月別: 2010年6月


主日礼拝「うるわしい愛の交わりの場としての教会」

10:30より、主日礼拝 が行われました。

説教題
うるわしい愛の交わりの場としての教会
聖書
ヨハネの第一の手紙4章7~12節
説教者
加藤郁生師
出席者数
71人

聖書: ヨハネの第一の手紙4章7-12節 (中心聖句は7節) 口語訳

7
愛する者たちよ。わたしたちは互に愛し合おうではないか。愛は、神から出たものなのである。すべて愛する者は、神から生れた者であって、神を知っている。
8
愛さない者は、神を知らない。神は愛である。
9
神はそのひとり子を世につかわし、彼によってわたしたちを生きるようにして下さった。それによって、わたしたちに対する神の愛が明らかにされたのである。
10
わたしたちが神を愛したのではなく、神がわたしたちを愛して下さって、わたしたちの罪のためにあがないの供え物として、御子をおつかわしになった。ここに愛がある。
11
愛する者たちよ。神がこのようにわたしたちを愛して下さったのであるから、わたしたちも互に愛し合うべきである。
12
神を見た者は、まだひとりもいない。もしわたしたちが互に愛し合うなら、神はわたしたちのうちにいまし、神の愛がわたしたちのうちに全うされるのである。

礼拝メッセージの要約 「うるわしい愛の交わりの場としての教会」 加藤郁生師

わたしたちの求めている教会の姿は、うるわしい愛の交わりの場としての教会です。 ここで言う愛とは、もちろん人間的な愛ではありません。 その愛は神から出た愛であり、アガペーの愛です。

アガペーの愛は、神がわたしたちの罪の供えものとして御子をおつかわしになったことによりわたしたちに明らかにされた愛です。

神はこの愛をもって「たがいに愛し合いなさい」と言われるのです。 ですから、わたしたちは互いに愛しあう教会の群れとさせていただきたいのです。

  1. パウロとピリピ教会の関係の様に…

    ピリピの教会は、パウロを終始一貫して支え続けました。 パウロが獄に投ぜられた時も、エパフロデトを送って支援しました。 そのことのためにエパフロデトは深刻な病気にかかり、死ぬほどになりました。 これほどの親密な愛の交わりがなされました。

  2. ローマ人への手紙のあいさつから…

    ローマ人への手紙のあいさつ(ローマ16章)からも、パウロと他の聖徒との交わりの深さが伺い知れます。 その中には、パウロのために自分の首を差し出したアクラとプリスキラや、パウロと一緒に投獄されたアンデロニコとユニアス等がいました。 当時の人々がいかにうるわしい愛の交わりをもって福音のために励んでいたかがわかります。

ですから神様は今、わたしたちにも「互いに愛し合いなさい」と言われるのです。 この神様のチャレンジに応答しましょう!

09:30より、教会学校 が行われました。

テーマ
人生の土台
みことば
マタイによる福音書7章24~29節
出席者数
11人(生徒のみ集計)

午後より、青年会(交わり会と学び会) が行われました。

19:00より、夕拝 が行われました。

出席者数
6人


主日礼拝「キリストとつがなる~信仰者の基本に帰って」

10:30より、主日礼拝 が行われました。

説教題
キリストとつがなる~信仰者の基本に帰って
聖書
ヨハネによる福音書15章1~11節
説教者
加藤郁生師
出席者数
61人

聖書: ヨハネによる福音書15章1-11節 (中心聖句は5節) 口語訳

1
わたしはまことのぶどうの木、わたしの父は農夫である。
2
わたしにつながっている枝で実を結ばないものは、父がすべてこれをとりのぞき、実を結ぶものは、もっと豊かに実らせるために、手入れしてこれをきれいになさるのである。
3
あなたがたは、わたしが語った言葉によって既にきよくされている。
4
わたしにつながっていなさい。そうすれば、わたしはあなたがたとつながっていよう。枝がぶどうの木につながっていなければ、自分だけでは実を結ぶことができないように、あなたがたもわたしにつながっていなければ実を結ぶことができない。
5
わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。もし人がわたしにつながっており、またわたしがその人とつながっておれば、その人は実を豊かに結ぶようになる。わたしから離れては、あなたがたは何一つできないからである。
6
人がわたしにつながっていないならば、枝のように外に投げすてられて枯れる。人々はそれをかき集め、火に投げ入れて、焼いてしまうのである。
7
あなたがたがわたしにつながっており、わたしの言葉があなたがたにとどまっているならば、なんでも望むものを求めるがよい。そうすれば、与えられるであろう。
8
あなたがたが実を豊かに結び、そしてわたしの弟子となるならば、それによって、わたしの父は栄光をお受けになるであろう。
9
父がわたしを愛されたように、わたしもあなたがたを愛したのである。わたしの愛のうちにいなさい。
10
もしわたしのいましめを守るならば、あなたがたはわたしの愛のうちにおるのである。それはわたしがわたしの父のいましめを守ったので、その愛のうちにおるのと同じである。
11
わたしがこれらのことを話したのは、わたしの喜びがあなたがたのうちにも宿るため、また、あなたがたの喜びが満ちあふれるためである。

礼拝メッセージの要約 「キリストとつがなる~信仰者の基本に帰って」 加藤郁生師

人がものごとに行き詰った時に受けるアドヴァイスとして、「基本に帰る」ということがあります。 わたしたちが大切な基本を忘れると、ものごとが上手くいかないことがしばしばだからです。

信仰にも基本と言うものがあります。 わたしたちの信仰が揺らいだりした時には、自分の信仰の基本に立ち返る必要があるのではないでしょうか。

ヨハネ15章のイエス様のぶどうの木のたとえは、わたしたちにとっての大事な信仰の基本となるみ言葉です。 わたしたちは、イエス様から離れては何もできません。わたしたちはイエス様としっかりつながっていなければならないのです。

~イエス様とつながるための大切な提案~

  1. 御言葉を信仰をもって信じましょう

    聖書は神の言葉です。 このみ言葉を読むことが大切ですが、それだけでは不充分です。 与えられたみ言葉が、必ずわたしたちの内に働くことを信じましょう。 み言葉に「アーメン」と答えましょう。

  2. 祈りましょう

    わたしたちは神に期待しているでしょうか。 神は生きておられます。 その生きておられる神に祈って、答えをいただこうではありませんか。 祈りこそが、キリストとつながり、力を受ける秘訣です。

  3. 集会に出席しましょう。

    集会に出なくて、自分で信仰を守ることができるほどわたしたちは強くありません。 共にキリストの体、キリストの家族であることを、集会を通して自覚し、互いに励まし合いたいのです。 2~3人、御名によって集まるところにキリストも共におられるからです。

09:30より、教会学校 が行われました。

テーマ
祈りに応えてくださる神
みことば
マタイによる福音書7章7~12節
出席者数
9人(生徒のみ集計)

午後より、各会合同の会堂大掃除 が行われました。

19:00より、夕拝 が行われました。

出席者数
4人


主日礼拝「小さなささげもの~無力感に打勝つ」

10:30より、主日礼拝 が行われました。

説教題
小さなささげもの~無力感に打勝つ
聖書
ヨハネによる福音書6章1~14節
説教者
加藤郁生師
出席者数
60人

聖書: ヨハネによる福音書6章1-14節 (中心聖句は9節) 口語訳

1
そののち、イエスはガリラヤの海、すなわち、テベリヤ湖の向こう岸へ渡られた。
2
すると、大ぜいの群衆がイエスについてきた。病人たちになさっていたしるしを見たからである。
3
イエスは山に登って、弟子たちと一緒にそこで座につかれた。
4
時に、ユダヤ人の祭である過越が間近になっていた。
5
イエスは目をあげ、大ぜいの群衆が自分の方に集まって来るのを見て、ピリポに言われた、「どこからパンを買ってきて、この人々に食べさせようか」。
6
これはピリポをためそうとして言われたのであって、ご自分ではしようとすることを、よくご承知であった。
7
すると、ピリポはイエスに答えた、「二百デナリのパンがあっても、めいめいが少しずついただくにも足りますまい」。
8
弟子のひとり、シモン・ペテロの兄弟アンデレがイエスに言った、
9
「ここに、大麦のパン五つと、さかな二ひきとを持っている子供がいます。しかし、こんなに大ぜいの人では、それが何になりましょう」。
10
イエスは「人々をすわらせなさい」と言われた。その場所には草が多かった。そこにすわった男の数は五千人ほどであった。
11
そこで、イエスはパンを取り、感謝してから、すわっている人々に分け与え、また、さかなをも同様にして、彼らの望むだけ分け与えられた。
12
人々がじゅうぶんに食べたのち、イエスは弟子たちに言われた、「少しでもむだにならないように、パンくずのあまりを集めなさい」。
13
そこで彼らが集めると、五つの大麦のパンを食べて残ったパンくずは、十二のかごにいっぱいになった。
14
人々はイエスのなさったこのしるしを見て、「ほんとうに、この人こそ世にきたるべき預言者である」と言った。

礼拝メッセージの要約 「小さなささげもの~無力感に打勝つ」 加藤郁生師

わたしたちは予期せぬ試練や困難の中に置かれますと、 「どうせ何もやっても駄目だ」というような無力感に陥ってしまいます。

そんなわたしたちに、たとえわたしたちがどんな小さな存在でも、 神様は十分に用いてくださることを聖書は教えてくれます。

  1. イエス様の思い

    イエス様は自分の周りに集まっていた人々をご覧になり、 ピリポに「どこからパンを買ってきて、この人々に食べさせようか」とお尋ねになりました。 イエス様は彼らの飢えが満たされることを望んでおられました。

  2. 弟子たちの反応

    しかしピリポは、「二百デナリのパンがあっても、めいめいが少しずついただくにも足りますまい」と消極的です。 パンと魚を持った子どもを連れて来たアンデレも、「それがなんになりましょう」と否定的でした。

  3. イエス様の御方法

    しかしそんな弟子たちの反応を知ってか知らずか、イエス様は、小さな子どものささげものを用いて、人々の腹を満たしました。 イエス様の御心は、ご自身の行為をもってはっきりと示されました。

    イエス様は、どんな小さなものでもそれをイエス様に差し出すならば、祝福して用いてくださることを示されたのです。

    わたしたちは自分を、自分の賜物を小さいものと言うでしょうか。 そうであっても「どうなりましょう」と投げやりにならず、イエス様にささげてみてはどうでしょうか。

    主は必ず、そのささげものを用いられるのです。

09:30より、教会学校 が行われました。

テーマ
思いわずらうな
みことば
マタイによる福音書6章25~34節
出席者数
12人(生徒のみ集計)

午後より、CS教師会 が行われました。

19:00より、夕拝 が行われました。

出席者数
5人


主日礼拝「天にある喜び、教会の喜び」

10:30より、主日礼拝 が行われました。

説教題
天にある喜び、教会の喜び
聖書
ルカによる福音書15章
説教者
加藤郁生師
出席者数
61人

聖書: ルカによる福音書15章1-32節 (中心聖句は7節) 口語訳

1
さて、取税人や罪人たちが皆、イエスの話を聞こうとして近寄ってきた。
2
するとパリサイ人や律法学者たちがつぶやいて、「この人は罪人たちを迎えて一緒に食事をしている」と言った。
3
そこでイエスは彼らに、この譬をお話しになった、
4
「あなたがたのうちに、百匹の羊を持っている者がいたとする。その一匹がいなくなったら、九十九匹を野原に残しておいて、いなくなった一匹を見つけるまでは捜し歩かないであろうか。
5
そして見つけたら、喜んでそれを自分の肩に乗せ、
6
家に帰ってきて友人や隣り人を呼び集め、『わたしと一緒に喜んでください。いなくなった羊を見つけましたから』と言うであろう。
7
よく聞きなさい。それと同じように、罪人がひとりでも悔い改めるなら、悔改めを必要としない九十九人の正しい人のためにもまさる大きいよろこびが、天にあるであろう。
8
また、ある女が銀貨十枚を持っていて、もしその一枚をなくしたとすれば、彼女はあかりをつけて家中を掃き、それを見つけるまでは注意深く捜さないであろうか。
9
そして、見つけたなら、女友だちや近所の女たちを呼び集めて、『わたしと一緒に喜んでください。なくした銀貨が見つかりましたから』と言うであろう。
10
よく聞きなさい。それと同じように、罪人がひとりでも悔い改めるなら、神の御使たちの前でよろこびがあるであろう」。
11
また言われた、「ある人に、ふたりのむすこがあった。
12
ところが、弟が父親に言った、『父よ、あなたの財産のうちでわたしがいただく分をください』。そこで、父はその身代をふたりに分けてやった。
13
それから幾日もたたないうちに、弟は自分のものを全部とりまとめて遠い所へ行き、そこで放蕩に身を持ちくずして財産を使い果した。
14
何もかも浪費してしまったのち、その地方にひどいききんがあったので、彼は食べることにも窮しはじめた。
15
そこで、その地方のある住民のところに行って身を寄せたところが、その人は彼を畑にやって豚を飼わせた。
16
彼は、豚の食べるいなご豆で腹を満たしたいと思うほどであったが、何もくれる人はなかった。
17
そこで彼は本心に立ちかえって言った、『父のところには食物のあり余っている雇人が大ぜいいるのに、わたしはここで飢えて死のうとしている。
18
立って、父のところへ帰って、こう言おう、父よ、わたしは天に対しても、あなたにむかっても、罪を犯しました。
19
もう、あなたのむすこと呼ばれる資格はありません。どうぞ、雇人のひとり同様にしてください』。
20
そこで立って、父のところへ出かけた。まだ遠く離れていたのに、父は彼をみとめ、哀れに思って走り寄り、その首をだいて接吻した。
21
むすこは父に言った、『父よ、わたしは天に対しても、あなたにむかっても、罪を犯しました。もうあなたのむすこと呼ばれる資格はありません』。
22
しかし父は僕たちに言いつけた、『さあ、早く、最上の着物を出してきてこの子に着せ、指輪を手にはめ、はきものを足にはかせなさい。
23
また、肥えた子牛を引いてきてほふりなさい。食べて楽しもうではないか。
24
このむすこが死んでいたのに生き返り、いなくなっていたのに見つかったのだから』。それから祝宴がはじまった。
25
ところが、兄は畑にいたが、帰ってきて家に近づくと、音楽や踊りの音が聞えたので、
26
ひとりの僕を呼んで、『いったい、これは何事なのか』と尋ねた。
27
僕は答えた、『あなたのご兄弟がお帰りになりました。無事に迎えたというので、父上が肥えた子牛をほふらせなさったのです』。
28
兄はおこって家にはいろうとしなかったので、父が出てきてなだめると、
29
兄は父にむかって言った、『わたしは何か年もあなたに仕えて、一度でもあなたの言いつけにそむいたことはなかったのに、友だちと楽しむために子やぎ一匹も下さったことはありません。
30
それだのに、遊女どもと一緒になって、あなたの身代を食いつぶしたこのあなたの子が帰ってくると、そのために肥えた子牛をほふりなさいました』。
31
すると父は言った、『子よ、あなたはいつもわたしと一緒にいるし、またわたしのものは全部あなたのものだ。
32
しかし、このあなたの弟は、死んでいたのに生き返り、いなくなっていたのに見つかったのだから、喜び祝うのはあたりまえである』」。

礼拝メッセージの要約 「天にある喜び、教会の喜び」 加藤郁生師

魂の救いを喜ぶ教会、こんな教会になれたらどんなに素晴らしいことでしょう。

イエス様のたとえ話には、魂の救いを心から喜ぶ姿が記されています。

  1. 失われた羊のたとえ

    羊飼いは、99匹を残して一匹を見つけ出すまで探し出し、他の人々と喜びます。 それと同じように、一人の人が悔い改めるなら、99人の正しい人のためにもまさる大きな喜びがある、 というたとえです。

  2. 失われた銀貨のたとえ

    このたとえも上記と同じように、銀貨を見出し喜ぶ女の話です。 同じように罪人が一人でも悔い改めるなら、神の御使いの前で大きな喜びがあるのです。

  3. 放蕩息子の話し

    放蕩息子を見出した父は、羽目をはずして宴会を開きます。 その喜びぶりは息子の兄の怒りを買うぐらいでした。

    このたとえの中に、魂の救いを喜ぶ父なる神の心が余す所なく示されます。 そして神は、わたしたちも父と同じく喜ぶように求めておられるのです。

    父をなじった長男は、ある意味で魂の救いを喜ばなくなってしまった教会の姿かもしれません。 「喜び祝うのはあたりまえである」との神様の言葉が響いてくるようです。

    わたしたちは、宣教の喜びを心から味わう教会とさせていただこうではありませんか。

09:30より、教会学校 が行われました。

テーマ
真に幸いな人
みことば
マタイによる福音書5章1~12節
出席者数
7人(生徒のみ集計)

午後より、教会役員会 が行われました。

19:00より、夕拝 が行われました。

出席者数
5人