月別: 2010年1月


主日礼拝「キリストに心奪われる」

10:30より、主日礼拝 が行われました。

聖書
ピリピ人への手紙1章12~30節
説教題
キリストに心奪われる
説教者
加藤郁生師
出席者数
69人

聖書: ピリピ人への手紙1章12-30節 (中心聖句は20節) 口語訳

12
さて、兄弟たちよ。わたしの身に起った事が、むしろ福音の前進に役立つようになったことを、あなたがたに知ってもらいたい。
13
すなわち、わたしが獄に捕われているのはキリストのためであることが、兵営全体にもそのほかのすべての人々にも明らかになり、
14
そして兄弟たちのうち多くの者は、わたしの入獄によって主にある確信を得、恐れることなく、ますます勇敢に、神の言を語るようになった。
15
一方では、ねたみや闘争心からキリストを宣べ伝える者がおり、他方では善意からそうする者がいる。
16
後者は、わたしが福音を弁明するために立てられていることを知り、愛の心でキリストを伝え、
17
前者は、わたしの入獄の苦しみに更に患難を加えようと思って、純真な心からではなく、党派心からそうしている。
18
すると、どうなのか。見えからであるにしても、真実からであるにしても、要するに、伝えられているのはキリストなのだから、わたしはそれを喜んでいるし、また喜ぶであろう。
19
なぜなら、あなたがたの祈と、イエス・キリストの霊の助けとによって、この事がついには、わたしの救となることを知っているからである。
20
そこで、わたしが切実な思いで待ち望むことは、わたしが、どんなことがあっても恥じることなく、かえって、いつものように今も、大胆に語ることによって、生きるにも死ぬにも、わたしの身によってキリストがあがめられることである。
21
わたしにとっては、生きることはキリストであり、死ぬことは益である。
22
しかし、肉体において生きていることが、わたしにとっては実り多い働きになるのだとすれば、どちらを選んだらよいか、わたしにはわからない。
23
わたしは、これら二つのものの間に板ばさみになっている。わたしの願いを言えば、この世を去ってキリストと共にいることであり、実は、その方がはるかに望ましい。
24
しかし、肉体にとどまっていることは、あなたがたのためには、さらに必要である。
25
こう確信しているので、わたしは生きながらえて、あなたがた一同のところにとどまり、あなたがたの信仰を進ませ、その喜びを得させようと思う。
26
そうなれば、わたしが再びあなたがたのところに行くので、あなたがたはわたしによってキリスト・イエスにある誇を増すことになろう。
27
ただ、あなたがたはキリストの福音にふさわしく生活しなさい。そして、わたしが行ってあなたがたに会うにしても、離れているにしても、あなたがたが一つの霊によって堅く立ち、一つ心になって福音の信仰のために力を合わせて戦い、
28
かつ、何事についても、敵対する者どもにろうばいさせられないでいる様子を、聞かせてほしい。このことは、彼らには滅びのしるし、あなたがたには救のしるしであって、それは神から来るのである。
29
あなたがたはキリストのために、ただ彼を信じることだけではなく、彼のために苦しむことをも賜わっている。
30
あなたがたは、さきにわたしについて見、今またわたしについて聞いているのと同じ苦闘を、続けているのである。

礼拝メッセージの要約 「キリストに心奪われる」 加藤郁生師

パウロという人は、キリストに心奪われた人ではないでしょうか。 パウロ自身も自らを「キリスト・イエスの僕」と言っていますが、文字通りキリストの虜でした。

ピリピ書はそのことを裏付けます。 伝道によって獄に投ぜられたパウロは、色々とあらぬ中傷を受けたようです。 パウロを快く思わない仲間もいたようです。 傷口に塩をぬるような彼らの行為ですが、パウロはそのことをどう受け止めたでしょうか?

「要するに、伝えられているのはキリストなのだから、わたしはそれを喜んでいるし、また喜ぶであろう」

パウロという人は、キリスト中心なのです。 自分中心だとこうはいきません。 「自分が傷つけられた、自分が苦しめられた、自分が…、自分が…」と物事に煩悶するのがわたしたちです。

しかしその視点をキリストに変えると、全くもののとらえ方が変わってくるのです。

「わたしが~待ち望むことは、~わたしの身によってキリストがあがめられることである」

キリストに心を向けることは、わたしたちをこの世の思い煩いや誘惑から解放します。 わたしたちの行いが「自分」ではなく、「キリスト」にとって喜ばれることの大切さが分かる時、わたしたちは神に一歩近づくことができるのです。

ハレルヤ、キリストをあがめましょう!

09:30より、教会学校 が行われました。

テーマ
相続人
みことば
ローマ人への手紙8章12~17節
出席者数
13人(生徒のみ集計)

19:00より、夕拝 が行われました。

出席者数
4人


主日礼拝「神の細き御声を聞く~信仰者の勝利の秘訣」

10:30より、主日礼拝 が行われました。

聖書
列王紀上19章1~18節
説教題
神の細き御声を聞く~信仰者の勝利の秘訣
説教者
加藤郁生師
出席者数
70人

聖書: 列王紀上19章1-18節 (中心聖句は12節) 口語訳

1
アハブはエリヤのしたすべての事、また彼がすべての預言者を刀で殺したことをイゼベルに告げたので、
2
イゼベルは使者をエリヤにつかわして言った、「もしわたしが、あすの今ごろ、あなたの命をあの人々のひとりの命のようにしていないならば、神々がどんなにでも、わたしを罰してくださるように」。
3
そこでエリヤは恐れて、自分の命を救うために立って逃げ、ユダに属するベエルシバへ行って、しもべをそこに残し、
4
自分は一日の道のりほど荒野にはいって行って、れだまの木の下に座し、自分の死を求めて言った、「主よ、もはや、じゅうぶんです。今わたしの命を取ってください。わたしは先祖にまさる者ではありません」。
5
彼はれだまの木の下に伏して眠ったが、天の使が彼にさわり、「起きて食べなさい」と言ったので、
6
起きて見ると、頭のそばに、焼け石の上で焼いたパン一個と、一びんの水があった。彼は食べ、かつ飲んでまた寝た。
7
主の使は再びきて、彼にさわって言った、「起きて食べなさい。道が遠くて耐えられないでしょうから」。
8
彼は起きて食べ、かつ飲み、その食物で力づいて四十日四十夜行って、神の山ホレブに着いた。
9
その所で彼はほら穴にはいって、そこに宿ったが、主の言葉が彼に臨んで、彼に言われた、「エリヤよ、あなたはここで何をしているのか」。
10
彼は言った、「わたしは万軍の神、主のために非常に熱心でありました。イスラエルの人々はあなたの契約を捨て、あなたの祭壇をこわし、刀をもってあなたの預言者たちを殺したのです。ただわたしだけ残りましたが、彼らはわたしの命を取ろうとしています」。
11
主は言われた、「出て、山の上で主の前に、立ちなさい」。その時主は通り過ぎられ、主の前に大きな強い風が吹き、山を裂き、岩を砕いた。しかし主は風の中におられなかった。風の後に地震があったが、地震の中にも主はおられなかった。
12
地震の後に火があったが、火の中にも主はおられなかった。火の後に静かな細い声が聞えた。
13
エリヤはそれを聞いて顔を外套に包み、出てほら穴の口に立つと、彼に語る声が聞えた、「エリヤよ、あなたはここで何をしているのか」。
14
彼は言った、「わたしは万軍の神、主のために非常に熱心でありました。イスラエルの人々はあなたの契約を捨て、あなたの祭壇をこわし、刀であなたの預言者たちを殺したからです。ただわたしだけ残りましたが、彼らはわたしの命を取ろうとしています」。
15
主は彼に言われた、「あなたの道を帰って行って、ダマスコの荒野におもむき、ダマスコに着いて、ハザエルに油を注ぎ、スリヤの王としなさい。
16
またニムシの子エヒウに油を注いでイスラエルの王としなさい。またアベルメホラのシャパテの子エリシャに油を注いで、あなたに代って預言者としなさい。
17
ハザエルのつるぎをのがれる者をエヒウが殺し、エヒウのつるぎをのがれる者をエリシャが殺すであろう。
18
また、わたしはイスラエルのうちに七千人を残すであろう。皆バアルにひざをかがめず、それに口づけしない者である」。

礼拝メッセージの要約 「神の細き御声を聞く~信仰者の勝利の秘訣」 加藤郁生師

わたしたちの信仰生活にとって、大事なことは多くありません。 そして、その一つは間違いなく「神の声を聞く」ことです。

しかし神の声を聞くことは、意外にたやすくありません。 この世の喧騒やわたしたちの心の落ち着きのなさが、神の声を聞くことを妨げるからです。 神の声は細き御声なのです。

  1. 「主よ、今わたしの命を取ってください」

    信仰の勇者エリヤもただの人でした。 イスラエルの王妃イゼベルの脅迫を恐れ、落ち込みました。 わたしたちも時として、エリヤ以上に弱り、疲れ果て、悩みの内に沈み込みます。 しかし、聖書を見ると、そのような時こそ神の御声を聞くチャンスであることが分かります。 エリヤはそこから、神の御声を聞く体験に導かれました。

  2. 「火の後に静かな細い声が聞こえた」

    神の助けによってホレブの山に隠れこんだエリヤに臨んだのは、嵐と地震と火の後に聞こえる神の細き御声でした。 それは深い沈黙の中からかすかに響く御声でした。 エリヤはこの声を聞くことによって、いやされるのでした。

    同様にわたしたちにとって大切なことは、神が語りかけてくださる細い御声を聞くことです。 もしわたしたちが心騒がしくするならば、御声は聞こえません。 深く深く主のみ手に落ち込んで、それこそ全身の毛穴を開くようにして、細き主の御声に耳を傾けたいのです。

    エリヤは「バアルにひざをかがめぬ者7千人」のお言葉に奮い立ちました。 わたしたちも神の細き御声によって、必ず立ち上がることができるのです。 アーメン

09:30より、教会学校 が行われました。

テーマ
神の子
みことば
ヨハネの第一の手紙3章1~3節
出席者数
13人(生徒のみ集計)

19:00より、夕拝 が行われました。

出席者数
6人


主日礼拝「かめの粉は尽きず、びんの油は絶えない~主により頼む信仰で」

10:30より、主日礼拝 が行われました。

聖書
列王紀上17章1~16節
説教題
かめの粉は尽きず、びんの油は絶えない~主により頼む信仰で
説教者
加藤郁生師
出席者数
75人

聖書: 列王紀上17章1-16節 (中心聖句は14節) 口語訳

1
ギレアデのテシベに住むテシベびとエリヤはアハブに言った、「わたしの仕えているイスラエルの神、主は生きておられます。わたしの言葉のないうちは、数年雨も露もないでしょう」。
2
主の言葉がエリヤに臨んだ、
3
「ここを去って東におもむき、ヨルダンの東にあるケリテ川のほとりに身を隠しなさい。
4
そしてその川の水を飲みなさい。わたしはからすに命じて、そこであなたを養わせよう」。
5
エリヤは行って、主の言葉のとおりにした。すなわち行って、ヨルダンの東にあるケリテ川のほとりに住んだ。
6
すると、からすが朝ごとに彼の所にパンと肉を運び、また夕ごとにパンと肉を運んできた。そして彼はその川の水を飲んだ。
7
しかし国に雨がなかったので、しばらくしてその川はかれた。
8
その時、主の言葉が彼に臨んで言った、
9
「立ってシドンに属するザレパテへ行って、そこに住みなさい。わたしはそのところのやもめ女に命じてあなたを養わせよう」。
10
そこで彼は立ってザレパテへ行ったが、町の門に着いたとき、ひとりのやもめ女が、その所でたきぎを拾っていた。彼はその女に声をかけて言った、「器に水を少し持ってきて、わたしに飲ませてください」。
11
彼女が行って、それを持ってこようとした時、彼は彼女を呼んで言った、「手に一口のパンを持ってきてください」。
12
彼女は言った、「あなたの神、主は生きておられます。わたしにはパンはありません。ただ、かめに一握りの粉と、びんに少しの油があるだけです。今わたしはたきぎ二、三本を拾い、うちへ帰って、わたしと子供のためにそれを調理し、それを食べて死のうとしているのです」。
13
エリヤは彼女に言った、「恐れるにはおよばない。行って、あなたが言ったとおりにしなさい。しかしまず、それでわたしのために小さいパンを、一つ作って持ってきなさい。その後、あなたと、あなたの子供のために作りなさい。
14
『主が雨を地のおもてに降らす日まで、かめの粉は尽きず、びんの油は絶えない』とイスラエルの神、主が言われるからです」。
15
彼女は行って、エリヤが言ったとおりにした。彼女と彼および彼女の家族は久しく食べた。
16
主がエリヤによって言われた言葉のように、かめの粉は尽きず、びんの油は絶えなかった。

礼拝メッセージの要約 「かめの粉は尽きず、びんの油は絶えない~主により頼む信仰で」 加藤郁生師

人は時として、思いがけないような人生の出会いを経験します。 普通ならばとても出会うことのない者が会いまみえる。 エリヤも、そういった体験をしました。

  1. アハブとの対決の後に

    預言者エリヤは、バアルの神を崇拝するイスラエルの王アハブと敢然と対決しました。 しかしそれからは、アハブから逃れてケリテ川に身を隠し、ついには異教の地シドンのザレパテにたどり着きました。

    神はそこでエリヤに、備えをもって一人の女を引き合わせられました。

  2. 「それを食べて死のうとしているのです」

    エリヤが出会った女は、のっぴきならない状況にありました。 彼女は一人の子を持つやもめで、もはや少量の食べ物しかなく、わが子と心中を決意していました。 神様がエリヤに用意した魂は、貧しく、自らの人生に終止符を打とうとする、あわれな魂でした。

  3. 「かめの粉は尽きず、びんの油は絶えない」

    ここでエリヤは預言者としての本分に帰り、神の言葉を女に告げます。

    「かめの粉は尽きず、びんの油は絶えない」

    はたして事態はエリヤの言う通りになりました。 異教の地で、一人の女と子どもが救われました。 神はエリヤと出会ったこの女に、尽きることのない恵みを与えてくださったのです。

神の恵みの体験はわたしたちにも与えられます。 ザレパテの女ではありませんが、「どうしてわたしのような者が」と思うかもしれません。 しかし神はわたしたちを選んで、愛して、尽きることのない恵みをもって飽き足らせてくださるお方なのです。 ですから、無尽蔵の恵みを与えてくださる主により頼みましょう。

09:30より、教会学校 が行われました。

テーマ
罪の赦し
みことば
ヨハネの第一の手紙1章5~10節
出席者数
11人(生徒のみ集計)

午後より、壮年会総会、婦人会総会 が行われました。

19:00より、夕拝 が行われました。

出席者数
6人


主日礼拝「わたしたちの経験を超えた恵みに招かれる主」

10:30より、主日礼拝 が行われました。

聖書
ヨハネによる福音書5章1~9節
説教題
わたしたちの経験を超えた恵みに招かれる主
説教者
加藤郁生師
出席者数
70人

聖書: ヨハネによる福音書5章1-9節 (中心聖句は8-9節) 口語訳

1
こののち、ユダヤ人の祭があったので、イエスはエルサレムに上られた。
2
エルサレムにある羊の門のそばに、ヘブル語でベテスダと呼ばれる池があった。そこには五つの廊があった。
3
その廊の中には、病人、盲人、足なえ、やせ衰えた者などが、大ぜいからだを横たえていた。〔彼らは水の動くのを待っていたのである。
4
それは、時々、主の御使がこの池に降りてきて水を動かすことがあるが、水が動いた時まっ先にはいる者は、どんな病気にかかっていても、いやされたからである。〕
5
さて、そこに三十八年のあいだ、病気に悩んでいる人があった。
6
イエスはその人が横になっているのを見、また長い間わずらっていたのを知って、その人に「なおりたいのか」と言われた。
7
この病人はイエスに答えた、「主よ、水が動く時に、わたしを池の中に入れてくれる人がいません。わたしがはいりかけると、ほかの人が先に降りて行くのです」。
8
イエスは彼に言われた、「起きて、あなたの床を取りあげ、そして歩きなさい」。
9
すると、この人はすぐにいやされ、床をとりあげて歩いて行った。その日は安息日であった。

礼拝メッセージの要約 「わたしたちの経験を超えた恵みに招かれる主」 加藤郁生師

わたしたちはそれぞれ人生の経験をしますが、その経験がわたしたちのものの考え方、人生観、信条といったものの下地となります。

経験が幸福なものであれば、わたしたちの人生観は肯定的になりますが、逆に不幸なものであれば、わたしたちは悲観的になってしまいがちです。

ですけれども、主はわたしたちを経験の呪縛から解放して、経験をはるかに超えた恵みの世界に導いてくださるのです。

  1. ベテスダの池で

    ベテスダの池に、いやしを願う男がいました。 彼の病歴は38年でした。 苦しみの連続でした。 それでもこの男が他の病人と一緒に池に通ったのは、積極的な期待ゆえでしょうか。 否、むしろ惰性に近かったように思えるのです。

  2. キリストの問い

    その男にキリストは問います、「なおりたいのか」。 治りたいに決まっています。 しかし、失望を経験した男の答えは婉曲な物言いでした。 彼はキリストに誰も助けてくれない自分の惨状を述べるばかりでした。 彼は暗に、期待をしていない自分の心中を吐露しました。

  3. キリストの御命令

    キリストはその男の説明に構わず言われます。 「起きて、あなたの床を取りあげ、そして歩きなさい」。 すると男はいやされました。

    キリストは男の過去に興味を示されませんでした。 今、男が起きることを御要求されました。 過去の経験に絶望することではなく、今の恵みに期待し立ち上がることを求められました。

わたしたちはこれから何を教えられるでしょうか。 過去の経験に拘泥している方。 あなたはキリストのお声を聞いて、今立ち上がりませんか! キリストはあなたの経験をはるかに超えた恵みへといざなってくださるのです。

09:30より、教会学校 が行われました。

テーマ
神の恵み
みことば
ローマ人への手紙3章9~26節
出席者数
13人(生徒のみ集計)

午後より、CS教師会総会と青年会総会 が行われました。

19:00より、夕拝 が行われました。

出席者数
5人


主日礼拝「宿り木の教会として歩む」

10:30より、主日礼拝 が行われました。

聖書
マタイによる福音書13章31~32節
説教題
宿り木の教会として歩む
説教者
加藤郁生師
出席者数
63人

聖書: マタイによる福音書13章31-32節 (中心聖句は31-32節) 口語訳

31
また、ほかの譬を彼らに示して言われた、「天国は、一粒のからし種のようなものである。ある人がそれをとって畑にまくと、
32
それはどんな種よりも小さいが、成長すると、野菜の中でいちばん大きくなり、空の鳥がきて、その枝に宿るほどの木になる」。

礼拝メッセージの要約 「宿り木の教会として歩む」 加藤郁生師

わたしたちの教会がどのような教会を目指すのか?

聖書にそのこと教えられたいと思います。

イエス様は天国のたとえを通して、そのヴィジョンを示してくださいました。 それは「宿り木の教会」です。

  1. からし種から成長する教会

    からし種は1~2ミリ程度の小さい種子ですが、肥えた地で栽培すると、何と4メートルほどの高さに成長するそうです。 わたしたちの教会も、からし種ほどのものかもしれません。 しかし神様は豊かな成長を与えてくださるのです。 からし種だからと言って臆したりする必要はありません。 大胆に前進しましょう!

  2. 太い信仰の幹をもって成長する教会

    からし種の木に成長を支えるのは太い幹でしょう。 教会にとっての幹は何でしょうか。 それはキリストを信じる信仰です。 わたしたちは、生き生きと信仰にあふれた教会として歩みたいと思います。 わたしたち教会のすべての営みに、信仰が満ち満ち行く時に、神の祝福による力強い成長が与えられるのです。

  3. 御霊の実を結ぶ教会

    鳥が木に来るのは、実を食べるためです。 ですから宿り木の教会は、豊かな実を結びたいと思います。 その実とは何でしょうか? それはガラテヤ書にあるような、愛をはじめとする御霊の実ではないでしょうか。 わたしたちの教会が豊かな御霊の実をもって魂を迎えるならば、正真正銘魂の憩う宿り木の教会となることができるのです。

いかがでしょうか。

今年、わたしたちは宿り木の教会として成長いたしましょう。 キリストの愛をもって心から愛する方々をお迎えしましょう。

教会学校と夕拝は休みました。

午後より、教会役員会 が行われました。