月別: 2010年8月


主日礼拝「破れを繕う者~信仰者の生きる道」

10:30より、主日礼拝 が行われました。

説教題
破れを繕う者~信仰者の生きる道
聖書
イザヤ書58章6~12節
説教者
加藤郁生師
出席者数
72人

聖書: イザヤ書58章6-12節 (中心聖句は12節) 口語訳

6
わたしが選ぶところの断食は、悪のなわをほどき、くびきのひもを解き、しえたげられる者を放ち去らせ、すべてのくびきを折るなどの事ではないか。
7
また飢えた者に、あなたのパンを分け与え、さすらえる貧しい者を、あなたの家に入れ、裸の者を見て、これを着せ、自分の骨肉に身を隠さないなどの事ではないか。
8
そうすれば、あなたの光が暁のようにあらわれ出て、あなたは、すみやかにいやされ、あなたの義はあなたの前に行き、主の栄光はあなたのしんがりとなる。
9
また、あなたが呼ぶとき、主は答えられ、あなたが叫ぶとき、『わたしはここにおる』と言われる。もし、あなたの中からくびきを除き、指をさすこと、悪い事を語ることを除き、
10
飢えた者にあなたのパンを施し、苦しむ者の願いを満ち足らせるならば、あなたの光は暗きに輝き、あなたのやみは真昼のようになる。
11
主は常にあなたを導き、良き物をもってあなたの願いを満ち足らせ、あなたの骨を強くされる。あなたは潤った園のように、水の絶えない泉のようになる。
12
あなたの子らは久しく荒れすたれたる所を興し、あなたは代々やぶれた基を立て、人はあなたを『破れを繕う者』と呼び、『市街を繕って住むべき所となす者』と呼ぶようになる。

礼拝メッセージの要約 「破れを繕う者~信仰者の生きる道」 加藤郁生師

旧約の時代に、イザヤはイスラエルを復興する者を「破れを繕う者」と呼び、その出現を待望しました。 わたしたちの時代も「破れを繕う者」こそが待ち望まれています。

破れを繕う者とは、以下の通りです。

  1. 主に破れを繕われた者

    わたしたちは、破れを繕う前に、自分の破れを繕っていただかなければなりません。 わたしたちはみな破れがあります。

    それは自分の力ではどうにもなりません。 しかしキリストはご自身の十字架の贖いをもって、わたしたちの破れを繕ってくださったのです。 そのことを片時も忘れないようにしたいのです。

  2. この世の破れを繕う者

    破れを繕っていただいたわたしたちの前にあるのは、この世の破れです。 その破れは、身近な所(家庭、職場、学校)から世界的な紛争にいたるまで世界に満ちています。

    わたしたちは小さな所からでも、キリストの愛をもって破れを繕うべく主に召されています。 繕うべき道具は福音です。 破れを繕うべく立ち上がりましょう。

  3. 教会の破れを繕い合う者

    教会にも破れがあります。 人間が人間たる所以です。 牧師の破れ、信徒の破れ。

    しかし大切なのはその破れを、キリストの愛をいただいてお互いに繕い合うことです。 教会が完全であるというのではなく、破れを有しながらも、互いに繕い合うことの中に「教会らしさ」があるのです。

    教会の主であるキリストは、わたしたちの破れに痛みます。 破れを繕い合いましょう。

09:30より、教会学校 が行われました。

テーマ
箱舟なるキリスト
みことば
創世記7章1~24節
出席者数
11人(生徒のみ集計)

午後より、青年会(祈りと証し会) が行われました。

19:00より、夕拝 が行われました。

出席者数
7人


主日礼拝「祈りは聞かれるか?」

10:30より、主日礼拝 が行われました。

説教題
祈りは聞かれるか?
聖書
エレミヤ書33章1~9節
説教者
加藤郁生師
出席者数
61人

聖書: エレミヤ書33章1-9節 (中心聖句は3節) 口語訳

1
エレミヤがなお監視の庭に閉じ込められている時、主の言葉はふたたび彼に臨んだ、
2
「地を造られた主、それを形造って堅く立たせられた主、その名を主と名のっておられる者がこう仰せられる、
3
わたしに呼び求めよ、そうすれば、わたしはあなたに答える。そしてあなたの知らない大きな隠されている事を、あなたに示す。
4
イスラエルの神、主は塁と、つるぎとを防ぐために破壊されたこの町の家と、ユダの王の家についてこう言われる、
5
カルデヤびとは来て戦い、わたしが怒りと憤りをもって殺す人々の死体を、それに満たす。わたしは人々のもろもろの悪のために、この町にわたしの顔をおおい隠した。
6
見よ、わたしは健康と、いやしとを、ここにもたらして人々をいやし、豊かな繁栄と安全とを彼らに示す。
7
わたしはユダとイスラエルを再び栄えさせ、彼らを建てて、もとのようにする。
8
わたしは彼らがわたしに向かって犯した罪のすべてのとがを清め、彼らがわたしに向かって犯した罪と反逆のすべてのとがをゆるす。
9
この町は地のもろもろの民の前に、わたしのために喜びの名となり、誉となり、栄えとなる。彼らはわたしがわたしの民に施すもろもろの恵みのことを聞く。そして、わたしがこの町に施すもろもろの恵みと、もろもろの繁栄のために恐れて身をふるわす。

礼拝メッセージの要約 「祈りは聞かれるか?」 加藤郁生師

「祈りは聞かれるか」と言えば、祈りは必ず聞かれます。 神は生きておられ、わたしたちを救い、わたしたちの祈りを聞かれるのです。 しかしそのご方法は一つではありません。

  1. すぐに答えられる祈り

    神は必要であるなら、わたしたちの祈りに即座に答えてくださいます。 これは経験から申し上げることですが、信仰に入って間もないわたしたちの信仰は幼く弱いものです。 神はそんなわたしたちの祈りに答えてくださり、確かに神が生きておられることへの実感を与えてくださるのです。

  2. 長い時をもって答えられる祈り

    神はわたしたちの祈りにすぐに答えられないことがあります。 しかし神はそのことを通してわたしたちに、大切なことを教えてくださいます。 それは愛と信仰と忍耐です。

    大切なことは簡単に手に入りません。 心注ぎ出して祈らなければならないのです。 神様はそのような祈りを求めておられるのです。

  3. 聞かれない祈り

    わたしたちの理解を超えることですが、神は時として、祈りを聞かれないことをもって答えられます。 しかしそれも、神のわたしたちに対する確かな答えです。

    ですからわたしたちは、神の「No」という答えに、アーメンと信仰をもって従いたいと思います。 神はそのようなあなたの信仰に、想像を遥かに超えた大いなる神の栄光をあらわしてくださるのです。

    「わたしに呼び求めよ、そうすれば、わたしはあなたに答える。そしてあなたの知らない大きな隠されている事を、あなたに示す」の み言葉は真実です。

09:30より、教会学校 が行われました。

テーマ
罪がもたらすもの
みことば
創世記3章1~24節
出席者数
8人(生徒のみ集計)

午後より、CS教師会 が行われました。

19:00より、夕拝 が行われました。

出席者数
9人


主日礼拝「怒りや憎しみを賛美に変えて~賛美に生きる信仰者」

10:30より、主日礼拝 が行われました。

説教題
怒りや憎しみを賛美に変えて~賛美に生きる信仰者
聖書
詩篇47篇
説教者
加藤郁生師
出席者数
60人

聖書: 詩篇47章1-10節 (中心聖句は1-2節) 口語訳

1
もろもろの民よ、手をうち、喜びの声をあげ、神にむかって叫べ。
2
いと高き主は恐るべく、全地をしろしめす大いなる王だからである。
3
主はもろもろの民をわれらに従わせ、もろもろの国をわれらの足の下に従わせられた。
4
主はその愛されたヤコブの誇をわれらの嗣業として、われらのために選ばれた。〔セラ
5
神は喜び叫ぶ声と共にのぼり、主はラッパの声と共にのぼられた。
6
神をほめうたえよ、ほめうたえよ、われらの王をほめうたえよ、ほめうたえよ。
7
神は全地の王である。巧みな歌をもってほめうたえよ。
8
神はもろもろの国民を統べ治められる。神はその聖なるみくらに座せられる。
9
もろもろの民の君たちはつどい来て、アブラハムの神の民となる。地のもろもろの盾は神のものである。神は大いにあがめられる。

礼拝メッセージの要約 「怒りや憎しみを賛美に変えて~賛美に生きる信仰者」 加藤郁生師

詩篇の賛美の表現形式の一つに「賛美」があります。 これは神をたたえるものですが、わたしたちは詩篇の「賛美」を通して、神こそが賛美を受けるにふさわしい方であり、 わたしたちは神を賛美する者として造られたお互いであることを自覚することができるのです。

賛美は決して、感情を押し殺した形式的なものではありません。 むしろ豊かな感情(感謝、喜び、希望)にあふれたものです。

ですから詩篇47篇は、「もろもろの民よ、手を打ち、喜びの声をあげ、神に向かって叫べ」と言います。 わたしたちが罪の泥沼から救われ、神の子として栄光の望みに生きるものとされていることを覚えるならば、 わたしたちの救いの岩なる神を心から賛美することに、躊躇する理由は少しもないはずだからです。

「しあわせなら態度で…」

最近、朝日新聞の「窓」という欄に、木村利人博士のエピソードが記されていました。 クリスチャンである木村氏は、フィリピンの青年との交わりをきっかけに、そのフィリピンの人々への感謝と平和の思いをこめて 「しあわせなら手をたたこう」という有名な曲を作りましたが、その時参考にしたのがこの詩篇47篇だそうです。

そして、木村氏の曲の中に「しあわせなら態度で示そうよ」とありますが、 まさにそれは、わたしたち信仰者が覚えるべき信仰の姿勢でしょう。

今日もわたしたちは、この口と全身をもって神をほめたたえたいのです。

09:30より、教会学校 が行われました。

テーマ
神は愛である
みことば
ヨハネによる第一の手紙4章7~12節
出席者数
12人(生徒のみ集計)

午後より、壮年会(証し会)、婦人会(例会) が行われました。

19:00より、夕拝 が行われました。

出席者数
7人


主日礼拝「神の全き贖いの計画にある信仰者」

10:30より、主日礼拝 が行われました。

説教題
神の全き贖いの計画にある信仰者
聖書
ローマ人への手紙8章18~25節
説教者
加藤郁生師
出席者数
70人

聖書: ローマ人への手紙8章18-25節 (中心聖句は23節) 口語訳

18
わたしは思う。今のこの時の苦しみは、やがてわたしたちに現されようとする栄光に比べると、言うに足りない。
19
被造物は、実に、切なる思いで神の子たちの出現を待ち望んでいる。
20
なぜなら、被造物が虚無に服したのは、自分の意志によるのではなく、服従させたかたによるのであり、
21
かつ、被造物自身にも、滅びのなわめから解放されて、神の子たちの栄光の自由に入る望みが残されているからである。
22
実に、被造物全体が、今に至るまで、共にうめき共に産みの苦しみを続けていることを、わたしたちは知っている。
23
それだけではなく、御霊の最初の実を持っているわたしたち自身も、心の内でうめきながら、子たる身分を授けられること、すなわち、からだのあがなわれることを待ち望んでいる。
24
わたしたちは、この望みによって救われているのである。しかし、目に見える望みは望みではない。なぜなら、現に見ている事を、どうして、なお望む人があろうか。
25
もし、わたしたちが見ないことを望むなら、わたしたちは忍耐して、それを待ち望むのである。

礼拝メッセージの要約 「神の全き贖いの計画にある信仰者」 加藤郁生師

キリスト教の中心テーマに「贖い」ということがあります。 普通この贖いと言いますと、キリストの十字架を意味します。

しかし、聖書に出てくる贖いは、それに限定されません。 聖書の贖いとは、十字架の贖罪を土台にしつつ、さらにわたしたちの将来、 そしてこの世界の終末と神の国の完成に関わる大きなテーマなのです。

  1. 贖いの対象

    十字架の贖いの対象は、直接的には人間です。 しかしその効力は、わたしたち人間だけではなく、被造物全体、すなわちこの世界のすべてに及ぶのです。

    わたしたちが贖われた結果、終わりの時に、この被造物たる世界全体が変わります。 キリストの再臨の時に、わたしたちを含む全てが栄光に満たされ、「おおかみは子羊と共にやどる」ような平和に満ちた新しい神のみ国が到来するのです。

    ですからこの世界全体が、T・F・トーランスが言うように「贖罪的、redemptive」なのです。

  2. 贖いの完成を待ち望んでいます

    わたしたちの人生は、神の贖いの完成の過程(プロセス)の中にあります。 ですから「救われて、はい終わりです」が救いではありません。 「救われて、さぁ、これからもっと完全に救われるぞ」というのが本当の救いです。

    わたしたちキリストを信じて救われた者は、そのような神の全宇宙的贖いの計画のど真ん中に生きているのです。 わたしたちその望みに生きているのです。

    そうします時に、わたしたちにとって大切なことは、この世の現実に失望しすぎないことです。 救われてなお不完全な自分、矛盾に満ちた世界に絶望して信仰を失わないことです。

明日は来ます…。 その望みをもって、わたしたちは毎日の生活を神への愛をもって歩もうではありませんか。 喜びと感謝に満ちた日々の歩みとさせていただこうではありませんか!

09:30より、教会学校 が行われました。

テーマ
神は光である
みことば
ヨハネによる第一の手紙1章5~10節
出席者数
11人(生徒のみ集計)

午後より、CSサマーキャンプ が行われました。

19:00より、特別夕拝 が行われました。

出席者数
23人


主日礼拝「やわらかい心をもって歩む~聖書のユーモア」

10:30より、主日礼拝 が行われました。

説教題
やわらかい心をもって歩む~聖書のユーモア
聖書
マタイによる福音書22章15~22節
説教者
加藤郁生師
出席者数
71人

聖書: マタイによる福音書22章15-22節 (中心聖句は21節) 口語訳

15
そのときパリサイ人たちがきて、どうかしてイエスを言葉のわなにかけようと、相談をした。
16
そして、彼らの弟子を、ヘロデ党の者たちと共に、イエスのもとにつかわして言わせた、「先生、わたしたちはあなたが真実なかたであって、真理に基いて神の道を教え、また、人に分け隔てをしないで、だれをもはばかられないことを知っています。
17
それで、あなたはどう思われますか、答えてください。カイザルに税金を納めてよいでしょうか、いけないでしょうか」。
18
イエスは彼らの悪意を知って言われた、「偽善者たちよ、なぜわたしをためそうとするのか。
19
税に納める貨幣を見せなさい」。彼らはデナリ一つを持ってきた。
20
そこでイエスは言われた、「これは、だれの肖像、だれの記号か」。
21
彼らは「カイザルのです」と答えた。するとイエスは言われた、「それでは、カイザルのものはカイザルに、神のものは神に返しなさい」。
22
彼らはこれを聞いて驚嘆し、イエスを残して立ち去った。

礼拝メッセージの要約 「やわらかい心をもって歩む~聖書のユーモア」 加藤郁生師

クリスチャンと言いますと一般的には、融通の利かないコチコチの人というイメージがあるようです。 しかし実際のところ、わたしたちに信仰が与えられると、むしろ心がやわらかくなって、おかしみ(ユーモア)さえ出てきます。

イエス様も柔らかい心で人々に接していたことを、忘れてはなりません。

  • エピソード(1)

    イエス様はペテロの召命に際し、ペテロの職業にひっかけて、 「人間をとる漁師にしてあげよう」と言われた(マタイ4章)。

  • エピソード(2)

    イエス様は宮の納入金を納めるか否かの問答に際し、海の魚から見つかる銀貨をもって納めるように命じられ、 その場の緊張を和らげられた(マタイ17章)。

  • エピソード(3)

    イエス様は悪意をもって貨幣について問うパリサイ人たちに対して、 「カイザルのものはカイザルに、神のものは神に返しなさい」と答えられ、彼らをけむに巻かれた(マタイ22章)。

  • エピソード(4)

    復活したイエス様は弟子たちに現れ、驚く弟子たちにご自身の手と脇を見せられた。 イエス様のポーズは弟子たちを安心させた(ヨハネ20章)。

枚挙に暇がありませんが、イエス様は愛に満ちたやわらかいお心をもって人々の心を包みました。 わたしたちもイエス様のように、やわらかい心、愛の心、ユーモアに満ちた心をもって包みあいましょう。

09:30より、教会学校 が行われました。

テーマ
神は霊である
みことば
ヨハネによる福音書4章19~24節
出席者数
11人(生徒のみ集計)

午後より、秋のチャペルコンサート実行委員会、教会役員会 が行われました。

19:00より、夕拝 が行われました。

出席者数
6人