月別: 2009年7月


主日礼拝「神の川は水で満ちている」

10:30より、主日礼拝 が行われました。

聖書
詩篇65篇
説教題
神の川は水で満ちている
説教者
加藤郁生師
出席者数
77人

聖書: 詩篇65章1-13節 (中心聖句は9節) 口語訳

1
神よ、シオンにて、あなたをほめたたえることはふさわしいことである。人はあなたに誓いを果すであろう。
2
祈を聞かれる方よ、すべての肉なる者は罪のゆえにあなたに来る。われらのとががわれらに打ち勝つとき、あなたはこれをゆるされる。
4
あなたに選ばれ、あなたに近づけられて、あなたの大庭に住む人はさいわいである。われらはあなたの家、あなたの聖なる宮の恵みによって飽くことができる。
5
われらの救の神よ、地のもろもろのはてと、遠き海の望みであるあなたは恐るべきわざにより、救をもってわれらに答えられる。
6
あなたは大能を帯び、そのみ力によって、もろもろの山を堅く立たせられる。
7
あなたは海の響き、大波の響き、もろもろの民の騒ぎを静められる。
8
それゆえ、地のはてに住む人々も、あなたのもろもろのしるしを見て恐れる。あなたは朝と夕の出る所をして喜び歌わせられる。
9
あなたは地に臨んで、これに水をそそぎ、これを大いに豊かにされる。神の川は水で満ちている。あなたはそのように備えして彼らに穀物を与えられる。
10
あなたはその田みぞを豊かにうるおし、そのうねを整え、夕立をもってそれを柔らかにし、そのもえ出るのを祝福し、
11
またその恵みをもって年の冠とされる。あなたの道にはあぶらがしたたる。
12
野の牧場はしたたり、小山は喜びをまとい、
13
牧場は羊の群れを着、もろもろの谷は穀物をもっておおわれ、彼らは喜び呼ばわって共に歌う。

礼拝メッセージの要約 「神の川は水で満ちている」 加藤郁生師

一般に水は多くの災害をもたらしますが、同時に地上の生き物に命をもたらします。 水は命の象徴と言えます。 水が満々とたたえられることは、その土地が豊かであることの証拠なのです。

  1. 神の川は水で満ちている

    聖書は、「神の川は水で満ちている」と言います。 この水が、地上の生けるものすべてに命をもたらします。 それだけでなく、神の川から流れ出る水は、わたしたちの魂をうるおす霊的な水でもあります。 この水をいただくわたしたちは、霊的な渇きから解放されるのです。

  2. 神の川の水を与えるもの

    神の川を与えるお方は誰でしょう? それはわたしたちの主イエス・キリストです。 主は、あのサマリヤの女に言いました。 「わたしが与える水を飲む者は、いつまでも、かわくことがないばかりか、わたしが与える水は、その人のうちで泉となり、永遠の命に至る水が、わきあがるであろう」。

    キリストの水をいただくわたしたちの内に、命の水が湧き上がる。 何という恵みでしょうか!

  3. だれでもかわく者は・・・

    そのキリストが仮庵の祭でこう言われました。 「だれでもかわく者は、わたしのところにきて飲むがよい。わたしを信じる者は、~その腹から生ける水が川となって流れ出るであろう」

    仮庵の祭は、イスラエルの民が神に豊かな水の供給を願い求める祭りでもありますが、キリストはご自身こそが豊かな水を与える主であることを宣言なされたのです。

  4. ですからわたしたちも…

    ですからいかがでしょう。 鹿が谷川を慕いあえぐようにキリストに命の水を求めましょう。 神の川は水で満ちています。 そこから主はくめども尽きない恵みを注いでくださるのです。

09:30より、教会学校 が行われました。

テーマ
イエスの名によって
みことば
使徒行伝4章15~22節
出席者数
14(生徒のみ集計)

午後より、青年会(交わり会) が行われました。

19:00より、夕拝 が行われました。

出席者数
5人


主日礼拝「恵みのパラドクス~“弱い時にこそ”の信仰」

10:30より、主日礼拝 が行われました。

聖書
コリント人への第二の手紙12章1~10節
説教題
恵みのパラドクス~“弱い時にこそ”の信仰
説教者
加藤郁生師
出席者数
68人

聖書: コリント人への第二の手紙12章1-10節 (中心聖句は9節) 口語訳

1
わたしは誇らざるを得ないので、無益ではあろうが、主のまぼろしと啓示とについて語ろう。
2
わたしはキリストにあるひとりの人を知っている。この人は十四年前に第三の天にまで引き上げられた――それが、からだのままであったか、わたしは知らない。からだを離れてであったか、それも知らない。神がご存じである。
3
この人が――それが、からだのままであったか、からだを離れてであったか、わたしは知らない。神がご存じである――
4
パラダイスに引き上げられ、そして口に言い表わせない、人間が語ってはならない言葉を聞いたのを、わたしは知っている。
5
わたしはこういう人について誇ろう。しかし、わたし自身については、自分の弱さ以外には誇ることをすまい。
6
もっとも、わたしが誇ろうとすれば、ほんとうの事を言うのだから、愚か者にはならないだろう。しかし、それはさし控えよう。わたしがすぐれた啓示を受けているので、わたしについて見たり聞いたりしている以上に、人に買いかぶられるかも知れないから。
7
そこで、高慢にならないように、わたしの肉体に一つのとげが与えられた。それは、高慢にならないように、わたしを打つサタンの使なのである。
8
このことについて、わたしは彼を離れ去らせて下さるようにと、三度も主に祈った。
9
ところが、主が言われた、「わたしの恵みはあなたに対して十分である。わたしの力は弱いところに完全にあらわれる」。それだから、キリストの力がわたしに宿るように、むしろ、喜んで自分の弱さを誇ろう。
10
だから、わたしはキリストのためならば、弱さと、侮辱と、危機と、迫害と、行き詰まりとに甘んじよう。なぜなら、わたしが弱い時にこそ、わたしは強いからである。

礼拝メッセージの要約 「恵みのパラドクス~“弱い時にこそ”の信仰」 加藤郁生師

「わたしの恵みはあなたに対して十分である。わたしの力は弱いところに完全にあらわれる。」

  1. パウロの弱さ

    力強い伝道者のイメージのパウロでしたが、弱い所もありました。 パウロ自身そのことを「肉体の一つのとげ」と言っていますが、それが何であったかはっきりと示すものはありません。 眼病であったろうとか、てんかんであったろうとか言われていますが、パウロにとってそれは深刻な病だったでしょう。

  2. パウロの祈り

    さすがのパウロもこの時、病の癒しのために三度も祈りました。 伝道活動の中で、力強く癒しのわざをなしたパウロの祈りでありました。 しかしその結果はどうでしょう。 少なくとも癒しのわざはなされなかったようです。 そのことはパウロを失望させたと思います。

    しかし神様は癒し以上と思われるみわざを表してくださいました。

  3. 神の言葉

    パウロに与えられたのは御言葉でした。

    「わたしの恵みはあなたに対して十分である。わたしの力は弱いところに完全にあらわれる」

    祈りは神の真意を知る最上の道です。 主なる神は、パウロの弱さをそのままにして、しかしそこにご自身の力をあらわしてくださることを約束されました。

    以来、「わたしが弱い時にこそ、わたしは強い」がパウロの専売特許になったのではないでしょうか。

    わたしたちもこの言葉を借りて、主の力により頼んでまいりましょう。

09:30より、教会学校 が行われました。

テーマ
救いうる名
みことば
使徒行伝4章1~14節
出席者数
11(生徒のみ集計)

午後より、婦人会(例会) が行われました。

19:00より、夕拝 が行われました。

出席者数
5人


主日礼拝「無くてならぬもの~主の声に耳を傾ける信仰者」

10:30より、主日礼拝 が行われました。

聖書
ルカによる福音書10章38~42節
説教題
無くてならぬもの~主の声に耳を傾ける信仰者
説教者
加藤郁生師
出席者数
68人

聖書: ルカによる福音書10章38-42節 (中心聖句は42節) 口語訳

38
一同が旅を続けているうちに、イエスがある村へはいられた。するとマルタという名の女がイエスを家に迎え入れた。
39
この女にマリヤという妹がいたが、主の足もとにすわって、御言に聞き入っていた。
40
ところが、マルタは接待のことで忙がしくて心をとりみだし、イエスのところにきて言った、「主よ、妹がわたしだけに接待をさせているのを、なんともお思いになりませんか。わたしの手伝いをするように妹におっしゃってください」。
41
主は答えて言われた、「マルタよ、マルタよ、あなたは多くのことに心を配って思いわずらっている。
42
しかし、無くてならぬものは多くはない。いや、一つだけである。マリヤはその良い方を選んだのだ。そしてそれは、彼女から取り去ってはならないものである」。

礼拝メッセージの要約 「無くてならぬもの~主の声に耳を傾ける信仰者」 加藤郁生師

「無くてならぬものはおおくはない。いや、一つだけである」

「わたしたちの人生で一番大切なことは?」と聞かれたら、皆さんどのように答えられるでしょうか。 きっと多くの返答があると思いますが、そんな中で今日の個所は、わたしたちが最も大切にすべきことは何かを教えます。

  1. マルタよ、あなたは多くのことに心を配って思いわずらっている。

    姉のマルタは接待のことで忙しく、心をとりみだしました。 しかし妹のマリヤは、イエス様のもとで御言葉に聞き入っています。 マルタの心にはうっぷんがたまり、とうとうイエス様に直訴しました。 この時イエス様は少しもあわてず、マルタの怒りの原因を指摘しました。 マルタは心配りの故に、大切なことを忘れていたのでした。

  2. 無くてはならぬものはおおくはない。いや、一つだけである。

    次にイエス様は、マルタに無くてはならぬものは一つだけであり、それは何物にも優先してなされるべきものであることを示します。 無くてならぬものとは? それは、主の前に座り込んで、主の語りかけを聞くことでした。 お言葉なしには何ものも始まりません。 これは神様の絶対法則です。 わたしたちは神からの語りかけの前にことをなそうとして、多くの失敗をしてしまいます。 無くてはならぬものを忘れてしまうからです。

  3. マリヤはその良い方を選んだのだ

    人生はある意味で、選択の連続かも知れません。 わたしたちの選択が、わたしたちの生きる内容を決定してしまうのです。 だとしたら、わたしたちは良い選択をすべきでしょうが、神の語りかけをきくことこそがその選択であると主は言うのです。

わたしたちも神の語りかけを聞きましょう。 無くてならないものを選び取る信仰をいただいて、歩んでまいりましょう。

09:30より、教会学校 が行われました。

テーマ
美しの門
みことば
使徒行伝3章1~10節
出席者数
11(生徒のみ集計)

午後より、CS教師会 が行われました。

19:00より、夕拝 が行われました。

出席者数
8人


主日礼拝「キリストの煩悶~受難のリアリティ」

10:30より、主日礼拝 が行われました。

聖書
マタイによる福音書26章26~46節
説教題
キリストの煩悶~受難のリアリティ
説教者
加藤郁生師
出席者数
71人

聖書: マタイによる福音書26章26-46節 (中心聖句は39節) 口語訳

26
一同が食事をしているとき、イエスはパンを取り、祝福してこれをさき、弟子たちに与えて言われた、「取って食べよ、これはわたしのからだである」。
27
また杯を取り、感謝して彼らに与えて言われた、「みな、この杯から飲め。
28
これは、罪のゆるしを得させるようにと、多くの人のために流すわたしの契約の血である。
29
あなたがたに言っておく。わたしの父の国であなたがたと共に、新しく飲むその日までは、わたしは今後決して、ぶどうの実から造ったものを飲むことをしない」。
30
彼らは、さんびを歌った後、オリブ山へ出かけて行った。
31
そのとき、イエスは弟子たちに言われた、「今夜、あなたがたは皆わたしにつまずくであろう。『わたしは羊飼を打つ。そして、羊の群れは散らされるであろう』と、書いてあるからである。
32
しかしわたしは、よみがえってから、あなたがたより先にガリラヤへ行くであろう」。
33
するとペテロはイエスに答えて言った、「たとい、みんなの者があなたにつまずいても、わたしは決してつまずきません」。
34
イエスは言われた、「よくあなたに言っておく。今夜、鶏が鳴く前に、あなたは三度わたしを知らないというだろう」。
35
ペテロは言った、「たといあなたと一緒に死なねばならなくなっても、あなたを知らないなどとは、決して申しません」。弟子たちもみな同じように言った。
36
それから、イエスは彼らと一緒に、ゲツセマネという所へ行かれた。そして弟子たちに言われた、「わたしが向こうへ行って祈っている間、ここにすわっていなさい」。
37
そしてペテロとゼベダイの子ふたりとを連れて行かれたが、悲しみを催しまた悩みはじめられた。
38
そのとき、彼らに言われた、「わたしは悲しみのあまり死ぬほどである。ここに待っていて、わたしと一緒に目をさましていなさい」。
39
そして少し進んで行き、うつぶしになり、祈って言われた、「わが父よ、もしできることでしたらどうか、この杯をわたしから過ぎ去らせてください。しかし、わたしの思いのままにではなく、みこころのままになさって下さい」。
40
それから、弟子たちの所にきてごらんになると、彼らが眠っていたので、ペテロに言われた、「あなたがたはそんなに、ひと時もわたしと一緒に目をさましていることが、できなかったのか。
41
誘惑に陥らないように、目をさまして祈っていなさい。心は熱しているが、肉体が弱いのである」。
42
また二度目に行って、祈って言われた、「わが父よ、この杯を飲むほかに道がないのでしたら、どうか、みこころが行われますように」。
43
またきてごらんになると、彼らはまた眠っていた。その目が重くなっていたのである。
44
それで彼らをそのままにして、また行って、三度目に同じ言葉で祈られた。
45
それから弟子たちの所に帰ってきて、言われた、「まだ眠っているのか、休んでいるのか。見よ、時が迫った。人の子は罪人らの手に渡されるのだ。
46
立て、さあ行こう。見よ、わたしを裏切る者が近づいてきた」。

礼拝メッセージの要約 「キリストの煩悶~受難のリアリティ」 加藤郁生師

「この杯をわたしから過ぎ去らせてください。しかし、わたしの思いのままではなく、みこころのままになさって下さい」

ゲッセマネ! それはキリストが、これから祭司長等に捕らえられ、十字架にあげられる、まさにその直前の祈りの時でした。 それは、イエス様の地上でのご目的の遂行にあたっての正念場でした。 もしイエス様がこの祈りに敗北し、十字架を放棄してしまったら? そういった、あるべくもない想像さえもしてしまうほどの、緊迫感がゲッセマネにはあります。

そこで主イエスは祈ります! 「この杯をわたしから過ぎ去らせてください」

この杯とは? それは、これからイエス様が受けられる十字架の御苦難です。 それをご自身から過ぎ去らせてくださいと、イエス様は祈りました。 不可解にも思える祈りですが、しかしキリストが祈られた「杯」という言葉の重さに気がつく時、わたしたちはこれを十分に納得することが出来るのです。

「この杯をわたしから過ぎ去らせてください」

キリストはたった一人で、あまりにも重い杯を飲まなければなりませんでした。 それはわたしたち全人類の罪をすべて引き受けられる贖いのご行為としての杯でした。 それがどれほどのものなのか? わたしたちが理解しつくすことは決して出来ないでしょう。

ですからキリストの「この杯を」の祈りに、わたしたちが何かを言う資格も権利もありません。 ただ、キリストが負われた十字架の重荷、杯の重さを察して口をつぐみ、主を仰がねばならないと思うのです。

十字架の主は「この杯」から逃げませんでした。 そこにわたしたちの救いがありました。 わたしたちはこの恵みの事実を深く覚え、感謝したいと思うのです。

09:30より、教会学校 が行われました。

テーマ
教会誕生
みことば
使徒行伝2章37~47節
出席者数
12(生徒のみ集計)

午後より、教会役員会 が行われました。

19:00より、夕拝 が行われました。

出席者数
4人