月別: 2009年9月


主日礼拝「十字架を仰ぐ真の信仰告白」

10:30より、主日礼拝 が行われました。

聖書
マルコによる福音書15章33~41節
説教題
十字架を仰ぐ真の信仰告白
説教者
加藤郁生師
出席者数
69人

聖書: マルコによる福音書15章33-41節 (中心聖句は39節) 口語訳

33
昼の十二時になると、全地は暗くなって、三時に及んだ。
34
そして三時に、イエスは大声で、「エロイ、エロイ、ラマ、サバクタニ」と叫ばれた。それは「わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか」という意味である。
35
すると、そばに立っていたある人々が、これを聞いて言った、「そら、エリヤを呼んでいる」。
36
ひとりの人が走って行き、海綿に酢いぶどう酒を含ませて葦の棒につけ、イエスに飲ませようとして言った、「待て、エリヤが彼をおろしに来るかどうか、見ていよう」。
37
イエスは声高く叫んで、ついに息をひきとられた。
38
そのとき、神殿の幕が上から下まで真二つに裂けた。
39
イエスにむかって立っていた百卒長は、このようにして息をひきとられたのを見て言った、「まことに、この人は神の子であった」。
40
また、遠くの方から見ている女たちもいた。その中には、マグダラのマリヤ、小ヤコブとヨセとの母マリヤ、またサロメがいた。
41
彼らはイエスがガリラヤにおられたとき、そのあとに従って仕えた女たちであった。なおそのほか、イエスと共にエルサレムに上ってきた多くの女たちもいた。

礼拝メッセージの要約 「十字架を仰ぐ真の信仰告白」 加藤郁生師

教会の礼拝では、毎回使徒信条を唱えます。 これは、父、御子、御霊を信じる信仰告白です。 教会は、この信仰告白を土台として建てあげられて行きます。

しかしわたしたちは絶えず信仰を告白しながら、時として、告白のスピリットを失ってしまうことがあります。 告白する対象として見上げるべきお方を、見失ってしまうからです。

  • ペテロの信仰告白

    ペテロはイエス様に問われて「あなたこそキリストです」と信仰を告白しました。 これは弟子として告白し得る最良のものでした。 しかし問題はペテロが、キリスト(救い主、メシヤ)が何たるかを知らないことでした。

    キリストはご自身の身をもってそのことを教えなければなりませんでした。

  • 百卒長の信仰告白

    十字架にかかったキリストを見上げた異邦人の百卒長は、「まことに、この人は神の子であった」と言いました。 百足長はキリストの苦難を、初めから終わりまで、一部始終見ていました。 その彼の口から言い表わされた言葉の何と重いことでしょう。

    百卒長の告白したお方は、ペテロのそれと違って十字架のキリストでした。

  • わたしたちの信仰告白

    わたしたちもキリストへの信仰を告白します。 しかしそれは通り一遍の紋切り型ではなく、百卒長のような、十字架を見上げての心からの信仰告白でありたいと思うのです。

    どうぞ十字架のキリストを仰ぎましょう。

09:30より、教会学校 が行われました。

テーマ
コリント伝道
みことば
使徒行伝18章1~11節
出席者数
12人(生徒のみ集計)

午後より、教会学校お楽しみパーティー、青年会(トラクト配布、学び会) が行われました。

19:00より、夕拝 が行われました。

出席者数
4人


主日礼拝「宣教の豊かな報い」

10:30より、主日礼拝 が行われました。

聖書
詩篇126篇
説教題
宣教の豊かな報い
説教者
加藤郁生師
出席者数
73人

聖書: 詩篇126章1-6節 (中心聖句は5-6節) 口語訳

1
主がシオンの繁栄を回復されたとき、われらは夢みる者のようであった。
2
その時われらの口は笑いで満たされ、われらの舌は喜びの声で満たされた。その時「主は彼らのために大いなる事をなされた」と言った者が、もろもろの国民の中にあった。
3
主はわれらのために大いなる事をなされたので、われらは喜んだ。
4
主よ、どうか、われらの繁栄を、ネゲブの川のように回復してください。
5
涙をもって種まく者は、喜びの声をもって刈り取る。
6
種を携え、涙を流して出て行く者は、束を携え、喜びの声をあげて帰ってくるであろう。

09:30より、教会学校 が行われました。

テーマ
真夜中の奇跡
みことば
使徒行伝16章16~34節
出席者数
12人(生徒のみ集計)

午後より、壮年会(トラクト配布、学び会)、婦人会(食事と交わりの会) が行われました。

19:00より、夕拝 が行われました。

出席者数
2人


主日礼拝「真の安息への招き~キリストの御手に」

10:30より、主日礼拝 が行われました。

聖書
マタイによる福音書11章28~30節
説教題
真の安息への招き~キリストの御手に
説教者
加藤郁生師
出席者数
65人

聖書: マタイによる福音書11章28-30節 (中心聖句は28節) 口語訳

28
すべて重荷を負うて苦労している者は、わたしのもとにきなさい。あなたがたを休ませてあげよう。
29
わたしは柔和で心のへりくだった者であるから、わたしのくびきを負うて、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたの魂に休みが与えられるであろう。
30
わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからである」。

礼拝メッセージの要約 「真の安息への招き~キリストの御手に」 加藤郁生師

わたしたちには人それぞれ、人生の重荷があります。 心の重荷、劣等感、孤独、愛情の飢え。 生活の重荷、貧困、病、老い。 そういった重荷に悲鳴をあげ、疲れ果てているのが現実かもしれません。

しかし、そのようなわたしたちを招いてくださるお方がおられます。 それは、わたしたちの主イエス・キリストです。

「すべて重荷を負うて苦労している者は、わたしのもとにきなさい。あなたがたを休ませてあげよう」

ここで気づくことは、主イエスは「すべて重荷を負うて苦労している者」と呼びかけておられることです。 重荷の種類は関係ありません。 わたしたちなら「この重荷は手に負えるけれども、あの重荷は手に負えない」ということもあるでしょう。 しかし主は、重荷に苦しむすべての者達を受け入れくださるお方です。

そして第二のことは、このイエス様の招きにわたしたちが答える必要がある、ということです。

主イエスは「わたしのもとにきなさい」とおっしゃってくださいます。 にもかかわらずわたしたちは、自分の力で頑張ったり、他のものに解決を求めます。 キリストのお言葉が信じられないのでしょうか。 今日、わたしたちは、大きな御手を広げて招いてくださる主のもとに行きたいと思います。

最後に、主はわたしたちに安息を与えてくださいます。

「あなたがたを休ませてあげよう」

人は重荷を負うて苦労する時に、休むことができません。 絶えずその重荷に悩まされます。 しかし主は、いかに安息を得るかを、わたしたちに教えてくださいます。

その秘訣は、主のもとに憩うことです。 主がわたしたちの疲れをいやして、真の安息を与えてくださるのです。 そして主から安息をいただいたなら、わたしたちはそこからもう一度立ち上がることができるのです。

今日、主はあなたを待っておられます。 主のもとにすべてをゆだねましょう。

09:30より、教会学校 が行われました。

テーマ
ピリピの祈り場
みことば
使徒行伝16章11~15節
出席者数
13人(生徒のみ集計)

午後より、CS教師会 が行われました。

19:00より、夕拝 が行われました。

出席者数
6人


主日礼拝「信仰者としての成熟をめざして~生活の処方箋」

10:30より、主日礼拝 が行われました。

聖書
コロサイ人への手紙4章2~6節
説教題
信仰者としての成熟をめざして~生活の処方箋
説教者
加藤郁生師
出席者数
70人

聖書: コロサイ人への手紙4章2-6節 (中心聖句は6節) 口語訳

2
目をさまして、感謝のうちに祈り、ひたすら祈り続けなさい。
3
同時にわたしたちのためにも、神が御言のために門を開いて下さって、わたしたちがキリストの奥義を語れるように(わたしは、実は、そのために獄につながれているのである)、
4
また、わたしが語るべきことをはっきりと語れるように、祈ってほしい。
5
今の時を生かして用い、そとの人に対して賢く行動しなさい。
6
いつも、塩で味つけられた、やさしい言葉を使いなさい。そうすれば、ひとりびとりに対してどう答えるべきか、わかるであろう。

礼拝メッセージの要約 「信仰者としての成熟をめざして~生活の処方箋」 加藤郁生師

聖書には、信仰者として歩むべき具体的な指針、アドヴァイスといったものが記されています。 これは決して軽く見ていいものではありません。 わたしたちは、信仰の成熟をめざして、み言葉と向き合って成長していかなければならないのです。

そういう点で、パウロの勧めは具体的でした。 たとえばパウロは、夫と妻、父と子との関係にアドヴァイスを与えています。 また、僕と主人の関係にも的確なアドヴァイスを与えています(コロサイ3章18~25章)。 これはわたしたちが、家庭生活を送る上で、あるいは仕事をする上で、決して忘れてはならない大切なことです。

またパウロは生活上のアドヴァイスとして、非常に興味深い勧めをしています。 それは言葉使いについてでした。

「いつも、塩で味つけられた、やさしい言葉を使いなさい。そうすれば、ひとりびとりに対してどう答えるべきか、わかるであろう」

塩は味をやわらげますが、わたしたちが使う言葉も、人間関係をやわらげるようなやさしい言葉を使うようにと、パウロは言うのです。 語るべき内容もさることながら、その人がやさしい言葉を選び取ることで、内容も伴っていくことをパウロは知っていたのでした。

この勧めは、今の私たちにもあてはまります。 わたしたちもどのような時にも、冷たい、とがったような言葉ではなく、塩で味つけられた、やさしい言葉を選びとっていきたいものです。 そのような地道な生活の努力の積み重ねが、わたしたちの信仰に成熟を与えるのです。 み言葉こそが、わたしたちの生活の最上の処方箋なのです。

09:30より、教会学校 が行われました。

テーマ
マケドニヤの叫び
みことば
使徒行伝16章1~10節
出席者数
13人(生徒のみ集計)

午後より、教会役員会 が行われました。

19:00より、夕拝 が行われました。

出席者数
5人