月別: 2006年8月
2006/8/27(日)
主日礼拝「復活の希望に生きる教会」
10:30より、主日礼拝 が行われました。
- 聖書
- コリント人への第一の手紙15章35-58節
- 説教題
- 復活の希望に生きる教会
- 説教者
- 加藤郁生師
- 出席者数
- 64人
聖書: コリント人への第一の手紙15章35-58節 (中心聖句は58節) 口語訳
- 35
- しかし、ある人は言うだろう。「どんなふうにして、死人がよみがえるのか。どんなからだをして来るのか」。
- 36
- おろかな人である。あなたのまくものは、死ななければ、生かされないではないか。
- 37
- また、あなたのまくのは、やがて成るべきからだをまくのではない。麦であっても、ほかの種であっても、ただの種粒にすぎない。
- 38
- ところが、神はみこころのままに、これにからだを与え、その一つ一つの種にそれぞれのからだをお与えになる。
- 39
- すべての肉が、同じ肉なのではない。人の肉があり、獣の肉があり、鳥の肉があり、魚の肉がある。
- 40
- 天に属するからだもあれば、地に属するからだもある。天に属するものの栄光は、地に属するものの栄光と違っている。
- 41
- 日の栄光があり、月の栄光があり、星の栄光がある。また、この星とあの星との間に、栄光の差がある。
- 42
- 死人の復活も、また同様である。朽ちるものでまかれ、朽ちないものによみがえり、
- 43
- 卑しいものでまかれ、栄光あるものによみがえり、弱いものでまかれ、強いものによみがえり、
- 44
- 肉のからだでまかれ、霊のからだによみがえるのである。肉のからだがあるのだから、霊のからだもあるわけである。
- 45
- 聖書に「最初の人アダムは生きたものとなった」と書いてあるとおりである。しかし最後のアダムは命を与える霊となった。
- 46
- 最初にあったのは、霊のものではなく肉のものであって、その後に霊のものが来るのである。
- 47
- 第一の人は地から出て土に属し、第二の人は天から来る。
- 48
- この土に属する人に、土に属している人々は等しく、この天に属する人に、天に属している人々は等しいのである。
- 49
- すなわち、わたしたちは、土に属している形をとっているのと同様に、また天に属している形をとるであろう。
- 50
- 兄弟たちよ。わたしはこの事を言っておく。肉と血とは神の国を継ぐことができないし、朽ちるものは朽ちないものを継ぐことがない。
- 51
- ここで、あなたがたに奥義を告げよう。わたしたちすべては、眠り続けるのではない。終りのラッパの響きと共に、またたく間に、一瞬にして変えられる。
- 52
- というのは、ラッパが響いて、死人は朽ちない者によみがえらされ、わたしたちは変えられるのである。
- 53
- なぜなら、この朽ちるものは必ず朽ちないものを着、この死ぬものは必ず死なないものを着ることになるからである。
- 54
- この朽ちるものが朽ちないものを着、この死ぬものが死なないものを着るとき、聖書に書いてある言葉が成就するのである。
- 55
- 「死は勝利にのまれてしまった。死よ、おまえの勝利は、どこにあるのか。死よ、おまえのとげは、どこにあるのか」。
- 56
- 死のとげは罪である。罪の力は律法である。
- 57
- しかし感謝すべきことには、神はわたしたちの主イエス・キリストによって、わたしたちに勝利を賜わったのである。
- 58
- だから、愛する兄弟たちよ。堅く立って動かされず、いつも全力を注いで主のわざに励みなさい。主にあっては、あなたがたの労苦がむだになることはないと、あなたがたは知っているからである。
09:30より、教会学校 が行われました。
- テーマ
- ルステラにて
- みことば
- 使徒行伝14章15節
- 出席者数
- 11人(子どものみ集計)
午後より、卓球のレクリエーション が行われました。
19:00より、夕拝 が行われました。
- 出席者数
- 6人
2006/8/20(日)
主日礼拝「復活の信仰に立つ教会」
10:30より、主日礼拝 が行われました。
- 聖書
- コリント人への第一の手紙15章12-28節
- 説教題
- 復活の信仰に立つ教会
- 説教者
- 加藤郁生師
- 出席者数
- 60人
聖書: コリント人への第一の手紙15章12-28節 (中心聖句は20節) 口語訳
- 12
- さて、キリストは死人の中からよみがえったのだと宣べ伝えられているのに、あなたがたの中のある者が、死人の復活などはないと言っているのは、どうしたことか。
- 13
- もし死人の復活がないならば、キリストもよみがえらなかったであろう。
- 14
- もしキリストがよみがえらなかったとしたら、わたしたちの宣教はむなしく、あなたがたの信仰もまたむなしい。
- 15
- すると、わたしたちは神にそむく偽証人にさえなるわけだ。なぜなら、万一死人がよみがえらないとしたら、わたしたちは神が実際よみがえらせなかったはずのキリストを、よみがえらせたと言って、神に反するあかしを立てたことになるからである。
- 16
- もし死人がよみがえらないなら、キリストもよみがえらなかったであろう。
- 17
- もしキリストがよみがえらなかったとすれば、あなたがたの信仰は空虚なものとなり、あなたがたは、いまなお罪の中にいることになろう。
- 18
- そうだとすると、キリストにあって眠った者たちは、滅んでしまったのである。
- 19
- もしわたしたちが、この世の生活でキリストにあって単なる望みをいだいているだけだとすれば、わたしたちは、すべての人の中で最もあわれむべき存在となる。
- 20
- しかし事実、キリストは眠っている者の初穂として、死人の中からよみがえったのである。
- 21
- それは、死がひとりの人によってきたのだから、死人の復活もまた、ひとりの人によってこなければならない。
- 22
- アダムにあってすべての人が死んでいるのと同じように、キリストにあってすべての人が生かされるのである。
- 23
- ただ、各自はそれぞれの順序に従わねばならない。最初はキリスト、次に、主の来臨に際してキリストに属する者たち、
- 24
- それから終末となって、その時に、キリストはすべての君たち、すべての権威と権力とを打ち滅ぼして、国を父なる神に渡されるのである。
- 25
- なぜなら、キリストはあらゆる敵をその足もとに置く時までは、支配を続けることになっているからである。
- 26
- 最後の敵として滅ぼされるのが、死である。
- 27
- 「神は万物を彼の足もとに従わせた」からである。ところが、万物を従わせたと言われる時、万物を従わせたかたがそれに含まれていないことは、明らかである。
- 28
- そして、万物が神に従う時には、御子自身もまた、万物を従わせたそのかたに従うであろう。それは、神がすべての者にあって、すべてとなられるためである。
09:30より、教会学校 が行われました。
- テーマ
- ペテロの解放
- みことば
- 使徒行伝12章5節
- 出席者数
- 10人(子どものみ集計)
午後より、壮年会(学び)、婦人会(祈り会) が行われました。
19:00より、夕拝 が行われました。
- 出席者数
- 5人
2006/8/13(日)
主日礼拝「神の愛の性質」
10:30より、主日礼拝 が行われました。
- 聖書
- コリント人への第一の手紙13章
- 説教題
- 神の愛の性質
- 説教者
- 加藤郁生師
- 出席者数
- 57人
聖書: コリント人への第一の手紙13章1-13節 (中心聖句は13節) 口語訳
- 1
- たといわたしが、人々の言葉や御使たちの言葉を語っても、もし愛がなければ、わたしは、やかましい鐘や騒がしい鐃鉢と同じである。
- 2
- たといまた、わたしに預言をする力があり、あらゆる奥義とあらゆる知識とに通じていても、また、山を移すほどの強い信仰があっても、もし愛がなければ、わたしは無に等しい。
- 3
- たといまた、わたしが自分の全財産を人に施しても、また、自分のからだを焼かれるために渡しても、もし愛がなければ、いっさいは無益である。
- 4
- 愛は寛容であり、愛は情深い。また、ねたむことをしない。愛は高ぶらない、誇らない。
- 5
- 不作法をしない、自分の利益を求めない、いらだたない、恨みをいだかない。
- 6
- 不義を喜ばないで真理を喜ぶ。
- 7
- そして、すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてを耐える。
- 8
- 愛はいつまでも絶えることがない。しかし、預言はすたれ、異言はやみ、知識はすたれるであろう。
- 9
- なぜなら、わたしたちの知るところは一部分であり、預言するところも一部分にすぎない。
- 10
- 全きものが来る時には、部分的なものはすたれる。
- 11
- わたしたちが幼な子であった時には、幼な子らしく語り、幼な子らしく感じ、また、幼な子らしく考えていた。しかし、おとなとなった今は、幼な子らしいことを捨ててしまった。
- 12
- わたしたちは、今は、鏡に映して見るようにおぼろげに見ている。しかしその時には、顔と顔とを合わせて、見るであろう。わたしの知るところは、今は一部分にすぎない。しかしその時には、わたしが完全に知られているように、完全に知るであろう。
- 13
- このように、いつまでも存続するものは、信仰と希望と愛と、この三つである。このうちで最も大いなるものは、愛である。
09:30より、教会学校 が行われました。
- テーマ
- コルネリオ
- みことば
- 使徒行伝10章43節
- 出席者数
- 7人(子どものみ集計)
午後より、CS教師会、青年会(学び) が行われました。
19:00より、夕拝 が行われました。
- 出席者数
- 5人
2006/8/6(日)
主日礼拝「聖餐の共同体として歩む信仰者」
10:30より、主日礼拝 が行われました。
- 聖書
- コリント人への第一の手紙11章17-34節
- 説教題
- 聖餐の共同体として歩む信仰者
- 説教者
- 加藤郁生師
- 出席者数
- 65人
聖書: コリント人への第一の手紙11章17-34節 (中心聖句は26節) 口語訳
- 17
- ところで、次のことを命じるについては、あなたがたをほめるわけにはいかない。というのは、あなたがたの集まりが利益にならないで、かえって損失になっているからである。
- 18
- まず、あなたがたが教会に集まる時、お互の間に分争があることを、わたしは耳にしており、そしていくぶんか、それを信じている。
- 19
- たしかに、あなたがたの中でほんとうの者が明らかにされるためには、分派もなければなるまい。
- 20
- そこで、あなたがたが一緒に集まるとき、主の晩餐を守ることができないでいる。
- 21
- というのは、食事の際、各自が自分の晩餐をかってに先に食べるので、飢えている人があるかと思えば、酔っている人がある始末である。
- 22
- あなたがたには、飲み食いをする家がないのか。それとも、神の教会を軽んじ、貧しい人々をはずかしめるのか。わたしはあなたがたに対して、なんと言おうか。あなたがたを、ほめようか。この事では、ほめるわけにはいかない。
- 23
- わたしは、主から受けたことを、また、あなたがたに伝えたのである。すなわち、主イエスは、渡される夜、パンをとり、
- 24
- 感謝してこれをさき、そして言われた、「これはあなたがたのための、わたしのからだである。わたしを記念するため、このように行いなさい」。
- 25
- 食事ののち、杯をも同じようにして言われた、「この杯は、わたしの血による新しい契約である。飲むたびに、わたしの記念として、このように行いなさい」。
- 26
- だから、あなたがたは、このパンを食し、この杯を飲むごとに、それによって、主がこられる時に至るまで、主の死を告げ知らせるのである。
- 27
- だから、ふさわしくないままでパンを食し主の杯を飲む者は、主のからだと血とを犯すのである。
- 28
- だれでもまず自分を吟味し、それからパンを食べ杯を飲むべきである。
- 29
- 主のからだをわきまえないで飲み食いする者は、その飲み食いによって自分にさばきを招くからである。
- 30
- あなたがたの中に、弱い者や病人が大ぜいおり、また眠った者も少なくないのは、そのためである。
- 31
- しかし、自分をよくわきまえておくならば、わたしたちはさばかれることはないであろう。
- 32
- しかし、さばかれるとすれば、それは、この世と共に罪に定められないために、主の懲らしめを受けることなのである。
- 33
- それだから、兄弟たちよ。食事のために集まる時には、互に待ち合わせなさい。
- 34
- もし空腹であったら、さばきを受けに集まることにならないため、家で食べるがよい。そのほかの事は、わたしが行った時に、定めることにしよう。
09:30より、教会学校 が行われました。
- テーマ
- ペテロの夢
- みことば
- 使徒行伝10章15節
- 出席者数
- 10人(子どものみ集計)
午後より、教会役員会、卓球のレクリエーション が行われました。
19:00より、夕拝 が行われました。
- 出席者数
- 6人
