは聖書を通して、自己を探られ、作り変えら得る契機とされます。

  1. ベタニヤのマルタ

    イエス様が死んだラザロのもとを訪れた時、マルタが主を迎えました。 この時マルタは、ラザロのよみがえりをまったく予期しませんでしたが、 それでも「わたしはよみがえりであり、命である」という命の源なる主を信じることを表明しました。 しかし彼女の告白は後に矛盾を呈することになりました。

  2. 主よもう臭くなっております

    ラザロの墓に赴き、「石を取りのけなさい」とおっしゃるイエスの言葉に注文をつけたのは、他ならぬマルタでした。 「主よもう臭くなっております。四日もたっておりますから」。

    「わたしはよみがえりであり、命である」という主によもや、こんな言葉を投げかけるとは。 しかし他人事ではありません。 わたしたちも、時として、自らの信仰の告白と矛盾するような言動をもって主を憂いさせているのです。

  3. 信じるならば神の栄光を見るとであろうと、あなたに言ったではないか

    上記のお言葉をもって、主はラザロをよみがえらせました。 ここで信じることの意味を教えられます。 信じるとは、わたしたちの目の前にある、絶望の石、失望の石を取りのけることです。

    わたしは主を信じると言いながら、目の前の現実に打ちひしがれます。 しかし主は、わたしたちに信仰をもって、その石をとりのけなさいと命じられるのです。 わたしたちも、主を信じて、石を取りのけて、神がお約束くださる神の栄光を拝する者とさせていただきましょう。

09:30より、教会学校 が行われました。

テーマ
人を汚す罪
みことば
マルコによる福音書7章14~23節
出席者数
7人(生徒のみ集計)

午後より、CS教師会 が行われました。

夕拝 は京都聖会に合流しました。


主日礼拝「主と共に生かされて歩むクリスチャン」

10:30より、主日礼拝 が行われました。

説教題
主と共に生かされて歩むクリスチャン
聖書
マタイによる福音書14章13~33節
説教者
加藤郁生師
出席者数
64人

聖書: マタイによる福音書14章13~33節 (中心聖句は27節) 口語訳

13
イエスはこのことを聞くと、舟に乗ってそこを去り、自分ひとりで寂しい所へ行かれた。しかし、群衆はそれと聞いて、町々から徒歩であとを追ってきた。
14
イエスは舟から上がって、大ぜいの群衆をごらんになり、彼らを深くあわれんで、そのうちの病人たちをおいやしになった。
15
夕方になったので、弟子たちがイエスのもとにきて言った、「ここは寂しい所でもあり、もう時もおそくなりました。群衆を解散させ、めいめいで食物を買いに、村々へ行かせてください」。
16
するとイエスは言われた、「彼らが出かけて行くには及ばない。あなたがたの手で食物をやりなさい」。
17
弟子たちは言った、「わたしたちはここに、パン五つと魚二ひきしか持っていません」。
18
イエスは言われた、「それをここに持ってきなさい」。
19
そして群衆に命じて、草の上にすわらせ、五つのパンと二ひきの魚とを手に取り、天を仰いでそれを祝福し、パンをさいて弟子たちに渡された。弟子たちはそれを群衆に与えた。
20
みんなの者は食べて満腹した。パンくずの残りを集めると、十二のかごにいっぱいになった。
21
食べた者は、女と子供とを除いて、おおよそ五千人であった。
22
それからすぐ、イエスは群衆を解散させておられる間に、しいて弟子たちを舟に乗り込ませ、向こう岸へ先におやりになった。
23
そして群衆を解散させてから、祈るためひそかに山へ登られた。夕方になっても、ただひとりそこにおられた。
24
ところが舟は、もうすでに陸から数丁も離れており、逆風が吹いていたために、波に悩まされていた。
25
イエスは夜明けの四時ごろ、海の上を歩いて彼らの方へ行かれた。
26
弟子たちは、イエスが海の上を歩いておられるのを見て、幽霊だと言っておじ惑い、恐怖のあまり叫び声をあげた。
27
しかし、イエスはすぐに彼らに声をかけて、「しっかりするのだ、わたしである。恐れることはない」と言われた。
28
するとペテロが答えて言った、「主よ、あなたでしたか。では、わたしに命じて、水の上を渡ってみもとに行かせてください」。
29
イエスは、「おいでなさい」と言われたので、ペテロは舟からおり、水の上を歩いてイエスのところへ行った。
30
しかし、風を見て恐ろしくなり、そしておぼれかけたので、彼は叫んで、「主よ、お助けください」と言った。
31
イエスはすぐに手を伸ばし、彼をつかまえて言われた、「信仰の薄い者よ、なぜ疑ったのか」。
32
ふたりが舟に乗り込むと、風はやんでしまった。
33
舟の中にいた者たちはイエスを拝して、「ほんとうに、あなたは神の子です」と言った。

礼拝メッセージの要約 「主と共に生かされて歩むクリスチャン」 加藤郁生師

わたしたちが人生を歩む中で覚えますことは、人は自分の力で生きているように思えても、 実はすべてが神に与えられ、生かされているということです。

イエス様はどんな時にもわたしたちと共にいて、わたしたちを生かし、強め、励まし、支えてくださるお方なのです。

  • イエスのあわれみ

    この箇所で、イエス様は群衆をご覧になり、彼らを深くあわれまれたとあります。 主の深いあわれみです。 このことはわたしたちに何と慰めでしょう。

    わたしたちが悲しみと苦悩に沈む時、受肉のイエスがそこにいらっしゃるならば、深くあわれんでくださるのです。 わたしたちは主の深いあわれみの内に生かされているのです。

  • 主のとりなし

    イエス様は群衆を解散させた後、祈るためにひそかに山に登られました。 何のために祈られたのか。 自らの働きのために、弟子ために、群衆のためにでしょうか。

    いずれにしても、わたしたちにはイエス様の祈りがいつも共にあるのです。 わたしたちが主にとりなされて生かされていることを忘れてはなりません。

  • 主のお言葉

    おじまどう弟子たちに主は現れ、「しっかりするのだ、わたしである」と言われました。 このキリストのみ言葉こそ、すべての困難を乗り越える力です。

    わたしたちも人生の荒波の中で、苦しみ悶える時があるでしょう。 その時はわたしたちの真ん中にお立ちくださる主を仰ぎ、御声を聞かなければなりません。 そうするならば、わたしたちは力を得て、きっと立ち上がることができるのです。

主こそわたしたちの力です。ハレルヤ!

09:30より、教会学校 が行われました。

テーマ
信仰による柔和
みことば
創世記26章12~22節
出席者数
11人(生徒のみ集計)

午後より、CS・婦人会合同「秋のレクリエーション」ぶどう狩り(勧修寺観光農園) が行われました。

19:00より、夕拝 が行われました。

出席者数
6人


主日礼拝「新しく造られたものとして」

10:30より、主日礼拝 が行われました。

説教題
新しく造られたものとして
聖書
コリント人への第二の手紙5章11~19節
説教者
加藤郁生師
出席者数
67人

聖書: コリント人への第二の手紙5章11~19節 (中心聖句は17節) 口語訳

11
このようにわたしたちは、主の恐るべきことを知っているので、人々に説き勧める。わたしたちのことは、神のみまえには明らかになっている。さらに、あなたがたの良心にも明らかになるようにと望む。
12
わたしたちは、あなたがたに対して、またもや自己推薦をしようとするのではない。ただわたしたちを誇る機会を、あなたがたに持たせ、心を誇るのではなくうわべだけを誇る人々に答えうるようにさせたいのである。
13
もしわたしたちが、気が狂っているのなら、それは神のためであり、気が確かであるのなら、それはあなたがたのためである。
14
なぜなら、キリストの愛がわたしたちに強く迫っているからである。わたしたちはこう考えている。ひとりの人がすべての人のために死んだ以上、すべての人が死んだのである。
15
そして、彼がすべての人のために死んだのは、生きている者がもはや自分のためにではなく、自分のために死んでよみがえったかたのために、生きるためである。
16
それだから、わたしたちは今後、だれをも肉によって知ることはすまい。かつてはキリストを肉によって知っていたとしても、今はもうそのような知り方をすまい。
17
だれでもキリストにあるならば、その人は新しく造られた者である。古いものは過ぎ去った、見よ、すべてが新しくなったのである。
18
しかし、すべてこれらの事は、神から出ている。神はキリストによって、わたしたちをご自分に和解させ、かつ和解の務をわたしたちに授けて下さった。
19
すなわち、神はキリストにおいて世をご自分に和解させ、その罪過の責任をこれに負わせることをしないで、わたしたちに和解の福音をゆだねられたのである。

礼拝メッセージの要約 「新しく造られたものとして」 加藤郁生師

クリスチャンであるわたしたちは、生まれも育ちも違いますが、ある一点で共通しています。 それは、わたしたちが新しく造られた者であるということです。

「だれでもキリストにあるならば、その人は新しく造られた者である。 古いものは過ぎ去った、見よ、すべてが新しくなったのである」

キリスト者は新しい自分、新しい人生を歩む者です。その人生とは、以下の通りです。

  1. キリストの愛に生きる人生

    新しく造られたキリスト者は、自分のために生きるのではなく、 キリストの愛に迫られて生きる者となりました。 わたしたちの生きる動機がキリストの愛への応答であるならば、何と幸いなことでしょう。

    ある兄弟は以前、切った張ったの道を歩んでおられましたが、 救われて、キリストを主と仰いで、キリストに従う者となりました。 わたしたちの人生を一変させるのは、このキリストの十字架

  2. 和解の福音をゆだねられた者として生きる人生

    十字架の贖いによって神様との和解をいただいたわたしたちは、それだけではなく、 和解の福音の使者という使命をいただきました。 いわば神の全権大使です。 それは光栄ある務めであると同時に、重大な責任を担っていると言えます。

    わたしたちは慎んで宣教命令をお受けし、全世界に出て行って、 和解の使者としての使命をまっとうしたいと思うのです。 わたしたちの教会が和解の福音を持ち運ぶ使命に預かるとは、 何と素晴らしいことではないでしょうか。

09:30より、教会学校 が行われました。

テーマ
信仰による決断
みことば
創世記22章42~58節
出席者数
10人(生徒のみ集計)

午後教会役員会 が行われました。

19:00より、夕拝 が行われました。

出席者数
6人