月別: 2010年5月(2)


主日礼拝「心が燃えたではないか」

10:30より、主日礼拝 が行われました。

説教題
心が燃えたではないか
聖書
ルカによる福音書24章13~32節
説教者
加藤郁生師
出席者数
76人

聖書: ルカによる福音書24章13-32節 (中心聖句は32節) 口語訳

13
この日、ふたりの弟子が、エルサレムから七マイルばかり離れたエマオという村へ行きながら、
14
このいっさいの出来事について互に語り合っていた。
15
語り合い論じ合っていると、イエスご自身が近づいてきて、彼らと一緒に歩いて行かれた。
16
しかし、彼らの目がさえぎられて、イエスを認めることができなかった。
17
イエスは彼らに言われた、「歩きながら互に語り合っているその話は、なんのことなのか」。彼らは悲しそうな顔をして立ちどまった。
18
そのひとりのクレオパという者が、答えて言った、「あなたはエルサレムに泊まっていながら、あなただけが、この都でこのごろ起ったことをご存じないのですか」。
19
「それは、どんなことか」と言われると、彼らは言った、「ナザレのイエスのことです。あのかたは、神とすべての民衆との前で、わざにも言葉にも力ある預言者でしたが、
20
祭司長たちや役人たちが、死刑に処するために引き渡し、十字架につけたのです。
21
わたしたちは、イスラエルを救うのはこの人であろうと、望みをかけていました。しかもその上に、この事が起ってから、きょうが三日目なのです。
22
ところが、わたしたちの仲間である数人の女が、わたしたちを驚かせました。というのは、彼らが朝早く墓に行きますと、
23
イエスのからだが見当らないので、帰ってきましたが、そのとき御使が現れて、『イエスは生きておられる』と告げたと申すのです。
24
それで、わたしたちの仲間が数人、墓に行って見ますと、果して女たちが言ったとおりで、イエスは見当りませんでした」。
25
そこでイエスが言われた、「ああ、愚かで心のにぶいため、預言者たちが説いたすべての事を信じられない者たちよ。
26
キリストは必ず、これらの苦難を受けて、その栄光に入るはずではなかったのか」。
27
こう言って、モーセやすべての預言者からはじめて、聖書全体にわたり、ご自身についてしるしてある事どもを、説きあかされた。
28
それから、彼らは行こうとしていた村に近づいたが、イエスがなお先へ進み行かれる様子であった。
29
そこで、しいて引き止めて言った、「わたしたちと一緒にお泊まり下さい。もう夕暮になっており、日もはや傾いています」。イエスは、彼らと共に泊まるために、家にはいられた。
30
一緒に食卓につかれたとき、パンを取り、祝福してさき、彼らに渡しておられるうちに、
31
彼らの目が開けて、それがイエスであることがわかった。すると、み姿が見えなくなった。
32
彼らは互に言った、「道々お話しになったとき、また聖書を説き明してくださったとき、お互の心が内に燃えたではないか」。

礼拝メッセージの要約 「心が燃えたではないか」 加藤郁生師

エマオ途上の弟子たちは、復活の主のニュースをすでに知っていました。 しかしそれで彼らの心が晴れたわけではありません。 むしろ、墓が空になったことをいぶかしんでいました。

そこにお出でになったのが復活の主ご自身です。 主は彼らの不信仰を嘆かれ、聖書全体から、ご自身ついて記してあることを説き明かされました。 果たして弟子たちの反応はいかに? ですが、その答えは後の弟子たちの言葉で分かります。

「道々お話しになったとき、また聖書を説き明かしてくださったとき、お互いの心が内に燃えたではないか」。

弟子たちは素晴らしい体験をしていたのでした。 語るお方が誰かは分かりませんでしたが、聖書の説き明かしに、心が熱く(あるいは暖かく)燃えたのです。

これは、わたしたちが信仰生活をする上で味わいたい恵みの体験ではないでしょうか。

わたしたちが、疲れている時、落ち込んでいる時、悲しんでいる時、主はみ言葉をもってわたしたちの心の内を燃やしてくださる。 キリストの愛、十字架の救いの確かさに感動して喜んで、立ち上がることができるようにしてくださるのです。

わたしたちはこのみ言葉によって心燃やされ、力をいただくのです。

写真1 教会学校から母の日の贈り物がありました
教会学校から母の日の贈り物がありました
写真2 それぞれ家の方にもプレゼントをしました
それぞれ家の方にもプレゼントをしました

09:30より、教会学校 が行われました。

テーマ
両親に従う
みことば
エペソ人への手紙6章1~4節
出席者数
14人(生徒のみ集計)

午後より、青年会(歓迎会・就職お祝い会)、CS教師会 が行われました。

19:00より、夕拝 が行われました。

出席者数
4人


主日礼拝「恵みのチャレンジ~見ないで信ずる者は、さいわいである」

10:30より、主日礼拝 が行われました。

説教題
恵みのチャレンジ~見ないで信ずる者は、さいわいである
聖書
ヨハネによる福音書20章19~31節
説教者
加藤郁生師
出席者数
69人

聖書: ヨハネによる福音書20章19-31節 (中心聖句は29節) 口語訳

19
その日、すなわち、一週の初めの日の夕方、弟子たちはユダヤ人をおそれて、自分たちのおる所の戸をみなしめていると、イエスがはいってきて、彼らの中に立ち、「安かれ」と言われた。
20
そう言って、手とわきとを、彼らにお見せになった。弟子たちは主を見て喜んだ。
21
イエスはまた彼らに言われた、「安かれ。父がわたしをおつかわしになったように、わたしもまたあなたがたをつかわす」。
22
そう言って、彼らに息を吹きかけて仰せになった、「聖霊を受けよ。
23
あなたがたがゆるす罪は、だれの罪でもゆるされ、あなたがたがゆるさずにおく罪は、そのまま残るであろう」。
24
十二弟子のひとりで、デドモと呼ばれているトマスは、イエスがこられたとき、彼らと一緒にいなかった。
25
ほかの弟子たちが、彼に「わたしたちは主にお目にかかった」と言うと、トマスは彼らに言った、「わたしは、その手に釘あとを見、わたしの指をその釘あとにさし入れ、また、わたしの手をそのわきにさし入れてみなければ、決して信じない」。
26
八日ののち、イエスの弟子たちはまた家の内におり、トマスも一緒にいた。戸はみな閉ざされていたが、イエスがはいってこられ、中に立って「安かれ」と言われた。
27
それからトマスに言われた、「あなたの指をここにつけて、わたしの手を見なさい。手をのばしてわたしのわきにさし入れてみなさい。信じない者にならないで、信じる者になりなさい」。
28
トマスはイエスに答えて言った、「わが主よ、わが神よ」。
29
イエスは彼に言われた、「あなたはわたしを見たので信じたのか。見ないで信ずる者は、さいわいである」。
30
イエスは、この書に書かれていないしるしを、ほかにも多く、弟子たちの前で行われた。
31
しかし、これらのことを書いたのは、あなたがたがイエスは神の子キリストであると信じるためであり、また、そう信じて、イエスの名によって命を得るためである。

礼拝メッセージの要約 「恵みのチャレンジ~見ないで信ずる者は、さいわいである」 加藤郁生師

「弟子たち主を見て喜んだ」

復活のイエスを見ることの出来た弟子たちの喜びはいかばかりのものかと思いますが、 この喜びに漏れた人物がいました。 トマスです。

復活を疑うトマスの元に再び現れた主は、 「あなたはわたしを見たので信じたのか。見ないで信ずる者は、さいわいである」 との言葉を残します。 これは果たしてどういう意味なのでしょうか。

見ることから信じることへ

これは信仰の新しいステージへの転換点なのではないでしょうか。

人は見ることを求め、その結果として見た対象を信じます。 しかし主が本当に、わたしたちに求めていることは、「信じる」ことです。 見たから、納得したから信じるのではなくて、見るよりも前に「信じる」ことが求められているのです。

あくまでも見ることをもって救いを得ようとする人は、永久に救いに達することはできないでしょう。

わたしたちは御霊の助けをいただいて「イエスは主なり」と信じたいと思います。 「見る」ことから解放されて、真の安息の内に安らう者とされたいのです。

写真1 教会学校では、母の日のプレゼントを製作中です
教会学校では、母の日のプレゼントを製作中です
写真2 この日は折り紙に取り組んでいました
この日は折り紙に取り組んでいました

09:30より、教会学校 が行われました。

テーマ
共におられるキリスト
みことば
マタイによる福音書28章16~20節
出席者数
11人(生徒のみ集計)

午後より、教会役員会 が行われました。

19:00より、夕拝 が行われました。

出席者数
6人