月別: 2010年3月


教会学校中高科「スプリングキャンプ」

3月28日(日)から翌29日(月)まで、教会学校中高科の 「スプリングキャンプ」 が行われました。

教会での礼拝後、まずは 宇多野ユースホステル に移動し、みんなでバーベキューをしました。 このバーベキューは、中高生ばかりではなく、 幼小の方々や青年も一緒に参加してくださいました。

その後、夕方まで園庭でゲームなどをして過ごし、 いったん教会に戻って夕食後、特別賛美夕拝に参加しました。

また再度、ユースホステルに戻り宿泊、翌日もゆっくりと過ごすことが出来ました。

中高生の方々は、普段の日曜日も熱心に教会学校に参加してくれていますが、 お互いに忙しく、なかなかゆっくりと話できないのが現状です。 しかしこのような行事を通して、生徒同士、あるいはスタッフとの間でも、 ゆっくりとお話しが出来ます。

とても感謝なキャンプとなりました。

写真1 桜の木の下で、バーベキューをいただきました
桜の木の下で、バーベキューをいただきました
写真2 こちらも桜の木の下で、記念撮影です
こちらも桜の木の下で、記念撮影です


棕櫚の日礼拝「これほどまでにして~イエスの受難」

10:30より、棕櫚の日礼拝 が行われました。

聖書
ルカによる福音書23章32~49節
説教題
これほどまでにして~イエスの受難
説教者
加藤郁生師
出席者数
68人

聖書: ルカによる福音書23章32-49節 (中心聖句は48節) 口語訳

32
さて、イエスと共に刑を受けるために、ほかにふたりの犯罪人も引かれていった。
33
されこうべと呼ばれている所に着くと、人々はそこでイエスを十字架につけ、犯罪人たちも、ひとりは右に、ひとりは左に、十字架につけた。
34
そのとき、イエスは言われた、「父よ、彼らをおゆるしください。彼らは何をしているのか、わからずにいるのです」。人々はイエスの着物をくじ引きで分け合った。
35
民衆は立って見ていた。役人たちもあざ笑って言った、「彼は他人を救った。もし彼が神のキリスト、選ばれた者であるなら、自分自身を救うがよい」。
36
兵卒どももイエスをののしり、近寄ってきて酢いぶどう酒をさし出して言った、
37
「あなたがユダヤ人の王なら、自分を救いなさい」。
38
イエスの上には、「これはユダヤ人の王」と書いた札がかけてあった。
39
十字架にかけられた犯罪人のひとりが、「あなたはキリストではないか。それなら、自分を救い、またわれわれも救ってみよ」と、イエスに悪口を言いつづけた。
40
もうひとりは、それをたしなめて言った、「おまえは同じ刑を受けていながら、神を恐れないのか。
41
お互は自分のやった事のむくいを受けているのだから、こうなったのは当然だ。しかし、このかたは何も悪いことをしたのではない」。
42
そして言った、「イエスよ、あなたが御国の権威をもっておいでになる時には、わたしを思い出してください」。
43
イエスは言われた、「よく言っておくが、あなたはきょう、わたしと一緒にパラダイスにいるであろう」。
44
時はもう昼の十二時ごろであったが、太陽は光を失い、全地は暗くなって、三時に及んだ。
45
そして聖所の幕がまん中から裂けた。
46
そのとき、イエスは声高く叫んで言われた、「父よ、わたしの霊をみ手にゆだねます」。こう言ってついに息を引きとられた。
47
百卒長はこの有様を見て、神をあがめ、「ほんとうに、この人は正しい人であった」と言った。
48
この光景を見に集まってきた群衆も、これらの出来事を見て、みな胸を打ちながら帰って行った。
49
すべてイエスを知っていた者や、ガリラヤから従ってきた女たちも、遠い所に立って、これらのことを見ていた。

礼拝メッセージの要約 「これほどまでにして~イエスの受難」 加藤郁生師

「この光景を見に集まってきた群衆も、これらの出来事を見て、みな胸を打ちながら帰って行った」

人間が必死で何かをする時、「こうまでして」という表現を使います。 「こうまでしてお金がほしかったのか」とか、「こうまでして勝ちたかったのか」というような言い方ですが、 イエス・キリストのなされた十字架の贖いはどう当てはまるでしょう。

きっと十字架を見上げてわたしたちは、「こうまでしてキリストはわたしたちを救おうとされたのか」、 「こうまでしてキリストはわたしたちを愛してくださっているのか」、そう言わなければならないでしょう。

いったい人が感動し、心動かされるのは、口先だけの言葉ではなく、真実の行動です。 キリストは本気でわたしたちを愛し、本気でわたしたちの罪のために死んでくださったのです。

「こうまでして」「これほどまでにして」わたしたちはキリストに愛されています。 そう思うといかがでしょう。 このキリストを信じ、キリストに人生をゆだね、キリストに従っていこうとはお思いになりませんでしょうか。

キリストの十字架を見上げて、当時の群衆は胸を打ちました。 とすれば聖霊によってキリストを主と信じた私たちは、 なおさら「これほどまでにして」わたしたちをお救いくださった主の愛に感動して歩みたいのです。

写真1 今日は教会学校教師の任命式も行われました
今日は教会学校教師の任命式も行われました
写真2 今年度のスタッフは(牧師夫妻を含めて)11名です
今年度のスタッフは(牧師夫妻を含めて)11名です

09:30より、教会学校 が行われました。

テーマ
救いの完成
みことば
ヨハネによる福音書19章28~30節
出席者数
14人(生徒のみ集計)

午後より、CS中高科スプリングキャンプ が行われました。

19:00より、特別賛美夕拝 が行われました。

出席者数
19人


主日礼拝「足を洗いあう麗しい群れとして」

10:30より、主日礼拝 が行われました。

聖書
ヨハネによる福音書13節1~20節
説教題
足を洗いあう麗しい群れとして
説教者
加藤郁生師
出席者数
66人

聖書: ヨハネによる福音書13章1-20節 (中心聖句は14節) 口語訳

1
過越の祭の前に、イエスは、この世を去って父のみもとに行くべき自分の時がきたことを知り、世にいる自分の者たちを愛して、彼らを最後まで愛し通された。
2
夕食のとき、悪魔はすでにシモンの子イスカリオテのユダの心に、イエスを裏切ろうとする思いを入れていたが、
3
イエスは、父がすべてのものを自分の手にお与えになったこと、また、自分は神から出てきて、神にかえろうとしていることを思い、
4
夕食の席から立ち上がって、上着を脱ぎ、手ぬぐいをとって腰に巻き、
5
それから水をたらいに入れて、弟子たちの足を洗い、腰に巻いた手ぬぐいでふき始められた。
6
こうして、シモン・ペテロの番になった。すると彼はイエスに、「主よ、あなたがわたしの足をお洗いになるのですか」と言った。
7
イエスは彼に答えて言われた、「わたしのしていることは今あなたにはわからないが、あとでわかるようになるだろう」。
8
ペテロはイエスに言った、「わたしの足を決して洗わないで下さい」。イエスは彼に答えられた、「もしわたしがあなたの足を洗わないなら、あなたはわたしとなんの係わりもなくなる」。
9
シモン・ペテロはイエスに言った、「主よ、では、足だけではなく、どうぞ、手も頭も」。
10
イエスは彼に言われた、「すでにからだを洗った者は、足のほかは洗う必要がない。全身がきれいなのだから。あなたがたはきれいなのだ。しかし、みんながそうなのではない」。
11
イエスは自分を裏切る者を知っておられた。それで、「みんながきれいなのではない」と言われたのである。
12
こうして彼らの足を洗ってから、上着をつけ、ふたたび席にもどって、彼らに言われた、「わたしがあなたがたにしたことがわかるか。
13
あなたがたはわたしを教師、また主と呼んでいる。そう言うのは正しい。わたしはそのとおりである。
14
しかし、主であり、また教師であるわたしが、あなたがたの足を洗ったからには、あなたがたもまた、互に足を洗い合うべきである。
15
わたしがあなたがたにしたとおりに、あなたがたもするように、わたしは手本を示したのだ。
16
よくよくあなたがたに言っておく。僕はその主人にまさるものではなく、つかわされた者はつかわした者にまさるものではない。
17
もしこれらのことがわかっていて、それを行うなら、あなたがたはさいわいである。
18
あなたがた全部の者について、こう言っているのではない。わたしは自分が選んだ人たちを知っている。しかし、『わたしのパンを食べている者が、わたしにむかってそのかかとをあげた』とある聖書は成就されなければならない。
19
そのことがまだ起らない今のうちに、あなたがたに言っておく。いよいよ事が起ったとき、わたしがそれであることを、あなたがたが信じるためである。
20
よくよくあなたがたに言っておく。わたしがつかわす者を受けいれる者は、わたしを受けいれるのである。わたしを受けいれる者は、わたしをつかわされたかたを、受けいれるのである」。

礼拝メッセージの要約 「足を洗いあう麗しい群れとして」 加藤郁生師

「しかし、主であり、また教師であるわたしが、あなたがたの足を洗ったからには、あなたがたもまた、互いに足を洗い合うべきである」

キリストは、最期の晩餐で弟子たちの足をお洗いになりました。 そのことを通してキリストは、何を弟子たちに教えようとされたのでしょうか。

  1. ご自分のなさることの象徴として

    キリストは僕として、弟子たちの足を洗いました。 そして弟子たちに、足を洗いきょめることによってかかわりを持つことを示されました。

    しかしそれは単に洗足のことを言っているのではありません。 キリストが洗足を通して示しているのは、十字架の贖いのご行為です。 キリストはご自身の血潮の注ぎをもって、すべての人々の罪をきよめてくださったのです。 洗足から十字架へとは、キリストにとってふさわしいふるまいでした。

  2. わたしたちがすべき手本として

    「わたしが、あなたがたの足を洗ったからには」とは、何という説得力でしょう。 わたしたちは確かに、キリストが弟子たちの足を洗い、十字架の血潮をもって、わたしたちの罪を洗いきよめられたことを見ます。 そうであるならば、わたしたちがキリストの愛に答えて、互いに足を洗い合う、互いに愛し合い、赦し合い、包み合うことをためらう理由があるでしょうか。

    キリストは隣人の足を洗うあなたの手を求めておられます。 さぁ、上着を脱いで、手ぬぐいを取りましょう。 神の愛を示しましょう。

09:30より、教会学校 が行われました。

テーマ
再臨の宣言
みことば
ヨハネの黙示録22章12~21節
出席者数
14人(生徒のみ集計)

午後より、壮年会(学び会)、婦人会(例会) が行われました。

19:00より、夕拝 が行われました。

出席者数
5人


主日礼拝「クリスチャンの生活信条」

10:30より、主日礼拝 が行われました。

聖書
テサロニケ人への第一の手紙5章12~22節
説教題
クリスチャンの生活信条
説教者
加藤郁生師
出席者数
71人

聖書: テサロニケ人への第一の手紙5章12-22節 (中心聖句は16-18節) 口語訳

12
兄弟たちよ。わたしたちはお願いする。どうか、あなたがたの間で労し、主にあってあなたがたを指導し、かつ訓戒している人々を重んじ、
13
彼らの働きを思って、特に愛し敬いなさい。互に平和に過ごしなさい。
14
兄弟たちよ。あなたがたにお勧めする。怠惰な者を戒め、小心な者を励まし、弱い者を助け、すべての人に対して寛容でありなさい。
15
だれも悪をもって悪に報いないように心がけ、お互に、またみんなに対して、いつも善を追い求めなさい。
16
いつも喜んでいなさい。
17
絶えず祈りなさい。
18
すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって、神があなたがたに求めておられることである。
19
御霊を消してはいけない。
20
預言を軽んじてはならない。
21
すべてのものを識別して、良いものを守り、
22
あらゆる種類の悪から遠ざかりなさい。

礼拝メッセージの要約 「クリスチャンの生活信条」 加藤郁生師

聖書には時々、わたしたちにはとうていできないと思うような勧めがなされます。 このみ言葉もその一つです。

「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべての事について感謝しなさい」

みなさんはどうでしょうか? 「こんなこととてもできない」と思われるでしょうか。

ところで、最近の脳科学の記事に興味深いものがありました。 人間は喜ぶ材料があるから喜ぶというよりも、喜ぶ気持ちになるから、ものごとを喜べるようになる。 つまり、まず自分の「喜ぶ」という気持ちをオンにする。 するとそのように心が働いて行く。

ですから、神様はわたしたちに不可能なことをいたずらに命じておられるのではありません。 わたしたちが御言葉に答えて、「喜ぼう」「祈ろう」「感謝しよう」と気持を据える時に、 御霊によってそうなるように助けてくださるのです。

考えてみたら、わたしたちの身の回りにもそのようなクリスチャンがいらっしゃいます。 たとえ不幸があっても前向きにとらえ、祈り、神に感謝する信仰者がおられます。 ですから自分の目の前にある出来事を、喜ぶか、それとも後ろ向きに考えるかはその人の気持ちひとつなのです。

わたしたちは御言葉のチャレンジをいただいています。 み言葉に答えて、喜びましょう! 祈りましょう! 感謝しましょう! そのことをわたしたちの生活信条とさせていただきましょう。

09:30より、教会学校 が行われました。

テーマ
再臨に備える
みことば
ペテロの第二の手紙3章8~18節
出席者数
13人(生徒のみ集計)

午後より、CS春のレクリエーション(卓球大会) が行われました。

19:00より、夕拝 が行われました。

出席者数
6人


主日礼拝「キリスト者の誇り」

10:30より、主日礼拝 が行われました。

聖書
ピリピ人への手紙2章12~18節
説教題
キリスト者の誇り
説教者
加藤郁生師
出席者数
71人

聖書: ピリピ人への手紙2章12-18節 (中心聖句は16節) 口語訳

12
わたしの愛する者たちよ。そういうわけだから、あなたがたがいつも従順であったように、わたしが一緒にいる時だけでなく、いない今は、いっそう従順でいて、恐れおののいて自分の救の達成に努めなさい。
13
あなたがたのうちに働きかけて、その願いを起させ、かつ実現に至らせるのは神であって、それは神のよしとされるところだからである。
14
すべてのことを、つぶやかず疑わないでしなさい。
15
それは、あなたがたが責められるところのない純真な者となり、曲った邪悪な時代のただ中にあって、傷のない神の子となるためである。あなたがたは、いのちの言葉を堅く持って、彼らの間で星のようにこの世に輝いている。
16
このようにして、キリストの日に、わたしは自分の走ったことがむだでなく、労したこともむだではなかったと誇ることができる。
17
そして、たとい、あなたがたの信仰の供え物をささげる祭壇に、わたしの血をそそぐことがあっても、わたしは喜ぼう。あなたがた一同と共に喜ぼう。
18
同じように、あなたがたも喜びなさい。わたしと共に喜びなさい。

礼拝メッセージの要約 「キリスト者の誇り」 加藤郁生師

わたしたちが生きる上で大切なことのひとつは、誇りを持つことかと思います。 自分の仕事に誇りを持つ、自分の生き方に誇りを持つ。 そういうことができたらどんなに素晴らしいでしょう。

実は、わたしたちクリスチャンにも持つべき誇りがあります。 それはどのようなものでしょうか。

  1. キリストを誇る

    パウロは「誇る者は主を誇るべきである」と述べています。 主とはわたしたちの主イエス・キリスト様です。 キリストはわたしたちの誇りです。

    この世には、地位やお金や名誉というように、誇るものが数多くありますが、キリストと比べることはできません。 キリストこそがわたしたちの救い主だからです。

  2. わたしたちの弱さを誇る

    わたしたちクリスチャンは自分の強さを誇ることをしません。 むしろ弱さを誇ります。 どうしてでしょう?

    自分の弱さを誇ることは、自分の弱さの中に働いてくださる神の力を誇っていることになるからです。 星野富広さんにしても、水野源三さんにしても、神様はその弱い所に働いてくださっているではありませんか。 主は同じ力をもって、わたしたちにもきっと働いてくださるのです。

  3. キリスト者としての人生を生き抜くことを誇る

    わたしたちクリスチャンの多くは、名もない者です。 ですけれども、そんなわたしたちが、つつましいながらもキリストを信じて人生を全うするならば、 神はその人生を尊いものしてくださいます(ピリピ2:14~16)。

    ですからわたしたちは胸を張って、与えられた人生を信仰をもって走りつくしたいと思います。 神は、そのようなわたしたちに誉れを与えてくださるのです。

09:30より、教会学校 が行われました。

テーマ
父の家の希望
みことば
ヨハネによる福音書14章1~7節
出席者数
12人(生徒のみ集計)

午後より、教会役員会 が行われました。

19:00より、夕拝 が行われました。

出席者数
4人