月別: 2010年7月


主日礼拝「ナザレ人イエス・キリストに期待する」

10:30より、主日礼拝 が行われました。

説教題
ナザレ人イエス・キリストに期待する
聖書
使徒行伝3章1~10節
説教者
加藤郁生師
出席者数
70人

聖書: 使徒行伝3章1-10節 (中心聖句は6節) 口語訳

1
さて、ペテロとヨハネとが、午後三時の祈のときに宮に上ろうとしていると、
2
生れながら足のきかない男が、かかえられてきた。この男は、宮もうでに来る人々に施しをこうため、毎日、「美しの門」と呼ばれる宮の門のところに、置かれていた者である。
3
彼は、ペテロとヨハネとが、宮にはいって行こうとしているのを見て、施しをこうた。
4
ペテロとヨハネとは彼をじっと見て、「わたしたちを見なさい」と言った。
5
彼は何かもらえるのだろうと期待して、ふたりに注目していると、
6
ペテロが言った、「金銀はわたしには無い。しかし、わたしにあるものをあげよう。ナザレ人イエス・キリストの名によって歩きなさい」。
7
こう言って彼の右手を取って起してやると、足と、くるぶしとが、立ちどころに強くなって、
8
踊りあがって立ち、歩き出した。そして、歩き回ったり踊ったりして神をさんびしながら、彼らと共に宮にはいって行った。
9
民衆はみな、彼が歩き回り、また神をさんびしているのを見、
10
これが宮の「美しの門」のそばにすわって、施しをこうていた者であると知り、彼の身に起ったことについて、驚き怪しんだ。

礼拝メッセージの要約 「ナザレ人イエス・キリストに期待する」 加藤郁生師

人間にとって大切なことの一つは、物事に期待することです。 わたしたちが期待を失うと、目先の快楽に心を奪われてしまいます。 ですから期待は大事です。

使徒行伝3章の足のきかない男のいやしのエピソードは、わたしたちにそのことを教えます。

  1. 足のきかない男の期待

    男は毎日、物乞いをして生きるしか他にすべのない生活でした。 その日いくら稼ぐことができるかということが、彼にとっての期待のすべてでした。 その男が、キリストの弟子に出会いました。

  2. 金銀はわたしにはない

    何かもらえるのではと期待して見た男に対するペテロとヨハネの答えは、「金銀はわたしにはない」でした。 ある意味、それは男の期待を裏切るものでした。 しかしそれは、その期待をはるかにこえた世界への誘いの言葉でした。

  3. ナザレ人イエス・キリストの名によって

    代わりに男に提示されたのは、金銀ではなく、イエスの名による命令でした。

    「ナザレ人イエス・キリストの名によって歩きなさい」。

    男は見事に立ち上がり歩きました。

    キリストのみ名による言葉は、足のきかない男の「金銀を得る」という期待の次元を「歩く」という次元に引き上げました。 御霊は足のきかない男に、真になすべき期待の次元を示し、実現する力を与えてくださったのです。

今、わたしたちは何を期待するでしょうか?

わたしたちは、自分の人生を、教会の宣教の働きを、日本の将来を、神様に期待しようではありませか。 ナザレ人イエス・キリストの名によって、信じて祈ってまいりましょう!

09:30より、教会学校 が行われました。

テーマ
天地創造の神
みことば
創世記1章
出席者数
14人(生徒のみ集計)

午後より、マークさん達の歓迎昼食会、キッズ・イングリッシュ特別版 が行われました。

19:00より、夕拝 が行われました。

出席者数
5人


主日礼拝「祝宴の場へ引き出して下さる神」

10:30より、主日礼拝 が行われました。

説教題
祝宴の場へ引き出して下さる神
聖書
ルカによる福音書15章11~32節
説教者
加藤郁生師
出席者数
66人

聖書: ルカによる福音書15章11-32節 (中心聖句は32節) 口語訳

11
また言われた、「ある人に、ふたりのむすこがあった。
12
ところが、弟が父親に言った、『父よ、あなたの財産のうちでわたしがいただく分をください』。そこで、父はその身代をふたりに分けてやった。
13
それから幾日もたたないうちに、弟は自分のものを全部とりまとめて遠い所へ行き、そこで放蕩に身を持ちくずして財産を使い果した。
14
何もかも浪費してしまったのち、その地方にひどいききんがあったので、彼は食べることにも窮しはじめた。
15
そこで、その地方のある住民のところに行って身を寄せたところが、その人は彼を畑にやって豚を飼わせた。
16
彼は、豚の食べるいなご豆で腹を満たしたいと思うほどであったが、何もくれる人はなかった。
17
そこで彼は本心に立ちかえって言った、『父のところには食物のあり余っている雇人が大ぜいいるのに、わたしはここで飢えて死のうとしている。
18
立って、父のところへ帰って、こう言おう、父よ、わたしは天に対しても、あなたにむかっても、罪を犯しました。
19
もう、あなたのむすこと呼ばれる資格はありません。どうぞ、雇人のひとり同様にしてください』。
20
そこで立って、父のところへ出かけた。まだ遠く離れていたのに、父は彼をみとめ、哀れに思って走り寄り、その首をだいて接吻した。
21
むすこは父に言った、『父よ、わたしは天に対しても、あなたにむかっても、罪を犯しました。もうあなたのむすこと呼ばれる資格はありません』。
22
しかし父は僕たちに言いつけた、『さあ、早く、最上の着物を出してきてこの子に着せ、指輪を手にはめ、はきものを足にはかせなさい。
23
また、肥えた子牛を引いてきてほふりなさい。食べて楽しもうではないか。
24
このむすこが死んでいたのに生き返り、いなくなっていたのに見つかったのだから』。それから祝宴がはじまった。
25
ところが、兄は畑にいたが、帰ってきて家に近づくと、音楽や踊りの音が聞えたので、
26
ひとりの僕を呼んで、『いったい、これは何事なのか』と尋ねた。
27
僕は答えた、『あなたのご兄弟がお帰りになりました。無事に迎えたというので、父上が肥えた子牛をほふらせなさったのです』。
28
兄はおこって家にはいろうとしなかったので、父が出てきてなだめると、
29
兄は父にむかって言った、『わたしは何か年もあなたに仕えて、一度でもあなたの言いつけにそむいたことはなかったのに、友だちと楽しむために子やぎ一匹も下さったことはありません。
30
それだのに、遊女どもと一緒になって、あなたの身代を食いつぶしたこのあなたの子が帰ってくると、そのために肥えた子牛をほふりなさいました』。
31
すると父は言った、『子よ、あなたはいつもわたしと一緒にいるし、またわたしのものは全部あなたのものだ。
32
しかし、このあなたの弟は、死んでいたのに生き返り、いなくなっていたのに見つかったのだから、喜び祝うのはあたりまえである』」。

礼拝メッセージの要約 「祝宴の場へ引き出して下さる神」 加藤郁生師

ルカによる福音書のイエス様の放蕩息子のたとえ話しは、伝道的であると同時に極めて礼拝的メッセージを有しているように思います。 そこにはわたしたちが、どこから救われ、どこに招かれているかを知ることができます。

  1. 父から離れた息子

    第一の場面では、一人の息子が父の生前に自分の財産の分をもらいうけ、 父から離れて財産をもち崩し、惨めな状態になる様が描かれています。

    わたしたちが何度も読むこのストーリーですが、この息子はわたしたちと無縁でしょうか。 むしろ誰でも一度は、父なる神の関係において、父から離れて飢え渇くという、同じ所を通ったお互いではないでしょうか。

  2. 走りよる父

    本心に立ち返った息子を父は待っていました。 遠く離れていたのに、父は息子を認め、走り寄り抱いて接吻しました。

    まさに、「走りよる神です」。 走りよる神は、十字架の贖いをもってわたしたちの罪をゆるし、神の方から近付いてくださるお方です。 わたしたちは誰しも、神の方からのイニシャティブによって罪ゆるされ、救われたのです。

  3. 宴を催す神

    息子が帰って来たことを喜んだ父は、子牛をほふって宴を催しました。 それは兄の妬みを買うほどのふるまいでしたが、それほど父は喜んだのです。 その意味では、わたしたちが救われることは神にとって大いなる喜びです。 神は救われたわたしたちのために祝宴を備えて、招いてくださっています。 その祝宴は究極的に天上の宴でしょうが、この地上では礼拝、セレブレーションの時です。

    ですから、わたしたちは地上で、神の喜びの祝宴の前味を味わうことができるのです。

礼拝、それが祝宴とは何と素晴らしいことでしょう。 わたしたちは、それこそ宴に招かれた者として、喜んで礼拝に連なるお互いとさせていただこうではありませんか!

09:30より、教会学校 が行われました。

テーマ
神に立ち返る
みことば
ルカによる福音書15章11~24節
出席者数
9人(生徒のみ集計)

午後より、壮年会(例会)、婦人会(例会) が行われました。

19:00より、夕拝 が行われました。

出席者数
5人


主日礼拝「キリストの体を裂いてを食べるという感覚~十字架のリアリティ」

10:30より、主日礼拝 が行われました。

説教題
キリストの体を裂いてを食べるという感覚~十字架のリアリティ
聖書
マタイによる福音書26章26~29節
説教者
加藤郁生師
出席者数
68人

聖書: マタイによる福音書26章26-29節 (中心聖句は26節) 口語訳

26
一同が食事をしているとき、イエスはパンを取り、祝福してこれをさき、弟子たちに与えて言われた、「取って食べよ、これはわたしのからだである」。
27
また杯を取り、感謝して彼らに与えて言われた、「みな、この杯から飲め。
28
これは、罪のゆるしを得させるようにと、多くの人のために流すわたしの契約の血である。
29
あなたがたに言っておく。わたしの父の国であなたがたと共に、新しく飲むその日までは、わたしは今後決して、ぶどうの実から造ったものを飲むことをしない」。

礼拝メッセージの要約 「キリストの体を裂いてを食べるという感覚~十字架のリアリティ」 加藤郁生師

わたしたちは、救われて信仰を与えられながら、キリストの十字架の現実感を失ってしまうことがあります。 そして十字架の死の感覚を喪失してしまうと、わたしたちが救われ永遠の命を与えられているという確信が薄まってしまいます。

ですからわたしたちは、十字架のリアリティをいつも感じていかなければなりません。 礼拝における聖餐は、十字架のリアリティを確認する恵みの場です。

パンを食べる…

わたしたちは、キリストが十字架で裂かれた体としてのパンを食します。 その行為を通して、十字架上で裂かれたキリストの肉体を味わいます。

そしてキリストという命のパンをいただくことによって、わたしたちは永遠の命に生かされる存在であること、 キリスト無しには真に生きて行くことのできない者であることを自覚します。

キリストは今もわたしたちにパンを差し出して、「お前のために裂かれたわたしの体を感じてごらん。わたしの愛を感じてごらん」 と、おっしゃっているようです。

この恵みの中に生きることの何と幸いなことでしょう!

09:30より、教会学校 が行われました。

テーマ
近寄り助ける
みことば
ルカによる福音書10章25~37節
出席者数
11人(生徒のみ集計)

午後より、CS教師会 が行われました。

19:00より、夕拝 が行われました。

出席者数
6人


主日礼拝「だれでも渇く者はわたしに来たれ!」

10:30より、主日礼拝 が行われました。

説教題
だれでも渇く者はわたしに来たれ!
聖書
ヨハネによる福音書4章1~26節
説教者
加藤郁生師
出席者数
67人

聖書: ヨハネによる福音書4章1-26節 (中心聖句は14節) 口語訳

1
イエスが、ヨハネよりも多く弟子をつくり、またバプテスマを授けておられるということを、パリサイ人たちが聞き、それを主が知られたとき、
2
(しかし、イエスみずからが、バプテスマをお授けになったのではなく、その弟子たちであった)
3
ユダヤを去って、またガリラヤへ行かれた。
4
しかし、イエスはサマリヤを通過しなければならなかった。
5
そこで、イエスはサマリヤのスカルという町においでになった。この町は、ヤコブがその子ヨセフに与えた土地の近くにあったが、
6
そこにヤコブの井戸があった。イエスは旅の疲れを覚えて、そのまま、この井戸のそばにすわっておられた。時は昼の十二時ごろであった。
7
ひとりのサマリヤの女が水をくみにきたので、イエスはこの女に、「水を飲ませて下さい」と言われた。
8
弟子たちは食物を買いに町に行っていたのである。
9
すると、サマリヤの女はイエスに言った、「あなたはユダヤ人でありながら、どうしてサマリヤの女のわたしに、飲ませてくれとおっしゃるのですか」。これは、ユダヤ人はサマリヤ人と交際していなかったからである。
10
イエスは答えて言われた、「もしあなたが神の賜物のことを知り、また、『水を飲ませてくれ』と言った者が、だれであるか知っていたならば、あなたの方から願い出て、その人から生ける水をもらったことであろう」。
11
女はイエスに言った、「主よ、あなたは、くむ物をお持ちにならず、その上、井戸は深いのです。その生ける水を、どこから手に入れるのですか。
12
あなたは、この井戸を下さったわたしたちの父ヤコブよりも、偉いかたなのですか。ヤコブ自身も飲み、その子らも、その家畜も、この井戸から飲んだのですが」。
13
イエスは女に答えて言われた、「この水を飲む者はだれでも、またかわくであろう。
14
しかし、わたしが与える水を飲む者は、いつまでも、かわくことがないばかりか、わたしが与える水は、その人のうちで泉となり、永遠の命に至る水が、わきあがるであろう」。
15
女はイエスに言った、「主よ、わたしがかわくことがなく、また、ここにくみにこなくてもよいように、その水をわたしに下さい」。
16
イエスは女に言われた、「あなたの夫を呼びに行って、ここに連れてきなさい」。
17
女は答えて言った、「わたしには夫はありません」。イエスは女に言われた、「夫がないと言ったのは、もっともだ。
18
あなたには五人の夫があったが、今のはあなたの夫ではない。あなたの言葉のとおりである」。
19
女はイエスに言った、「主よ、わたしはあなたを預言者と見ます。
20
わたしたちの先祖は、この山で礼拝をしたのですが、あなたがたは礼拝すべき場所は、エルサレムにあると言っています」。
21
イエスは女に言われた、「女よ、わたしの言うことを信じなさい。あなたがたが、この山でも、またエルサレムでもない所で、父を礼拝する時が来る。
22
あなたがたは自分の知らないものを拝んでいるが、わたしたちは知っているかたを礼拝している。救はユダヤ人から来るからである。
23
しかし、まことの礼拝をする者たちが、霊とまこととをもって父を礼拝する時が来る。そうだ、今きている。父は、このような礼拝をする者たちを求めておられるからである。
24
神は霊であるから、礼拝をする者も、霊とまこととをもって礼拝すべきである」。
25
女はイエスに言った、「わたしは、キリストと呼ばれるメシヤがこられることを知っています。そのかたがこられたならば、わたしたちに、いっさいのことを知らせて下さるでしょう」。
26
イエスは女に言われた、「あなたと話をしているこのわたしが、それである」。

礼拝メッセージの要約 「だれでも渇く者はわたしに来たれ!」 加藤郁生師

聖書の中でイエス様と出会う人々は、大切なことに気づくという経験をします。

サマリヤのスカルの女もその一人です。 彼女は、イエス様から水を飲ませてくれるように頼まれますが、 その実、彼女の方こそイエス様の与える命の水を必要としていることに気づかされるのです。

わたしたちもイエス様と出会うことにより、わたしたちが渇いている者であることを自覚し、 命の水を求めることが出来たら幸いです。

  1. 孤独に渇くわたしたち

    わたしたちは喧騒に満ちた毎日を過ごしながら、その実、孤独の淵に沈んでいます。 孤独すぎて自分を傷つけずにはおれない人が数多くいます。 わたしたちは孤独に渇いています。 どうしたらいいんでしょうか?

    だれでも渇く者はわたしに来たれ!

  2. 罪に苦しむわたしたち

    人間は、自分ではどうすることもできない罪に飲み込まれて、その魂は苦しんでいます。 罪から解放されることを求めて救いを渇望しますが得られません。 そんな生殺しのようなわたしたちはどこに行ったらいいのでしょうか。

    だれでも渇く者はわたしに来たれ!

  3. 愛に渇くわたしたち

    この世の愛は冷え、わたしたちには愛がありません。 愛のない世界は地獄のような世界です。 人は本当の愛を求めてさまよいますが、その愛は得られません。 本当の愛をどこに見出すことができるのでしょうか?

    だれでも渇く者はわたしに来たれ!

キリストは今、孤独と罪と愛に渇く、あなたを招いておられるのです! キリストのもとに行きましょう。

09:30より、教会学校 が行われました。

テーマ
み言葉をどう聞くか
みことば
ルカによる福音書8章4~15節
出席者数
14人(生徒のみ集計)

午後より、教会役員会 が行われました。

19:00より、夕拝 が行われました。

出席者数
5人